〜第四章〜 魔女でも構わない。女騎士との出逢い
「いいか、親父」
馬車を止め、手綱を握り直したジャンマルコが、低い声で念を押す。
「宿に着くまで、ひとっ言も喋るんじゃねーぞ。ローマから来たってことが周囲にバレたら、おれの仕事に支障を来たすからな」
「解っとるよ。だが、儂とてフランス語くらい喋れるわい」
「ボロが出るからやめろ。もし誰かと遭遇しても、すべておれが対処する」
にべもなく言い捨てられ、ボニーベンナルトは不満げに頬を膨らませた。息子が酷い。己を心配してのことだとも解る。解るが……けれど、もう少し言い方というものが。
と、つらつら考えていたその時、ふと奇妙な違和感に気づいた。そろそろ街の中心部に入っているはずなのだが、まったく人の気配がしないのだ。
「マルコ……おかしいぞ、この街は」
「わーってる」
「黙っていろ」という約束をさっそく違えたにもかかわらず、ジャンマルコからの罵倒は飛んでこなかった。それもそのはず。彼は予想だにしなかった事態に直面し、そこまで気を回す精神的な余裕がなかったのだ。
(いくら夕闇の時間を狙ったからといって、まだ深夜でもないぞ……?)
人目を避けるためにあえて昼間を避けてパリに入ったのはいいが、ここまで閑散としているのは明らかにおかしい。今頃の時間帯ならば、酒場などが灯りを灯して賑わっているはずなのだ。
しかし、それらしき店を見つけるものの、重厚なドアには一様に「閉店」のプレートが冷たく下げられている。
嫌な予感が、背筋を駆け上がった。
(嘘だろ……)
予感は、最悪な形で的中した。
ようやく見つけた宿の門にも、やはり「閉店」の無情な二文字。しかも、主人に理由を訊こうにも、肝心な人間の姿がどこにも見当たらないのだ。本当に、どこにも。
(どうなってやがる、一体……)
その時――激しく地面を蹴って近づいてくる馬の足音に、ジャンマルコはハッとした。
人だ……!
そちらに勢いよく顔を巡らせると、馬に跨がった凛々しい男装の麗人が、こちらへ向かって近づいてくるところだった。
なぜ男装しているのかなど、色々と気になる点は山ほどあったが、とりあえずはこれで助かった。
(――こっちの身分を上手く誤魔化しつつ、現地の情報を仕入れる)
ジャンマルコの目の前でピタリと馬が止まる。
じっとこちらを射抜くように見つめてくる、深い青の瞳――星空の色の輝きに思わずたじろぐが、目的を果たすべく、ジャンマルコはいざ口を開いた。
「こんにちは、可憐なお嬢さん」
「こんにちは。――ところで貴殿はよそ者だろ」
秒でバレた。
馬車の中から、「マルコ……」と心底から呆れ果てた父親の声が漏れ聞こえる。
いや、これ、絶対におれのせいじゃねーだろ!!
予想外の即答にジャンマルコが口をパクパクさせていると、ひらりと馬から降りた女は、鋭い視線で辺りを見渡しながらこう言った。
「悪いことは言わない。母国へ帰れ。今、この街は観光には向かない。……中にも人が?」
「ああ、一人。――じゃなくて、勝手に話を進めないでくれ。私たちは郊外からやってきただけで、情報に疎いんだよ」
「郊外から? それで、御触書が届いていなかったのか……」
「御触書?」
「今、パリの夜は危険だから決して外出してはならない、という警告だ。そして、もし危険を感じたら近くの教会に駆け込むこと。この時期のこの時間帯をうろうろしているのは、ならず者かよそ者、あとは貴殿のように御触書を知らない者くらいだ。もう一度言う。急いで教会へ向かえ。これ以上、暗くなる前に」
夜が危険? 教会に駆け込む?
