〜番外編〜 はた迷惑な人さらい騒動
この日、リリアンとアニーは、マリアンに連れられて、様々な市場が並ぶカンポ・デ・フィオーリ(花広場)に来ていた。仕立てが終わった服の買い取りである。仕入れた生地で仕立て屋に頼んでいたものが、どうやら出来上がったらしい。そのお供にリリアンが呼ばれ、ローマの市場に興味があったアニーにも声が掛かり、女性三人で出かけることとなった。
「こ、れ、どう? アニーちゃん。リリアンちゃんに似合うと思わない?」
「ええ! お嬢さまによくお似合いです」
「え?」
買い取りが済んだ服を身体の前で広げられ、二人で談笑する様子にリリアンは困惑を隠せなかった。
「待ってください。仕立てたのはマリアンさんの服だったのでは?」
「仕立てた服を取りに行くわよとは言ったけれど、アタシのとは言ってなかったでしょ? 最初からリリアンちゃんにプレゼントしたかったの。アタシのお古ばかりで申し訳なかったのよね。もちろん、アニーちゃん用にも仕立てて貰ってるわ」
「そんな! わたくしはただの召使い! そのような高価なものを頂く訳にはまいりません!」
「何言ってるの。アニーちゃんはアタシの友だちでしょ。違う?」
「マリアン様……」
「様はよしてちょーだい」
「アニーのことを気に掛けて下さるのはとても嬉しいです。しかし、私の分まではさすがに頂けません。それに代金は遅れますが、必ずお返しします」
「もう、そんな硬いこと言わないの。プレゼントって言ったでしょ? うちの愚息がお世話になったお礼よ」
「いえ、世話になったのは私の方で……」
「じゃあ主人、頂いて行くわね」
「ありがとうございました! またのご利用を!」
「マリアンさん!」
さっさと次の出店に移ろうとするマリアンのあとを慌てて追いかける。
「せめてお代は……っ」
「そんなに高い買い物じゃないからいいわよ。それにリリアンちゃん、お金の使い方知らなかったじゃない」
「ぐっ」
そうなのである。まだアニーたちがローマに到着する前のことだ。ジャンマルコと共に意気揚々と買い物に出かけたリリアンだったが、その時、ジャンマルコがすぐに支払いを済ませたことに大いに驚き、つい口を挟んでしまったのだ。
「え? お金を払うのか?」
「はあ? 払わねぇとドロボーだろうが」
「違う! こういうのは後からまとめて払うものじゃないのか?」
「……あー……そうか、お前が男爵令嬢なのを忘れてたわ」
「どういう意味だ」
「最初手ぶらで買い物に行くっつった時も、どうやって買うつもりだとは思ったんだよなぁ。そういうことか。あのな? リリアン。市民は基本、その場で対価を支払う。後からまとめて支払うのはお貴族様くらいだ」
「え?」
「もっと言えば使える硬貨も違う」
「それは知っている!」
当時、ローマで流通していたのはスクードという通貨であった。一方、パリで使われていたのはエキュという通貨である。
リリアンは他国の言語と通貨は学んでいたが、スラムの暮らしから一転して貴族となった為、買い物は全て後払いという認識が身についてしまっていた。それを初めて指摘され、己の世間知らずを恥じ入った。
「さすがお勉強熱心ですね、お嬢様」
「……馬鹿にしてるだろ」
「いーや。どっちかというと、ようやく令嬢らしいところが見られてホッとしたわ」
「……誰にも言わないでくれ」
「気が向いたらな」
ジャンマルコとの会話を思い出していたリリアンは、自宅謹慎中の彼に腹を立てた。
(内緒にしてくれと言ったのに……!)
