第3話:オフィスのコピー機と、増殖するノイズ
第2話もお読みいただき、ブックマークや温かい評価を本当にありがとうございます! 美沙ちゃんの阿鼻叫喚をお楽しみいただけたでしょうか(笑)。
さて、自分の部屋だけでなく友人宅をも怪異の巣窟にしてしまった(自覚ゼロの)主人公・楓ちゃんですが、今回はついに彼女が働く「出版社」へとその災難が飛び火します。
果たして、オフィスのコピー機と同僚の佐藤さんを待ち受ける運命とは……!?
それでは、第3話スタートです!
数日後の月曜日。
水野楓が勤める小さな出版社『新潮文芸社』の編集部フロアでは、朝からどんよりとした不穏な空気が漂っていた。
「おい、またこれだよ……。いい加減にしてくれよ、まったく」
フロアの隅にある大きめの大型複合機(コピー機)の前で、中堅社員の佐藤が頭を抱えて低く唸っていた。
佐藤の足元には、黒いインクが不気味ににじんだ印刷ミスの紙の束が散らばっている。オフィスの誰もが朝の資料印刷に追われているこの時間帯に、プリンターのトラブルは致命的だった。
「佐藤さん、どうしたんですか?」
原稿のチェックをしていた先輩社員が声をかけると、佐藤は青い顔をして一枚の紙をひったくるように持ち上げた。
「見てくれよこれ。文字でも図形でもないんだ。何重もの人間の手形みたいな黒い染みが、ベッタリと紙面にグチャグチャに印刷されてるんだよ。昨日からこれで三回目だぞ」
「え、またですか? 先週も同じようなエラーで業者に見てもらったばかりなのに……。『機械の内部も部品も、どこも異常はありません』って言われちゃってただろ、確か」
総務の女性がコーヒーカップを片手に、おずおずと近づいてきた。
「そうなんだよ! 機械が壊れてないなら、こんな気味の悪い汚れ方をする理由がどこにもないだろ。しかもさっきなんて……」
佐藤は周囲の同僚たちの目を気にするように、すっと声を潜めた。そのこめかみには、うっすらと脂汗が滲んでいる。
「さっき、誰もいないはずなのにコピー機が勝手にブォンって動き出したんだよ。気になって見に行ったらさ、機械の内部の奥底から、女みたいな低い声で……『……出して……ここから出して……』って、そんな声が聞こえたんだ。スピーカーを通した電子音とかじゃなくて、すぐ耳元で生々しく囁かれるような声が……!」
フロアの一同が、凍りついたようにピタリと動きを止めた。
「……おいおい、マジかよ」
「それって、もしかして……このコピー機、呪われてるんじゃ……」
誰かが怯えた声で呟くと、オフィスのあちこちから嫌なざわめきが広がった。
だが、そのトラブルの真っただ中にいるはずの楓だけは、自分のデスクの山からひょっこりと顔を出し、まったくピンと来ていない様子で首を傾げていた。
「へえ、変なの。エラーコードとかは画面に出てないんですか?」
「出てないんだよ、それが! エラーも何も、ただ勝手に紙を吸い込んで、真っ黒な手形を吐き出しやがるんだ!」
佐藤は怯えとイライラが混ざった目で、呑気に紅茶を啜っている楓を睨みつけた。
「うーん、呪いっていうか……もしかして、機械の帯電とか、オフィスの湿度と静電気のバランスの狂いとかじゃないですか? 私、こないだ夜中の廃トンネルで取材したときも、カメラの基盤がおかしくなったりしましたし」
「おい、水野」
佐藤が慌てて楓の言葉を遮った。その目は、少し引きつっている。
「お前、最近やけに心霊スポットの話ばかりしてるけどさ……もしかして、お前、変なもの職場に持ち込んでたりしないだろうな?」
「え、私がですか? そんなわけないじゃないですか!」
心外だと言わばかりに、楓は両手をパッと横に広げた。
「私なんて、霊感ゼロですよ。幽霊のほうから私を避けてるんじゃないかってくらい、心霊スポットに行っても何にも遭わないんですから。この前だって――」
「わかったわかった、もうその話はいい!」
佐藤は両手をブンブンと振って、楓の弁解を強制終了させた。周囲の同僚たちも、スッと一歩後ろに下がり、まるで伝染病患者を見るような目で楓の背中から目を逸らした。
——その時だった。
オフィスの天井の隅、ちょうど蛍光灯の光が届かない死角の暗がりで。