ジャンマルコがオウム返しに尋ねる間も、女は相変わらず鋭い視線で辺りを警戒していた。さすがの彼もただ事ではない雰囲気を感じ取り、同じように周囲へ目を配る。
――その時、路肩の闇から、ねっとりとした異形の影が現れた。
「な……」
大きさは幼子程度であるのに、その体つきは痩せ細った大人のそれ。何よりその背には、おぞましいコウモリのような黒い翼が生えていた。
まるで、教典の挿絵に載っていた「悪魔」そのものの姿。
「悪魔だと……!?」
「……貴殿はもしかして、聖職に携わっているのか?」
「自己紹介は後だ! アレは何だ。本当に悪魔なのか!?」
「下っ端の悪魔だがな」
「まるで親分がいるような言い方じゃねーか」
「………」
「いんのかよ!!」
「地獄にな。それより、下がっていろ」
「いや、お前が下がれ」
いくら最強の母親を持っていようと、初対面の女に戦闘を任せて後ろに隠れるほど、ジャンマルコは落ちぶれてはいない。
正体が危ぶまれるのも覚悟で、彼は背中から二対の半月刀を抜き払い、両手に構えた。
すると、同じく隣で躊躇なく剣を構えていた女が、感心したように小さく息を吐いた。
「驚いた。戦えるのか。……それにしても、見ない剣だな」
「なに呑気なこと言ってやがる! 聖水とか必要ねぇのか!?」
「あったら便利だが、物理でも勝てる。あいつはそこまで大したことないからな」
「あいつは? 他にもいるのか?」
「いや。完全に夜になると、あれが成長して――」
「二人とも! 危なーい!」
突如、馬車から飛び出してきた大声を上げる影。
結果だけ言えば別に危なくも何ともなかったのだが、ジャンマルコとリリアンを庇うようにして先頭に立った初老の人間の姿に、驚いた下級悪魔がバサリと翼を広げた。
そこから放たれた衝撃波をまともに喰らい、派手に尻餅をついたボニーベンナルト。
それを見た瞬間――ジャンマルコとリリアンが、同時に殺意を乗せて口走った。
「ぶち殺す」 —— / ——「お前は終わりだ」
この後の展開は、言うまでもない。
もし万が一、この凄惨な光景を目撃した人々がいたのなら、間違いなく悪魔の方に同情しただろう。
それほどまでに、圧倒的で非情な戦力差であった。
もちろん、ジャンマルコとリリアンの完全なる一方的な勝利でその場の収まった。
「大丈夫ですか、ご老人」
「あ、ああ。君は強いのう。まるで、うちの奥さんのようじゃったわ」
「恐縮です。奥様が? それはぜひ、お会いしてみたいですね」
「おい、親父。手ぇ貸せ」
「ほっほっ、優しいじゃろう? ついでに、これは儂の息子じゃ」
ジャンマルコの手を借りて起き上がったボニーベンナルトが、嬉しそうに笑顔で言った。
「ええ、優しいご子息で」
「じゃろう? しかも、とっても強いんじゃ」
「親父……いいから喋るな」
「ええ、それにも驚きました。武器も初めて見るものでしたしね」
「あれか? 半月刀というのじゃよ。反り方が三日月のようじゃろ?」
「なるほど、勉強になります」
「親父、もう……っ」
「ところで――ご出身はどちらで?」
「ローマじゃ!」
終わった。
完全に終わった。
どう見ても綺麗な誘導尋問だった。まんまと引っかかった父親の姿に、ジャンマルコは片手で顔を覆ってガックリとうなだれた。
「……じじぃ」
「あ! しもうたっ! い、いや、儂らは神父の、その、郊外の見習いの――」
「落ち着け! それにもう手遅れだ!」
「むぅ……すまないの、マルコ」
「本名~……」
最初に決めていた偽名も、これで完全に使えなくなった。というか、ほぼすべての重要情報が相手に渡ってしまった。初手からグダグダすぎて、ジャンマルコは本気で泣きたくなった。
「ははっ、愉快な人たちだな。言っておくが、あまり父君を責めるなよ。そもそも、君がイタリア語を発した時点で、出身はとっくに察していたんだ」
「あ」
親父が攻撃を喰らった瞬間、頭に血が上って、言語に気を遣うのを完全に忘れてしまっていた。
