〜後日談〜 その後、彼らは
「いらっしゃあい! あら、マルちゃんのお客様って女の子だったの? さすがアタシの息子! やるわねぇ!」
マリアンの歓迎する声にジャンマルコは顔を両手で覆った。
「どうしたのよ」
「惜しいのを悔しがればいいのか、己の母親の解明度の高さに慄けばいいのか……」
「おかしな子ねぇ」
それより、とマリアンはリリアンとアレクシスを交互に見た。
「どっちがマルちゃんの恋人?」
これにはジャンマルコが噴き出した。一瞬空気が冷えたのは気のせいではない筈だ。
「お袋! おれ言ったよな!?」
そう、此度の帰宅は前もって自分だけ先に帰り、自宅謹慎になった旨、その理由、そして客人が二人いることを伝えておいた。そこで気づく。性別を伝え忘れていた。いや、しかし普通に考えれば解るだろう。……解る筈、だと思っていた。
(怖くて後ろが見れねぇ)
恋人その二に間違えられたアレクシスは前に出ると、恭しくマリアンの手を取り、その甲へと唇を近づけ、数ミリ開けてから顔を上げる。
「貴女にキスを贈れないのが残念でなりません美しい女性。僕はアレクシス・ホーマン。パリから参りました。ご子息には大変お世話になっております」
力技で行きやがった!
ジャンマルコは戦慄した。己の母親を目の前で口説かれているのも問題だが、わざと訂正しない辺りにアレクシスの矜持を感じた。
「まぁ、ごめんなさい。男の人だったのね。それにしてもお世辞がうまいのね。でも残念。アタシは夫一筋なのよ」
「そんなところも魅力的ですね」
「いつまで人の母親口説いてんだあんたは! あとお袋も! この人はおれより十は歳が上だぞ!」
「まぁ!」
マリアンは本気で驚いた様子で続ける。
「女の子じゃないことよりびっくりだわ」
「あはは、よく言われます。年齢不詳の女顔だと」
棒読みの笑い声が恐ろしくてたまらない。そこへポンと肩に手を置かれる。リリアンだ。怯えるジャンマルコに、彼女は内緒話をするかのように囁いた。
「よかったなマルコ殿。言ったのが母君で。これが男だったら消されてたぞ。アレクは極端に若く見られることも、女性に間違えられることも、凄く嫌がるからな」
それはおれが消される流れでは……?
「あ、勘違いしないでくれ。消すといっても社会的にだ」
「何ひとつ安心できねーんだけど!」
物理じゃないのかよかった~とか思う阿呆がいたら見てみたい。
こそこそしているのを勘違いしたのか、マリアンの瞳が意味深に光る。
「なるほど、あなたね! マルちゃんの恋人は!」
この母親は……! いい加減にしろ! とジャンマルコが前に出ようとした時、アレクシスと代わるようにしてリリアンがその場に膝を着いた。そしてマリアンの両手を包むように握りながら微笑む。
「初めまして、美しい女性。私も同じくパリから参りました、リリアン・ホーマンと申します。そこのアレクシスは、私の養父です。此度はあなたの宝であるご子息に多大なご迷惑をお掛けしてしまいました。お詫びのしようもございません。ローマに滞在する間、私に出来ることがあれば何なりとお申し付けください」
リリアンの深い青の瞳に射抜かれ、マリアンは思わずポっと頬を染めた。初めて恋を知った少女のように視線をうろつかせて動揺を露わにする母親を、ジャンマルコは死んだ目で見ていた。それからアレクシスに問う。
「なぁ、あんたらの家訓って、女を見たら口説かないと死ぬとかあんの?」
「まさか。僕のは単なる挨拶だけど、リリーのあれは素だよ」
「素!?」
あれが!? あれで!? 驚くジャンマルコにアレクシスは大きく頷く。
「舞踏会にたまにリリーが参加すると、婦人から未婚の令嬢まで軒並み虜にしていたよ」
「だろうな」
「逆に男たちからには軒並み煙たがられていたけどね」
「だろうよ」
ようやく我に返ったマリアンは、未だ膝を着いたままのリリアンを慌てて立たせた。
「いやだわ、お膝が汚れちゃう。さぁ立って。それよりも驚いたわ。パリから来たんでしょ? イタリア語がとってもお上手なのね」
「お気遣いありがとうございます。イタリア語は教養の一貫として学んだのですが、こうしてあなたと話せるのなら、あの頃の努力も無駄ではなかったと思えます」
「そ、そう……なの。それは光栄ね。……マルちゃん、たすけてぇ……」
「何から何を助けりゃいいんだよ」
「こらマルコ殿、大切な母君に乱暴な物言いはよせ」
「お前も息をするように口説くのをやめろ」
「なんのことだ?」
「まじで素かよ……」
いや、よく思い返したみたら結構そんな要素があった。幽霊騒ぎの時とか。あの時も内心でマジかよと思っていた。そして恋人ができても絶対に紹介したくないとも。あ、これはシャルロット殿に言った気がする。
(そうだ! シャルロット殿!)