先週、美沙の部屋の割れた鏡の中から、スルスルと楓の背中に乗り換えてここまでついてきた「首の曲がった女」や、さらにその前にどこかのスポットで拾ってきた「ぐりんと歪んだ顔の男」たちが、暗い天井にペタリと張り付いていた。
彼らは、楓がこのオフィスのドアをくぐった瞬間、彼女の背中からスルスルと抜け出し、居心地のよさそうな暗がりや、大型コピー機の電子基盤の隙間に身を潜めていた。
一人では決して心霊スポットから出られなかった彼らにとって、あちこちに人間が集まるこの現代的なオフィスビルは、恐怖を振り撒くのに最高の「テーマパーク」だった。
霊たちは、下で無邪気にコーヒーを飲んでいる楓には目もくれない。
代わりに、怯えた表情でコピー機を遠巻きに見つめている佐藤や、総務の女性たちの様子をじっと観察し、面白そうにねっとりとした視線を這わせている。
「まあ、機械の調子が悪いなら、私がちょっと中を見てあげますよ。機械いじりは嫌いじゃないんで」
好奇心を抑えきれず、楓は自分のデスクから立ち上がると、スタスタとコピー機に近づき、その側面パネルに手をかけようとした。
「待て待て待て! 水野、触るな! 余計な怪異を悪化させたらどうするんだ!」
佐藤が心底おびえた顔で飛び出してきて、文字通り楓の腕をガシッと掴み、引き剥がした。
「えー、ケチだなあ。せっかく面白いネタになりそうなのに。もし本当に霊のしわざだったら、インタビューしてネット小説のネタにできるのにさ」
不満そうにぷくっとほっぺたを膨らめる楓の背後で、コピー機の排気口から、ふわりと冷たい黒い風が吹き抜けた。
同僚たちが思わず身震いして自分の腕をさする中、楓だけは「やっぱり今日のオフィス、エアコンの設定温度低すぎませんか?」などと、相変わらず呑気に首を傾げている。
彼女がオフィスの通路を歩くたびに、目に見えない「影の足跡」が床に刻まれ、次なるターゲットの影が忍び寄っていく。
楓はまだ気づいていない。自分の趣味と、真面目すぎる(しかしズレた)取材活動が、周囲の人間を精神的に追い詰める「移動式・怪奇スポット」のパスポートになっているという、残酷で滑稽な真実に。
その日の夕方。
終業時刻を過ぎ、フロアの人間がほとんど帰宅した静まり返ったオフィスで、佐藤は残業の資料をまとめていた。
急に喉が渇いたなと思い、佐藤は自分のデスクから立ち上がり、給湯室へ向かおうとした。
その途中、朝にあれだけトラブルを起こした大型コピー機の横を通り過ぎようとした、まさにその時だった。
誰もいないはずのコピー機の液晶画面が、突然ピカッと青白く光った。
そして、誰も操作していないはずなのに、トレイの紙を巻き込むローラーが「ガリ、ガリガリ……」と重苦しい音を立てて回転し始めた。
「ひっ……!」
佐藤は足がすくみ、その場で動けなくなった。
スルスルと、一枚の紙が排出口から吐き出される。
恐る恐る目を向けた佐藤の視線の先で、その紙には、黒いインクで震えるような文字がびっしりと印刷されていた。
『――ツギハ、ダレノバン?――』
「ひいいいっ!!」
佐藤の悲鳴が、誰もいない夜のオフィスビルにむなしく響き渡った。
一方その頃。
残業を終えて帰宅途中の電車のなかで、楓はスマートフォンの画面を眺めながら、満足げに一人でうなずいていた。
「うーん、今日の職場でのコピー機のトラブル、なんだかリアルでいいネタになりそうだなァ。今度の小説、このエピソードをベースに書き直してみようっと」
もちろん、その背後には、今日も満足げな顔をした無数の「見えない乗客たち」が、ギュウギュウに吊り革にしがみつくようにして揺られていた。
楓が運ぶ「恐怖の路線図」は、着実に次の終着点へと進んでいた。
第3話最後までお読みいただき、ありがとうございました!
不憫な中間管理職・佐藤さんの受難回となりました。オフィスのコピー機から「……出して……」なんて聞こえてきたら、普通は失神するか会社を辞めたくなりますよね……。しかし、原因を作った張本人の楓ちゃんは、相変わらず「いいネタになりそう!」と呑気に小説のプロットを練っているというこの図太さ!
霊感ゼロの天然ホラー作家志望が引き起こす迷惑行脚は、まだまだ止まりません。
次回はついに、彼女の「家族」が待つ実家へと、あの愉快(?)な乗客たちが雪崩れ込みます。ご家族が無事でいられるのか……!?