「わざわざパリまでようこそ。――勇敢な方?」
「くそっ、イタリア語が喋れんのかよ」
「うちの言葉でそこまで悪態をつける君ほど、流暢には話せないけどな」
くすりと笑って、女は肩を竦めた。そして、再び周囲の闇を見渡して表情を引き締める。
「とりあえず、積もる話は後にしよう。君たちは私の屋敷で待っていて欲しい」
「はっ。テメェは密入国者を、わざわざ自分のテリトリーに招くのか?」
「……息子さん、ちょっと捻くれてません?」
「すまんのう、嬢ちゃん。本当に、一体誰に似たんだか」
「おいそこ!! おれ抜きで勝手に仲良くなってんじゃねー!!」
リリアンは、激怒する青年を真っ直ぐに見つめて言った。
「言っておくが、お互いのためだぞ。私は君たちの入国の『真の目的』を知りたい。君たちは、この街の『最新の情報』といったところか? 悪魔の存在すら、今しがた知ったような顔をしていたしな」
「……また、誘導尋問かよ」
「事実だろう?」
ピシャリと言い切られ、ジャンマルコは悔しげに唇を噛んだ。完全に、会話の主導権がこの女の方にある。
「……解った。おれはどこでも寝れるが、親父の安全だけはそっちで保護してもらうぞ」
「マルコ……っ!」
感極まった様子で親父が呟く。だから、本名……もういいや。
「二人とも、安全は私が保障するよ。ええと――マルコ殿?」
やっぱり、よくなかった。
「ジャンマルコ・デ・ニコラだっ!!」
あれからリリアンとだけ名乗った女に連れてこられた屋敷は、驚くほど広かった。
「……お前、貴族だったのか?」
「男爵だけどな。逆に何に見えたんだ」
「いやだって、普通、貴族の娘は男装しねーし、なんなら剣も振るわねーだろ」
「君の母君も戦うと聞いたぞ?」
「だから、どっちも普通じゃねーんだよ!」
「思春期なんですか、息子さん」
「いつまでも終わらんのじゃよ、ほっほっ」
「入ってすらいねぇ! なんでそこ、勝手に仲良くなってんだよ!」
「いや、うちのクレマンと同じくらいかなと思うと、なんだか親しみが湧いてな」
「誰だよ、それ!?」
「今から会えるさ。クレマンは執事で、あとアニーというメイドの女性もいる。彼女に無礼を働いたら、その場で斬るからな」
にこりと笑顔で釘を刺されたが、その言葉には本気の殺気が籠もっていた。
女が玄関のドアに手を掛けながら、ふと思い出したように言葉を足す。
「あ、それと、うちにはすでに『食客』が一人いるが、仲良くしてくれ」
「は?」
開いたドアの先。最初に顔を覗かせたのは、神が創造したかのような絶対的な美形だった。
「今日の巡回は終えたのですか、リリアン。……後ろのお二人は?」
あまりに人間離れしたその美貌の持ち主に、ジャンマルコたちが唖然と気圧されていると、リリアンは気やすく応じた。
「新しい客人だよ。私はまたすぐに巡回に戻るから、二人を預かっていて欲しい。クレマンとアニーは?」
「もうすぐ見えると思いますが。……それにしても、こいつら臭いです」
「はあ?」
あまりの言い草に、ようやく我に返ったジャンマルコが激怒する。
確かにローマからの長旅の後だから清潔とは言い難いが、もっと他に言い方というものがあるだろう。
「テメェ、初対面でそりゃ礼儀がなっちゃいねぇんじゃねーか?」
「すまない。彼の『臭い』というのは、単純に衛生的な匂いのことを言っているんじゃないんだ。あと、礼儀に関しては君も人のことを言えないぞ」
うるせぇ、と心の中で毒づく。
「私も最初に尋ねたが……君たち、ただの見習いなんかじゃなくて、本物の聖職者じゃないのか?」
「今、ここでの情報交換がお望みか?」
「いや、私も忙しいから後で頼む。だが一応、誤解だけは解いておこうかと思ってな。彼に悪気はないんだ。――本物の『悪魔』だから、君たち聖職者とは、本能的に馬が合わないんだろう。代わりに謝る。気を悪くさせてすまなかった」
「は?」