そして思い出す。物理的移動を不要とする人たち、いや人外の人を。ちょっと自分でも何言ってるか解らなくなってきた。
「アレクシス殿、シャルロット殿たちは何時ごろ合流する予定だと?」
「ああ、全部終わったら鉢合う約束してからね。もう会う? たぶん呼べば来てくれるよ。けど、君のお母さんにはなんて説明する?」
「………」
目下の悩みはそれである。元聖職者だった父親は割りとすぐ悪魔も天使も受け入れたが、母親はどうだろう。
(家ではなく外で合流した方が……)
そう考えていた時だった。
「ところでマリアンさんは、天使や悪魔は信じますか?」
「いきなりなぁに? そうねぇ、言われてもパッと来ないけど、アタシは目に見えるものは信じるわ」
「それは良かった。では、アスタロト殿、シャルルさん、ラファエル殿、いらしてください」
唖然とするジャンマルコを置きざりに、リリアンは目の前に現れた三人を掌で指し示しながら続けた。
「紹介致しますね。右から悪魔のアスタロト殿、天使のラファエル殿、そしてこちらが父の姉で守護天使のシャルロットさんです」
バターン! そうけたたましい音を立ててマリアンは背中からた倒れた。リリアンは支えられなかったことを悔いながら彼女を抱き起こすと、困ったようにジャンマルコを見あげた。
「どうしようマルコ殿、マリアンさんが気を失ってしまった」
「当たり前だ!!!!」
「すまない。彼らなら先に紹介できると思って気が急いてしまった。もう少し小出しにするべきだった」
「そういう問題じゃねぇよ」
「ん……」
「お袋! 気が付いたか!」
リリアンの腕の中で気を取り戻したマリアンは緩く首を振った。それからジャンマルコを見つけて恐る恐る問う。
「マルちゃん? アタシどのくらい寝てた……?」
ジャンマルコは客人の前だからと納得して答える。
「大丈夫だ。主の祈りをいくつか唱えるほどだ。そんなに経ってねーよ」
聞いたマリアンは勢いよく起き上がると心臓に手を当てた。
「いやだわアタシってば、現役の頃ならとっく死んでるわ」
「そっちかよ!」
「ご安心を。私が指一本触れさせません」
「元凶が言うな!!」
誰か気付けの白湯を……って、おれしかいねぇ!
バタバタと台所に向かうジャンマルコの後ろをアレクシスが追う。
「なんでついてくる」
「僕も用があって。ねぇ、清潔な布ってある?」
ジャンマルコはハッとし、素直に綺麗な布を渡した。湯を二人分沸かし、ひとつの方には布を沈めて待つ。
「君のお母さんって面白いね」
「気軽に惨事を起こすあんたの娘にゃ負けるわ」
「現役って?」
「それも娘に訊きゃ解るだろ」
「あの子は人の許可なく秘密をしゃべらないよ」
そうだっただろうか……? 思い返してもみれば確かにと思うものの、
「あいつの場合、言わなきゃなんねぇことも黙ってねぇか?」
「それはごめんね。でも、大半はわざとじゃないんだよ」
「余計に質わりーわ!」
「それで現役のことなんだけど」
「続けるのかこれ?」
「君が剣を振るうのと関係あるのかな」
「実はもう知ってんだろ」
「ただの答え合わせだよ。仮にお母さんが君の剣の師として、戦える異端審問官ね。なるほど暗殺向きだ。それで君がやって来た時期といい。君さ、僕の首獲りに来たんでしょ」
笑みさえ浮かべる男にぞっとする。
「……だったらなんだ。今ごろ恨み言かよ」
「違う違う。言ったろ? 答え合わせだって。あとは興味本位。そういう最悪の事態が起こり得ることも、僕もリリーも予想してたからね。けれど予想外にチョロ……絆され易い子が来てくれて助かったよ」
「誰がチョロいだ!」
「せっかく言い直したのに」
今度は一転して幼子のように口を尖らせる男に力が抜ける。いったいどちらが彼の本質なのだろうか。
(食えねぇ男)