しかし想像の中のジャンマルコは、悪戯っぽい笑みを浮かべて舌を出していた。人の気も知らないで、憎たらしいことこの上ない。
それより今は、彼の母親を止めるのが先決だ。
「お金のことは、確かに、そうでしたが、今はちゃんと解っています! 今は手元にはありませんが、後日きちんと用意して……」
「ねぇ、次はどの屋台を見てみる?」
「マリアンさん!」
このように後手に回るリリアンの姿を見たら、きっとジャンマルコもアスタロトも驚愕に目を瞠っただろう。それほどに珍しい光景であった。
そんな女性たちだけの有意義な時間を過ごしていたその時だ。突然、背後から男に声を掛けられたのは。
「見たところフランスから参られたのでしょうか? 買い物は楽しまれておりますか? 自分は商人なのですが、ここだけの話、ローマの店では並ぶことがないような珍しい品を扱っておりまして。是非あちらでご覧になってみませんか?」
そう言って路地裏を示す男は三十代半ばに見えた。男が彼女たちをフランス人と勘違いしたのは、イタリア語を話せないアニーに配慮してフランス語で会話をしていたからだろう。さきほど、店主にはイタリア語で話していたマリアンを知っていたならば、そのような勘違いも生まなかった筈だ。商人によっては国を跨いで商売する者もいる為、多様な言語を操れるのも納得はいくが、果たして……。
「フランス語がお上手ね」
「旅商人でございますので」
「なぜアタシたちに声をかけたの?」
「え、……それは、せっかくフランスから参られたのでしたら、ここの特産物を紹介致したくて」
「あら? ローマには無い珍しい品を見せてくれるんじゃなかったのかしら?」
「………」
男はサッと顔色を白くし、口をパクパクさせていた。リリアンとマリアンの思考は一致した。こいつ、三流だ。しかも悪事に慣れていない。初犯といったところだろう。
二人は無言で見つめ合うと、同時にアニーの背を押した。それから小声で彼女に声を掛ける。
「ごめんアニーちゃん、ちょっと用事ができたわ。先に帰ってて貰える?」
「私からも頼む」
「で、ですが、どう見ても怪しいですよ」
「そうね。たぶんアタシたちに声をかけてきたのも、土地勘がないと侮ったんでしょうね。最近かどわかしが多いから、それね、きっと」
「人間が商品ということは人身売買の類でしょうか」
「そうねぇ。嫌だわ。うちの恥ずかしいところを見せちゃったわ。ローマはいいところでもあるのよ?」
「知っています」
「待ってくださいっ、そこまで解っているなら早く逃げましょうっ」
「いや、三流だとは思うが、もしかしたら既に囚われた人がいるかもしれない。放ってはおけない」
「お嬢さまっ」
「リリアンちゃんも先に帰ってなさい。アタシひとりで片付けて来るわ」
「ご冗談を。淑女を護るのは騎士の務めです。ご存じなかったので?」
「はぁ~あと二十年早く出逢いたかったわ。この際性別はいいわ」
「おや、ボニーベンナルト殿はいいのですか?」
「ふふ、危なかったわ。夫一筋がアタシの誇りなの」
「あなたのそういうところ、とても好感が持てます」
「ありがと~」
「お二方、何を呑気に! ああ、とうとう向こうが痺れを切らしたじゃないですか!」
それまで声量を落としていたアニーが叫んだ。商人を偽っていた男の後ろから、新たに二人の男が現れたからだ。
「せっかちねぇ。そういうことだから、アニーちゃん走って」
「アニーのあとは絶対に追わせないから安心してくれ」
「ですが!」
「じゃあ帰ってから応援を呼んでくれ」
リリアンの提案にアニーはようやく頷いた。
「お嬢さま! マリアン様! どうかご無事で……!」
アニーが走り去ると同時に男の一人が飛び掛かってきたが、リリアンがすかさず足をかけて転倒させた。そして立ち上がる隙も与えず後頭部に向かって踵を振り下ろした。ガンっと金属音を立てて男はあえなく気を失った。
「いい音がしたわねぇ。リリアンちゃん。そのブーツ、何か仕込んでる?」
「はい。靴底に鉄板を」
「ふふ、素敵」
「て、てめぇら! いきなり何しやがる!!」
「あの女性は諦めてくれ」
「は?」
「その代わり、私たちがさらわれてやる」
「はああああ?」
商人に扮した人さらいたちにとっては願ってもいないことだったが、如何せん相手が怪しすぎた。しかしどちらも容姿が優れていた為、高く売れる可能性の方を優先してしまう。
「……ついて来い」