「そういうわけだから、二人のことを頼むよ。殺すなよ? ローマからの大切な使者なんだから」
「相手が手を出さない限りは約束しましょう。しかし、ローマなら先日も遣いをやったばかりじゃありません?」
「さあ? 道中で行き違ったんじゃないのか? そもそも、三ヶ月前にも団体でやってきたな。彼らはどうしたんだっけ? あの時はまだ下級の悪魔たちがうようよしていて、彼らは半狂乱に陥っていたんだが」
「ああ、あれですか。あなたが『怖い目に遭った記憶を消せるか』と言ったから、その通りに処理しましたよ」
「本当に消せたのか? あの錯乱状態のまま本国に戻ってもらっても、本物のエクソシストを大量に送り込んできそうだったからな。せめて悪魔を見た記憶だけでも、と思ったんだ」
「ええ。ですから、祖国に帰ったら『ここで起こったことをすべて忘れる』ように、暗示をかけておきました」
「なるほど、それは余計に怪しまれるな。さすがに全部消すとは思わなかったぞ」
「人間とは、よく物忘れを多発する生き物だと認識済みですので」
「高齢になるとな。偏見が酷いぞ」
最初の「は?」から、ジャンマルコは一言も口を挟めずに立ち尽くしていた。
出るわ出るわ、完全に身に覚えのある会話の数々。
もし、この人間離れした美形の男が本当に「本物の悪魔」なのだとすれば、あの有能な調査団たちが揃いも揃って謎の記憶喪失で戻ってきた怪事件も、滞在していた時間軸も、すべてが完璧に合点がいく。
しかし、悪魔を前にして、まるで近所の住民と談笑するかのように普通に会話を成立させているリリアンを見て、ジャンマルコが戦慄と共にこの結論に辿り着くのは、当然の成り行きだった。
「……お前、魔女か?」
「失礼ですね!! 誰がこんな野蛮な人間のメスと契約などしますか!!」
まさかの、悪魔の方が全力の否定。
「魂を売ってもいないのに、悪魔を従えているというのか?」
「いりません! そんなもの、貰っても即座に返却します!!」
「いや、だからおれが訊いているのはそっちだ! おい女! お前は悪魔の味方なのか!?」
ジャンマルコがリリアンを鋭く睨みつけて怒鳴ると、彼女はキョトンと不思議そうに首を傾げた。
「襲ってくる悪魔は敵。襲ってこない悪魔はどうでもいい。そして、彼は力を貸してくれるから味方だ。——これでいいのか?」
さも当然の真理であるかのように言い切られ、ジャンマルコは思わずたじろいだ。
まるで、自分の常識の方が狂っているみたいじゃあないか……!
「そんな理屈が、教会にまかり通ると思っているのか! 裁判に掛けられたら、確実に魔女の烙印を押されるぞ! 解ってて言っているのか、テメェは……!」
「それがどうした」
今度こそ、ジャンマルコは完全に言葉を失った。
まるで、人間の形をした「この世ならざる怪物」を見るかのように彼が警戒を強めると、後ろに控えていたボニーベンナルトが、そっと息子の肩に温かい手を置いた。
「マルコ。お嬢さんには、よほどの深い事情がありそうじゃ。先にちゃんと話を聞いてから、どうするかを決めなさい」
「親父……」
「お嬢さん。その悪魔は、儂らを害しないと信じてもいいんじゃな?」
「ええ。ご子息が先に手を出さない限りは、と約束してもらっています」
「マルコ。詳しい話は、後にせんか?」
リリアンもまた、剣の柄からそっと手を離して応じた。
「私も、あなた方と話があります。そもそも、最初から争うつもりがあるのなら、わざわざ我が家に連れてきてはいませんよ」
「……お前が帰ってくるまで、おれは外にいる」
「外は危険だと言っただろう。せめて、ボニーベンナルト殿だけでもうちで匿わせろ」
「うるせぇ! 親父くらいおれ一人で護れる! おれはここを出て、街の連中に直接話を聞いたっていいんだ」
「――アレクシスのことを知りたいんじゃないのか?」
リリアンが静かに、その名を口にした。
「なら、うちより詳しい場所は、このパリのどこを探してもないぞ」