その食えない男が同僚で上司になるのだから、正直気が滅入る。国が違う為、直接的な関わりはないにせよだ。
「マルちゃん、僕のこと苦手でしょ」
「そういうところだよっ」
「あはは、僕は君のこと気に入ってるよ。リリーの為に十字架まで外すとは思わなかったよ。ありがとう」
「そ、れは……」
彼女は知る由もないだろうが、聖職者が十字架を外すという行為は大きな意味を持つ。言わば神の下僕を自ら辞めるというものだ。元々破門覚悟で乱入した裁判であったが、あの場が有耶無耶にならなければ、今、自分は聖職者の肩書を失っていた。
「……出来ればあんたの娘には言わないで欲しい」
「言わないよ。そんなわざわざ君の株が上がっちゃうようなこと」
「………」
言い返そうと開いた口からは吐息だけが漏れる。何とか堪えたものの、本当は声を大にして言いたいことがあった。
——大人げない。
これに尽きる。しかし言ったが最後、ネチネチと言い負かされる未来も目に見え、ジャンマルコは唾を飲み込むことで堪えた。英断である。
そうしている内に双方の準備が終わり、女性二人の元へと向かう。
「おら、これでも飲んでちったー落ち着け」
「ありがとうマルちゃん」
「そんでもってその呼び方はやめろ」
「リリーはこっち」
「え?」
ぐいっと顔ごとアレクシスに向けられたかと思うと、前髪を掻き分けて温かいものが額に押し当てられた。ピリリとした痛みがそこに走る。
「あ」
「もう、雑に処置したでしょ。傷になったらどうするの」
かさぶたになりつつあった傷口を優しく拭われる。
「気づいてたのか」
「当たり前でしょ。裁判の時には気づいてたよ。どうしたのって訊かないから、ちゃんと手当てをさせて」
「うん、ありがとうアレク」
マリアンは隣で行われる二人のやり取りを見ながらジャンマルコを見上げ、また二人を見る、と繰り返し、それから言った。
「もしかして劣勢?」
「何がだ! いや言うな。おれの胃の為にも」
「本当に美男美女ねぇ。あ、マルちゃんも男前よ! お父さんに似て」
「その話、続けなきゃ駄目か?」
「禁忌の恋かぁ……それはそれで萌えるわね」
「ちょっともう黙っててくんねぇ?」
「解るーーー!!」
そこで飛び出したのがシャルロットだった。アスタロトとラファエル? 壁の花です。むしろアスタロトは積極的に気配を消していた。
「私も怪しいと思ってたの!」
「やっぱりぃ? どっちがそう?」
「アレクかしら。でも無自覚っぽいのよ」
「きゃあ! もどかしい! そういうのも萌えるわよねー!」
「よねー!」
「すげーな。初対面でここまで息が合うのも」
シャルロットとマリアンは、それこそ手の大きさは違うが、互いに手を合わせてきゃあきゃあと騒いでいる。これは踏み込めない領域だと、ジャンマルコは暗殺者特有の足どりで気配も音もなくその場を離れた。無駄な能力の使い道である。
「あなたもお疲れ様でしたね」
「……どれ?」
「は? 裁判に決まってるでしょう」
「ああ、そっちな」
アスタロトに労られるのも珍しいが、その前にどれに対してのお疲れ様なのかが疑問だった。終始、疲れることの連続だった為に。
「裁判はおれよりアレクシス殿の方が活躍したぜ。お前知ってたか? 聖痕と次期司祭長のこと」
「は?」
「……マジであの野郎、誰にも告げずに来やがったのか」
秘密主義は親子揃ってだったか。しかし父親の方は一から十まで故意である。最悪だ。
「ぼくは知ってたよー。主から聞いてたからね」
「ラファエル! どういうことです!」
「聖痕とお告げをお授けになったらしいよ」
「そんでもって次期司祭長だとよ」
「そんなっ」
「驚くよな」
「これでルシファーの思惑は叶いませんね! ざまーなさい!」
あれ? 予想していた反応と違うぞ?