人さらいたちの命運が決まった瞬間だった。
「これ! マルコ! インクを返さんか!」
「駄目だ」
「それが無いと続きが書けぬじゃろう! お前とお嬢さんの愛の軌跡が……!」
「だからだよ!!」
現在ニコラ家は、ジャンマルコとボニーベンナルト、アスタロトがそれぞれ好きに時間を過ごしていた。アレクシスは任命式を終えたばかりだが、聖域で過ごす為のしきたりなどを身につける為、ここしばらく日中は教会で過ごしている。彼は断ったが、異国ということもあり、クレマンが御者となり馬車を駆り、今日も二人は不在だった。もっと言えばアレクシスを心配してついていったシャルロットも不在である。そしてラファエルはというと、「また来るね」と残し、今は天界に戻っていた。長く人間界で過ごしていたせいで溜まった毒を抜く為だそうだ。天使は不憫ですねと他人事のように見送った元天使のアスタロトは、目の前で繰り広げられている親子喧嘩を尻目に、壁に背を預けボニーベンナルトの著書を読みふけっている。実に人間くさい悪魔である。
「だいたい嘘を書くな! 何が愛に軌跡だ! おれらは出逢って間もなく悪魔をぶっ殺してんだ! それだって悪魔をその目で見てねぇ奴らは信じねぇだろ!」
「むぅ、確かに。なら悪魔はやめて人間にするかの」
「よりやべー方向に持っていこうとすんな!!」
インク瓶を片手にジャンマルコが吠える。父親はローマに戻って来るなりペンを取っていた。謹慎中もあり暇だったジャンマルコは、今度は何を執筆しているのかと珍しく好奇心を持って父親の手元を覗いた。そして唖然とした。見間違いであって欲しかったが、読めば読むほど見覚えがある内容であった。しかもところどころで甘ったるい雰囲気を漂わせており、我慢できずインク瓶を取り上げたところで冒頭に戻る。
物語の内容について親子が争っていたその時、書室の戸が勢いよく開かれた。そこにはホーマン家の使用人、アニーが息を切らして立っていた。日頃礼儀正しい彼女の慌てぶりに彼らは驚きを隠せず、一時休戦とした。
「どうなさったのじゃアニーさん」
「お、お嬢、さま、と、マリ、アンさま、が……」
「アニー殿、落ち着いて話して下さい。母とリリアンがどうしましたか?」
ジャンマルコが彼女の背を優しくさすって続きを促すと、息を整えたアニーがあえぐように続けた。
「ならず者にさらわれました……!!」
一拍、二拍、三拍と時は流れたが、誰からのリアクションもなかった。まさか聞こえなかったのだろうかと、混乱に陥っていたアニーは再び叫んだ。
「お嬢さまとマリアン様がさらわれました!!」
「あ、すみません。聞こえてます」
つい黙ってしまったことを詫びるジャンマルコ。彼はしょっぱいものを含んだような顔をしていた。それはボニーベンナルトも同じであった。
「あー……っと、何でしたっけ? お袋が人さらいを殺したんでしたっけ?」
「ち、違いますよ! さらわれたんです! それにマリアン様はそのような物騒な方ではありません!」
「あ、そうでした」
母親が元暗殺者であることはリリアンと、今はいないアレクシス、そしてアスタロトしか知らない情報であった。
「クレマンも旦那さまもおりませんし、ジャンマルコ様、どうか助けて頂けませんか?」
必至に懇願するアニーにジャンマルコは曖昧な笑みを浮かべる。
「はい、解りました。場所を教えて貰ってもいいですか?」
「ジャンマルコ様……!」
心の中では、おれの助けっているか? と思ったが、かろうじて口にするのを堪えた。
「あの娘たちに助けとかいります?」
「空気読め悪魔ー……」
人が言いたくとも言えなかったことを勝手に代弁する悪魔を睨み付ける。しかしアスタロトはどこ吹く風で再び書物に目を落とし始めた。こいつ……っ。そもそも、もし危険な目に遭っているならばこの悪魔が飛んで行っているだろう。いつでも呼べるアスタロトがここにいることも無事な証拠だった。
「あの悪魔の言うことはお気になさらず。それで? その人さらいが現れた場所はどこでしょう。今日はカンポ・デ・フィオーリに行く予定でしたよね? もしやそこですか?」
「は、はい!」
「あなた誰ですか」
「てめぇは黙って本だけ読んどけ」
自分だって淑女には優しくする。淑女には。
自宅謹慎中ではあるが、この場で動けるのは自分だけだ。悪魔は動く気がないだけであるが。とりあえず彼女を安心させるた為に、行くだけ行ってみるかと扉に手を掛けた時だ。