「なん……っ」
「やっぱり、君たちの狙いはアレクか」
次の瞬間、ジャンマルコは目にも留まらぬ速さで、二対の半月刀の刃をリリアンの白い首筋へと突きつけていた。
一方、至近距離で刃を突きつけられた当のリリアンは、まつ毛一つ動かさずに平然としていた。
この時、意外にも眉をしかめたのは、傍らに佇む大悪魔の方であった。
「マルコ!」
ボニーベンナルトが鋭く制するも、リリアンとジャンマルコは互いに視線を逸らさなかった。逸らした方が死ぬ――そんな極限の緊張感の中、場を動かしたのは第三者の騒がしい声だった。
「きゃああっ! お嬢さまが悪漢に!? クレマン! クレマン早く来てーーっ!!」
バタバタと騒がしい足音が響く中、ジャンマルコはふっと息を吐き、ゆっくりと刃を引いた。
「今のがアニー殿か? 現役の神父を悪漢呼びするとは失礼だな」
「クレマンが来たら、君、本当に拳骨を貰うぞ。今のうちに覚悟しておくんだな」
ジャンマルコは「参った」と肩をすくめて武器を鞘に納めた。その場を支配していた底冷えするような殺気が、霧散していく。
「もう、何でも来い。あと、お前もここにいろ。んで、おれの無実を綺麗に晴らせ」
「仕方のない奴だな。まぁ、私がファーストネームしか言わなかったのも悪かったからな」
「どうせ故意にだろ。名前を聞いた時、もっと早くピンと来るべきだった。リリアンなんてありふれた名前だったからな……。アレクシスには、スラムで拾った一人娘がいた。お前だな? リリアン・ホーマン」
「君たちの出方を見たかった。驚かせたのは、確かに悪かったよ」
「もういいさ。これ以上、おれを驚かせるものなんてこの世にねぇだろ」
「そうか! よかった。なら、アスタロト殿のことも大丈夫そうだな」
「は?」
アスタロト?
「彼が言うには、そこそこ上級な悪魔らしいから、名前を明かすべきか迷っていたんだ」
「そこそことは何ですか、そこそことは。わたくしは地獄の始祖に限りなく近い存在ですよ」
「大悪魔じゃねーか!!!!」
ジャンマルコの絶叫に、リリアンは平然としたままだ。
「ハッ……! もしかして、さっきてめぇが言ってた下っ端悪魔の親玉って……」
「それはわたくしじゃありません。ルシファーです」
「地獄の王じゃねーか!!!!」
「見なさい、リリアン。これが、普通の人間の極めて正しい反応です」
「いちいち大袈裟だな。聖職者はみんなこうなのか?」
「お前もたいがい偏見が酷いぞ! 悪魔の名前を聞きゃ、誰だって腰を抜かして驚くわ!」
なんなら悲鳴を上げて卒倒するところまでがセットだ。普通の、かよわい令嬢ならば。
「相手が何であれ、襲ってくるなら斬ればいいだけだろ」
「……困ったぞ、親父」
ジャンマルコは、隣の父親に深刻な顔を向けた。
「こいつを育てたアレクシス容疑者に、冤罪の可能性が出てきた」
「マルコ、もう確定しとらんか?」
どう見ても、こんな真っ直ぐな野生児が姑息な謀に向いているはずがない。ボニーベンナルトもそう思ったのか、深く同意するように頷いた。
「君たち、話が早くて本当に助かるな」
「なんだと?」
「だから、冤罪だよ。実際に、私の義父は完全なる無罪だ。……やはり君たちは、あの悪趣味な偽召喚文書の件でローマから来たんだな?」
「……そこまで知っているなら、こっちの望むものも、すべて解っていそうだな」
「口にするのも悍ましいが、おおよその見当はつく。だけど――無罪の養父を、君たちに裁く権利はないだろう?」
「証拠はあんのか」
「もちろん。それらすべての裏付けを揃えて先日、教会が各国に使者を送っている。できる限りの賠償金も添えてな」
「ちっ……完全に行き違ったか。だがな、おれは現地で、あの凄惨な儀式の爪痕をこの目で見てきたんだ。言葉だけじゃ、どうにも腹の虫が収まらねぇな」
証拠があるなら、今すぐこの場で出してみろ――。