「地獄の王がなんだって?」
「あの人間のことを偉く気に入ってましてね。たぶん死んだらルシファーの傍に置かれていたでしょうね。でもそれも叶わなくなりましたし、胸がすきました」
「仲間なんだよな?」
「あなた、尻ぬぐいばかりさせる同僚がいたら、置き換えて想像してごらんなさい」
「すげースッとしたわ」
なるほど。地獄も案外、人間社会と変わらないらしい。統治する側によるが。というか悪魔によるのか? まぁとにかく、この悪魔が苦労しているのは解った。
「尻ぬぐいってあの雑魚悪魔たちのことだよな? 全部いなくなったことだし、地獄に帰るのか?」
「雑魚悪魔……人間にとっては雑魚でもなかったのですが、まぁいいです。わたくしはもう少し残ろうかと。帰っても仕事の山が待ってるだけですし、この際思いきり羽を伸ばします」
「知ってるか? 先延ばしにしても山は崩れねぇってこと」
「知っていますよ! だから尚更帰りたくないんじゃないですか! 現実逃避くらいさせて下さい!」
わっと顔を覆って叫ぶ悪魔に親近感を覚える。聖職に就きながらどうかと思うが、たぶんこの悪魔が悪魔らしくないのがいけない。
「マルコ殿!」
「ジャンマルコだ! もういい! 次はなんだ!」
リリアンの呼びかけに応えると、彼女は目をキラキラさせていた。
「マリアンさんが私たちを泊めてくれるそうだ!」
「はあ? お袋!」
「いいじゃない。客室とかはないけど家は広いんだから、女の子、男の子同士で寝れば」
「……女の子?」
「何か文句ある?」
「アニーはあなたに憧れていたのできっと喜びます」
「まぁ! それは楽しみだわ!」
これは姦しくなりそうだと、ジャンマルコはげんなりした。
「僕は宿でも構わないよ?」
「いい。おれもあんたん家で世話になったからな。うちで良ければ泊まっていってくれ」
「そう? じゃあパリに帰るまでお世話になろうかな」
「わたくしは雑魚寝はごめんです。ひとり部屋をお願いします」
「いやなんでてめぇまでさらっと泊まる方向にいんだよ。地獄に帰れよ。つーか色々厚かましいな」
文句があるなら別に宿を取れと言い足され、アスタロトは渋々了承した。今更知らない人間と関わるよりはマシと判断したそうだ。
「アスタロトくんと一緒に寝るの久しぶりだなぁ」
「まぁそうですね」
「そういえば天使や悪魔も睡眠って必要なのか?」
ラファエルとアスタロトは顔を見合わせ同時に言い放った。
「「気分」」
「……そういや食事もそんなこと言ってたな……」
食べなくても死なないが美味しいものは好むとか。そこは天使も同様なのか。
「そうと決まれば多めに食料買っておかなきゃね。マルちゃんお使いヨロシク」
「謹慎中だって言ったよな?」
「細かいわねぇ。いいじゃないお買い物くらい」
「息子を破門に向かわせようとすんな」
「元はと言えばマルコ殿の謹慎は私のせいだ。買い物には私が行ってくる」
「は!?」
さっそく玄関に向かうリリアンの手を慌てて掴む。
「お前は人目に晒されたばっかだろ! また危害を加えられたらどうする!」
「今度は避けるよ」
「そういう意味じゃねぇ~」
「そうだよ、リリー。土地勘のこともあるし、ここはマルコ君に甘えよう」
「いや、マルコ殿には迷惑ばかり掛けてるからな。ここで世話になる以上、出来ることはやりたい」
「もう頑固なんだから」
「だったらおれの為にも大人しくしててくれ」
「でもお使い……」
「おれが行くから」
「謹慎は?」
「……遊びに行く訳じゃねぇんだ。大丈夫だろ」
バレたら上司に平謝りだなと腹を括る。
「アレク……」
じっとアレクシスを見つめるリリアン。数秒と満たない時間だったが、彼の方が折れた。特大のため息付きで。
「いいよ。その代わり、何かあったらマルコ君を盾にするんだよ」
「ありがとう!」
「待て! 目で会話すんな!」
「そういうことだ。一緒に行こう。荷物くらい持たせてくれ」
「どういうことだ! 勝手に話を進めるな!」
「僕もついて行きたいところだけど、さすがに三人だと目立つしね」
「だったらあんたが来いよ!」
「僕が? 君の為に? 荷物持ちを? 男二人で?」
「………」
男なら一人で持てるだろ? 娘の手を煩わせるなという幻聴がしっかり聴こえた。いっそもう一人で行きたいと思ったが、共に行く気満々のリリアンから手を引っ張られ断念する。
「早く行くぞマルコ殿」
「だからジャンマルコだっつってんだろ! いい加減ジャンが可哀想だろ!」
「そんなに嫌か? 愛称のつもりだったんだが」
「おれは知ってるぞ。初対面から言ってたのを」
「だから初めから仲良くしたかったんじゃないか」
「……もう黙ってくれ」
言いながら歩を進め、彼女の前を歩く。そして引かれていた手を逆転するように引き直す。
「マルコ殿、手を」
「はぐれないようにだ」
力を込められ痛い筈なのに不快さはない。そのことを不思議に思いながら、リリアンはハッとする。
「リリアンと呼んでくれる約束だろ」
「今!? っ……くそ! 行くぞリリアン!」
「………」
「ここで黙るのかよ!?」
「いや、驚いて」
「お前が呼べっつったんだろ!」
「そうなんだが、想像以上に嬉しくて、つい返事を忘れてしまった。すまない」
「っ……それ以上口を開くな!!」
「黙るなとか黙れとか、忙しい男だな君は。あまり振り回さないでくれ」
それにはジャンマルコも苦言を申した。それはもう、喉が張り裂けそうなほどに。
「どっちがだ!!!!」
その後、滞在中にアレクシスの任命式が行われたり、リリアンが拉致されたりと色々あったが(後者に至っては一日で解決した)、無事パリへ帰るまで充実した日々を送ったそうだ。




