第4話:実家の食卓と、泥の足跡
第3話もお読みいただき、ブックマークや温かい評価を本当にありがとうございます! 不憫な佐藤さんのオフィスパニックを楽しんでいただけましたでしょうか(笑)。
さて、自分の部屋、友人のサロン、そして職場まで見事に怪異の餌食にしてきた(自覚ゼロの)主人公・楓ちゃんですが、今回はついに彼女の「実家」へとその災難が雪崩れ込みます。
平和な日曜日の食卓に現れた「泥の足跡」の正体とは……? そしてご家族の運命は!?
それでは、第4話スタートです!
週末の日曜日。
水野楓は、実家のある郊外の住宅街へと足を運んでいた。
一人暮らしの殺風景なアパートとは違い、実家には定年退職した父親と、パートに出ている母親、そして私立高校に通う弟の三人が暮らしている。玄関のドアを開けた瞬間、我が家お馴染みの、どこか懐かしいカレーの匂いが鼻腔をくすぐった。
「ただいまー」
「お、楓か。ちょうどいいところに帰ってきたな。今ちょうど昼飯の準備ができるところだぞ」
リビングからひょっこり顔を出した父親が、いつもの穏やかな笑顔で迎えてくれた。
ダイニングテーブルにはすでにランチョンマットが敷かれ、母親がテキパキと小鉢を並べている最中だった。
「あなた、最近また変なところに出歩いてるんでしょ? メディアのニュースとかで心霊スポットのトラブルとか見るたびに、お母さん心配で夜も眠れないんだけど。体調は崩してないの?」
キッチンから出てきた母親が、心配そうに眉をひそめながら楓の顔をじっと覗き込んだ。
そんな母親の心配を軽く受け流すように、楓はダイニングチェアにドスンと腰を下ろし、得意げに胸を張ってみせた。
「大丈夫だって、お母さん。私なんて超がつくほど健康だし、そもそも霊感ゼロだから。この間なんて、ネットで噂の『赤沼トンネル』で一晩中過ごしたのに、蚊の一匹すら寄ってこなかったんだからね」
その言葉を聞いた瞬間、テーブルの向かい側に座ってスマートフォンをいじっていた高校生の弟・拓海の箸が、ピタリと動きを止めた。
「……姉ちゃん」
拓海は、青ざめた顔でスマホをテーブルに置き、リビングの床を指さした。
「……それ、本気で言ってんのかよ」
「え? 何がよ。そんな怖い顔してさ」
拓海は引きつった目で、玄関からリビングへ続く廊下の床をじっと見つめている。
「さっきからさ、姉ちゃんの足元……いや、玄関のほうからずっと、ぐちゃぐちゃした泥だらけの足跡が、このリビングの椅子まで一直線に続いてるんだよ」
「は?」
母親が慌てて足元に視線を落とした。
綺麗にワックスがけされた明るいフローリングの床の上には、ありえないものが広がっていた。
ぽつり、ぽつりと、生乾きの泥を含んだ足跡が、玄関の方から楓の座る椅子の足元へと、綺麗に一列に伸びていたのだ。しかも、その足跡の主は、どう見ても人間の生きた足ではない。足の裏の形が不気味に歪み、指先や爪の向きが通常ではありえない角度でねじ曲がっていた。
「なんだこれ……? お父さん、靴のままリビングに入ったりしたのか?」
父親が困惑した表情で首を振る。
「いや、俺はそんな足跡つけてないぞ……第一、今日の天気は雲一つない快晴だ。どこで泥なんかつくんだよ」
家族全員の視線が、一斉に楓の足元に集まった。
楓は慌てて自分のスニーカーを持ち上げて裏側を確認した。しかし、ソールは昨日のうちに綺麗に洗ったばかりで、泥なんて一粒もついていない。
「おかしいなあ……。私、さっき帰ってきたとき、ちゃんと玄関で靴を揃えて上がったよ?」
――その時だった。
ダイニングの天井の隅から、ポツリ、ポツリと、冷たい水滴のようなものが垂れてきた。
母親の頭のすぐ上のテーブルクロスに落ちたそれは、透明な水ではなく、赤黒く濁った、ねっとりとした粘性の液体だった。
「ひっ……!」
母親が心底怯えた悲鳴を上げ、椅子からガタガタと飛び退いた。
「お母さん!? どうしたの急に、そんなに怯えて……!」
楓が慌てて立ち上がろうとした瞬間、リビングの空気が一気に凍りついたように冷え込んだ。暖房が効いているはずの部屋の温度が、真冬の冷凍庫よりも冷たく肌を刺す。
楓の背後には、これまでの心霊スポットで彼女を「乗り物」にしてついてきた無数の影たちが、隙間なく群がり、リビングの家族をじっと見つめていた。
首の曲がった女、オフィスのコピー機から声を漏らした男、そして泥だらけの子供たち。
彼らは楓の体温を頼りにここまでやってきたが、肝心の楓自身がまったく恐怖せず、霊気すら感じないため、退屈を持て余していた。だからこそ、彼女の家族が上げる怯えた声や、恐怖に歪む表情を見て、面白そうにクスクスと歪んだ笑い声を漏らしているのだ。
もちろん、その不気味な霊たちの声は楓には一切聞こえない。聞こえているのは、家族の怯えた震え声だけだった。
「ねえ、みんなしてどうしたの? そんなに青い顔して……。もしかして、本当に何か変なものがこの家にいるの?」
「お前だな……!」
弟の拓海が、恐怖と怒りが入り混じた目で、姉である楓をにらみつけた。
「姉ちゃん、最近変なスポットばかりウロウロしてただろ!? 何か……何気ない顔をして、とんでもない化け物を家の中に連れ込んできてるんだよ!」
「えっ……私が?」
心外だった。楓はただ、自分の大好きな怪奇現象の真実に触れたくて、一歩一歩真面目に取材を重ねていただけなのだから。
しかし、家族の怯えきった目を見て、楓の胸に初めて冷たいものがよぎった。
自分がどれだけ無自覚であっても、自分の「移動」が、大切な人たちをこんな恐怖の渦に巻き込んでいるという動かぬ事実。
ダイニングテーブルの上の小鉢が、ガタガタと音を立てて勝手に揺れ始めた。
母親が泣き出し、父親が青ざめながら家族を守るように一歩前に出る。その異常な光景のなかで、楓は呆然と立ち尽くすしかなかった。
第4話最後までお読みいただき、ありがとうございました!
ついに実家編となりました……。お母さんの手料理の匂いが一瞬で凍りつくような、実家だからこそ許されない迷惑すぎるお土産ですね……! 弟の拓海くんの冷ややかなツッコミが冴え渡る回となりましたが、当の本人の楓ちゃんは相変わらず「何が起きてるの?」という表情で無自覚なのが、この作品の一番タチが悪いところです(笑)。
周囲の大切な人たちを次々と恐怖のどん底に突き落としていく楓の「移動式・怪奇スポット」としての旅路。
次回、いよいよ物語は大きな転換点を迎えます。自分の取材ノートが「路線図」であることに気づいた楓が下す決断とは……!?