ジャンマルコが暗にそう告げれば、リリアンからは「そのつもりだ」と力強い答えが返ってきた。
「どこから話したらいいか……きっと、長い話になる」
とりあえず、夕食を摂りながらゆっくり話そう。
リリアンがそう言って、二人を屋敷の奥へと案内する。
――ちなみにその移動の途中、奥からすっ飛んできたクレマンという執事に、出会い頭に本気で叩き斬られかけたのは、また別の余談である。
「先ほどは失礼いたしました。リリアン様のお客様とも知らず」
深々と頭を下げる老人に、ジャンマルコは引きつった笑みを浮かべながら「気にしないでください」と言葉を絞り出した。
「まさか、執事の方まで剣術に長けているとは驚きです」
「いえいえ、わたくしは剣の腕はからっきしで……お恥ずかしい限りです」
うーん、嫌味がまったく通じない。
というか、どういう伝言を受けたら出会い頭に相手をたたっ斬るまでに至るんだ。リリアンに言われていた「拳骨」くらいならば甘んじて受けようと思っていたが、さすがに本物の刃は甘んじている場合ではない。
「クレマンも無理をする。私のために、そんな危ない真似はしないでくれ」
「いえ! 誤解だったとはいえ、リリアン様が襲われたとあっては坊ちゃんに顔向けできません! それに、坊ちゃんならば確実に仕留めておられたはずです!」
「仕留められてたまるか!」
「ははっ、アレクも過保護だからな」
「ほがらかになるな!」
「これ、マルコ。食事の席で怒鳴るんじゃあないよ」
「あんたはあんたでくつろぎ過ぎだろ!」
隣に座る父親は、のほほんと美味そうに食事を口に運んでいる。
自分一人だけが肩を張って警戒しているのも馬鹿らしくなり、ジャンマルコも改めて用意してもらった品々へと視線を落とした。
パンにスープ、そしてサラダ。
貴族の食卓にしては、かなり質素なメニューだった。自分にはとても馴染みがあり、むしろ好ましかったのだが——。
「もしかして気を遣わせてしまってます? 私が神父だから」
食事を運んできたアニー殿に向かって言うと、彼女は「いいえ」と首を振った。
「我が家はこれが普通です。旦那さまもお嬢さまも過度の贅沢は好みませんので。あ、もしや足りませんでしたか? お若いですものね。他にもご用意いたしましょうか?」
「いえ、大丈夫です。量も足りてます。どれも私好みだったもので驚いただけです。ありがたくいただきます」
「はい、どうぞ召し上がってください」
その時、上座から視線を感じて振り向くと、リリアンがポカンとした表情でこちらを見ていた。
……絶対ろくでもないことを考えている。
「マルコ殿が礼儀正しいと気味が悪いな」
「やっぱりか! あとジャンマルコだ! おれだって淑女には優しくするわ!」
「なら、なぜ私には厳しいんだ?」
「胸に手を当てて考えてろ」
「…………」
「マジで当てんな……」
しかも首を捻ってんじゃねー。
はぁ、と脱力とともに視線を下げると、リリアンのメニューが目に入った。
「…………お前、パンとスープは?」
「アスタロト殿の胃袋の中だ」
「大変美味でした」
普通に悪魔も食卓に着いているのは、この際もういい。
全部にツッコんでいたら、おれの身が持たない。
「おい悪魔、人のもんまで手ぇ出してんじゃねーぞ」
「あ、違うぞ。私が食べて貰ったんだ」
「そうです。わたくしがまるで食い意地を張っているかのような物言いは失礼ですよ。あ、アニーさん、お代わりお願いします」
「張ってんじゃねーか! つーか悪魔って飯食う必要あんのかよ!」
「別に食べなくても死にませんが、アニーさんのご飯は別です。悪魔だって美味しいものは好きですし、娯楽くらい嗜みますよ」
「もう、アスタロト様、お口がお上手ですわ」
キャッと頬に手を当てて恥じらうアニーに、ジャンマルコは真顔で閉口した。もう悪魔野郎のことはこの際いい。さっきもそう決めたはずなのに、自分のツッコミ性分が恨めしい。
「それよりもお前だ! もしかして悪魔野郎に施してんのか?」