「ただいまー! は~久ぶりに身体動かしたら汗かいちゃったわ。マルちゃんお風呂準備して~」
「ただいま帰りました。先にアニーは帰ってきてますか?」
呑気な声が二つ、玄関の方で上がったのは。
知っていた。知っていたが……。
ジャンマルコはふるふると肩を震わせた。
「いっぺんさらわれて来い!!!!」
どいつもこいつも空気を読めと強く思った。
アニーの無事も確認できたリリアンはホッとすると同時に、先ほどから機嫌の悪いジャンマルコに困っていた。ちなみにマリアンは入浴中である。
「いつまで怒ってるんだ。心配かけたのは悪かったと思うが」
「欠片も心配してねぇよ」
「ならなんで怒ってるんだ」
「怒ってんじゃねぇ。どうせなら道化を演じる前に帰ってきて欲しかっただけだ」
はあ、と深くため息を吐くことで苛立ちを抑えると、改めて事のあらましを聞き出した。すると、実際には一度さらわれていたらしい。まぁ正確にはついて行ったというのが正しいが。アジトに着くと既に数人の女、子どもが囚われていたこと。どう彼女たちを逃がそうか思案していた時、頭領らしい男が母親のことを、よく見たら歳を食ってるから買い手がいないと言ったこと。ブチ切れた母親が大暴れしてアジトを壊滅したこと。そして盗賊たちを役人に引き渡し、さらわれていた人たちも解放したこと。そこまで聞き終えたジャンマルコは今日の夕飯のメニューを考えていた。現実逃避である。
「それからな」
「まだあんのかよ……」
「最初に声をかけて来た三人組なんだが、元は貴族に仕えていた使用人だったらしい。それがその貴族が没落したことで、三人は職を失って困っていたそうだ。特に一人は教養があってな。語学が達者だったぞ。だけどその才能を盗賊に目を付けられ、仕事を手伝うように脅されていたらしい」
「ふぅん。そりゃ災難だったな。だが全員どうせ縛り首だろ」
「ああ、マリアンさんに聞いた。盗賊は罪が重いことも、極刑なことも。厳しいな、この国は」
「お前のとこほど甘くねぇからな。同情してんのか?」
「罪を犯したのなら仕方がないと思うが、三人組は脅されていたんだ。やりきれないだろ?」
「……脅されていたことと、初犯であることを証言したら少しは融通が利くと思うぜ。まぁ、生かされてもこれから先の人生の保証はねーけどな」
「ああ! それもマリアンさんから教えて貰った。なら私が貰ってもいいよなと思って」
「…………なんて?」
「うちの使用人として連れて帰ろうと思って」
「は?」
聞き違いかと思って再度確認してみたら、どうやら話は本当で、その三人組は外で待機させているらしい。は? 意味が解らなかった。
「……同情したのか?」
「いや違う」
「なら頭でも打ったのか」
「失礼だな。ちゃんと考えた結果だ。一応アレクにも相談するが、ローマに帰ったら私は以前のように巡回まで手が回らなくなる」
「ああ、お前が当主になるんだったな」
「そこでフランス語ができる人間がちょうどいたら雇いたくなるだろ。あとの二人には覚えて貰うことになるが」
「なんねーよ! よく自分をさらった奴らを雇おうと思ったな!」
「無事だったし」
「結果論だろ!」
「慕ってくれてるし」
「なんでだよ!!」
「マリアンさんから庇った」
「………」
お袋! ジャンマルコは心の中で叫んだ。
「それでも、アレクシス殿が許可するとは思えねぇぞ」
「なぜだ? アレクは慈悲深いぞ。きっと許してくれる筈だ」
「………」
「今日はよく無言になるな」
あの男が慈悲深い? さんざん苦汁をなめさせられたジャンマルコはすぐに頷くことはできなかった。だがまぁ、確かに困っている奴がいたら見捨てることはしないかもしれない。それは付き合いの浅い自分でも解った。
(その代わり、めちゃくちゃいびられるんだろうな)
ジャンマルコの予想通り、教会から帰ってきたアレクシスは、今回の事件を聞いて泡を食うほど驚いていた。そしてリリアンの無事を喜んだのも束の間、彼女の突飛な提案に苦虫を噛んだような顔で頷いていた。その夜のことだ。三人組はアレクシスに呼び出され『お話』をしたらしい。翌朝になると、目の下にクマを作った三人組が、リリアンに向かって必死に忠誠を誓っていた。その様子にすべてを察したジャンマルコは、静かに胸の前で十字を切った。こうしてホーマン家には、用心棒としての新しい家族が増えたのだった。