ちまちまとサラダだけを突くリリアンをビシッと指さす。
「わたくしは今でこそこの姿ですが、正確には性別というものが存在していません。なので『野郎』という表現は正しくありません」
「ちょっとテメェは黙ってろ、頼むから」
今そんな豆知識いらねぇんだよ。
当のリリアンは文句を言われると思わなかったのか、目をまん丸にしている。
「単に腹が空かないだけだ。調べたんだろう? 私の出自を。昔の癖で少量しか腹に収まらないんだ。作ってくれるアニーには申し訳ないが……」
「そんな、お嬢さま、お気になさらず……っ」
「しかし、坊ちゃんがいらした頃は、まだもう少しは食べられておりました。坊ちゃんが無理やり食べさせていた、とも言いますか……」
坊ちゃん……アレクシス容疑者のことか。一応、娘の偏食には気を付けていたみたいだな。養女とはいえ、当主の娘に召使いはあれこれ口を挟めないのだろう。
(ったく、世話の焼ける)
ジャンマルコは己のスープとパンを載せた皿を持って立ち上がると、リリアンの目の前に置いた。
訝しげにこちらを見上げるリリアンを一瞥して、一言。
「食え」
「え?」
「いいから食え。無理にでも食え」
「いや、だから私は食欲があまり……」
「つべこべ言わず食え。剣を持つなら筋肉をつけろ。食欲ねぇとかわがまま言ってんじゃねぇ。食える時に食えるものがあるなら無理してでも食え。食べ物のありがたさは、お前の方が知ってんだろ」
「う、そう、だけど、これではマルコ殿の分がなくなってしまう」
「いえ! お嬢さま! ジャンマルコ様の分は今から持って参ります!」
「リリアン様! お客様がここまでおっしゃるのです! 無下にしてはなりませぬぞ!」
「味方が消えた……」
アニーがいそいそと台所に向かい、クレマンが目を輝かせて見ている中、さすがのリリアンも否とは言えず、そっとスープを掬って口に運んだ。美味しい。アニーの作るものは昔からなんだって美味しい。
(なのに、アレクと離れ離れになってから、味を感じなくなっていた)
それも一段と食欲が落ちた原因だった。
久々に味を感じたことに驚きつつ、隣に立つ男を見上げると、彼はどこか勝ち誇った顔をしている。
「ざまーみやがれ。おれの前でしおらしい真似はさせねぇからな」
変な男だ。
(必要なら、女にも容赦なく刃を突き付けてくるくせに)
冷徹な面があって、それなのにお節介で……なんてちぐはぐな男なのだろう。リリアンはぼんやりとジャンマルコを見ていた。
「なんだよ」
「いや、同じくらいの歳の異性とまともに接するのは初めてだったからな。不思議な気分だ」
「はあ? 貴族ならパーティーとかで普通にあるだろ、接する機会ぐらい」
「皆、二言目には『婚約者を返せ』とそればかりだな」
「そっちか」
言って、ジャンマルコは呆れた顔をする。
「お前、そういうパーティーでも男装してんのか」
「あまり参加しないが、たまに参加する時はそうだな。今より少しは着飾るが、基本は紳士服だ」
なるほど。同席している悪魔ほどではないが、整った顔立ちに凛々しい態度、おまけに男のような言葉遣いの男装令嬢か。女たちが騒ぐ光景が目に浮かぶ。
「……そのうち決闘でも申し込まれたりしてな」
「誰も彼も口ほどにもなかったぞ」
「すでに申し込まれたあとだったか。てか普通に勝ってんじゃねぇよ、仮にも令嬢が」
「手を抜く方が相手に失礼だろ。それに『婚約者のためなら、もっと腕を上げて出直してこい』と激励も送っている」
「それは激励と言わねぇ。とどめを刺すな、とどめを」
「そうなのか。やる気が出るかと思ったのだが」
「全員がお前みたいな脳みそ筋肉ばかりと思うな」
「マルコ!」
「は?」
名前を呼ばれた方へと振り返ると、親父がとてもいい笑顔でこちらを見ていた。なんだかとても碌でもない予感がする。
「帰ったら妹を作ろうか」
「違ぇ!! いらねぇ!」
「む、じゃあやはりこっちかの?」
「小指も立てんな! もっと違ぇよ!」
このお気楽じじい……! 恋愛小説ばかり書いている弊害か、男女を見るとすぐ色恋を絡ませてきやがる。
まさか本気にしてないよな、とリリアンの方を見ると、想像通りというか、まるで解っていない様子で首を傾げていた。
しかし反対に、執事とメイドが色めきだっていた。あんたらもか……。
「君は妹が欲しいのか?」
「おれが否定してたの見てたよな?」
「ボニーベンナルト殿の小指は何かの隠語か?」
「お嬢さま! それはですね!」
「アニー殿、少し口を閉じていてくれませんか」
「ジャンマルコ様! 確かにあなた方はお似合いかもしれませぬが、坊ちゃんが知ったらただでは済みませんぞ」
「なんでおれが責められるんだ……」
火種を作った親父は、つまらないといった風に唇を尖らせている。こいつ、ローマに強制送還してやろうか。
「父は妄想好きなんです。彼女にそういった感情はまったく抱いておりません」
「これ、妄想好きとはなんだ」
「そのまんまだよ」
すわ親子喧嘩に発展するかと思われた時、何か思いついたようにアニーが口を両手で覆った。
「妄想……ローマからいらした……ボニーベンナルト様! もしや『君は僕の女神』の作者のボニーベンナルト様ですか!?」
「いかにも。その著書は儂のデビュー作じゃな」
「きゃあ! あとでサインをお願いしても!?」
「お安いご用じゃ」
「ありがとうございます! 本人にお会いできるなんて夢みたいですわ!」
ほがらかに笑うボニーベンナルトとは反対に、ジャンマルコはげんなりとしていた。
「まさかここにも親父の本が普及されていたとは……」
しかも、口にするのも恥ずかしいタイトルは、親父とお袋の出逢いの物語だ。親父の書いた本の中でも一等恋愛色が濃い。更にはそれが実録なのだから、いたたまれない気持ちになる息子の心境も解ってほしい。
「もちろん翻訳済みですが、ボニーベンナルト様の作品は、わたくしたち女性の間でとても人気なのですわ」
「それは嬉しい話じゃ。聞いたか、マルコ」
「……聞こえてる」
「奥さまは踊り子でしたわね! 女神に勝るとも劣らない美しさとか! 巡礼先での出逢いも素敵でしたわ!」
アニーの興奮ぶりに、それまで呆気に取られながら聞いていたリリアンがピクリと反応した。
「アニー、それは本当の話なのか?」
「ええ。彼はフィクションも手掛けてますが、デビュー作は奥さまとの出逢いからご結婚、新婚生活までを描いたエッセイですわ」
「ふぅん……」
何か言いたげなリリアンに、ジャンマルコはたじろぐ。やましいことがあるからだ。
「君の母君は強いと、父君がおっしゃっていたが?」
「気性がな! 気が強いの間違いだ!」
「それで踊り子か。そういえば、君の戦い方はまるで踊っているかのようで目を奪われたよ」
「そりゃあまた、すげー偶然だな」
「お嬢さま? マリアン様をご存じで?」
「それが母君の名前か。なるほど、気が合いそうだ。一度会ってみたいな」
「やめてくれ。おれの胃が潰れる」
ああ、母親が剣の師だと確実にバレている。こいつのたまに見せる勘の良さはなんなんだ。
「お嬢さま、興味がおありなら本をお貸しいたしますよ。一番グッとくる場面は、奥さまと結ばれるために聖職をお辞めになられるところですわ」
その言葉に、リリアンの目が大きく見開かれた。
「ボニーベンナルト殿は、神父ではなかったのですか?」
「今の儂は、物書きが趣味のただの老人じゃよ」
「お嬢さま、聖職に就かれている方は基本、ご結婚はできませんよ」
「そう、だ。そうだった。なんで忘れてたんだろ。神父は……だから……」
「お嬢さま?」
「や、ごめん、なんでもないよ。ボニーベンナルト殿も失礼しました。本当に奥様が大切なんですね」
「そりゃあもちろん。同じくらい、息子のマルコも大切じゃよ」
それを聞いて、どこか眩しそうにリリアンは目をすがめた。




