3章 仮の関係?? ②
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12月24日、午前9時。
引越しのトラックが、相模原にある静かな住宅街の、俺の家の前に止まっていた。
「それでは、出発します」
業者のスタッフが手際よく段ボールをトラックに積み込み、俺も少しだけそれを手伝った。
都内のマンションに向けて発車したトラックを、冷たい冬の空気の中で静かに見送る。
俺は再び家に入り、忘れ物がないか最終確認をして、玄関で靴を履いた。
ふと顔を上げると、ガランとした空間がやけに広く感じられた。
この家で母と過ごした温かい日々。そして、光と一緒に笑い合った学生時代の記憶が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇り、胸の奥が少しだけ切なく締め付けられた。
この家は、どうしようか……。
誰かに貸し出してもいいし、売りに出してもいい。資産価値としては悪くない物件だ。
けれど。
(父さんが買った家、か……)
投資用で買ったと、母には言い聞かせていたらしい。
しかし、本当は違うのだろう。都内で過ごす忙しい日々に疲れ、いつか家族3人で、この静かな住宅街でありきたりな幸せな家庭の時間を過ごすために買った家。そんな気がしてならなかった。
「……しばらくは、そのままにしておくか」
誰に言うでもなく小さく呟き、俺は玄関の鍵を閉めた。
駐車場に止めていた、事前に手配していたレンタカーに乗り込み、エンジンをかける。
アクセルを踏み、車を都内へと走らせた。
そこからの時間は、息をつく暇もないほどバタバタだった。
相模原の家からの荷物や、アメリカから持ってきた荷物、新しく買った最新の家電製品や家具などが、次々とタワーマンションの新居に運び込まれる。
色々な業者の人が慌ただしく出入りし、俺はその指示出しに追われた。
ある程度荷物がまとまったのを見計らい、俺はシャワーを浴びてパリッとしたスーツに着替えた。
そして、そのままタクシーに乗り、会社へと向かった。
クリスマスイブの今日。どうしても今日しか予定が合わなかったクライアントがオフィスに来るため、その対応をしなければならなかったのだ。
「お時間作っていただき、ありがとうございました。木下先生、これからもよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそこの度はありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします」
オフィスの立派なロビーで、俺は深く腰を下げてクライアントを見送った。
複雑な案件だったが、無事に着地できそうだ。安堵の息を吐き、再びオフィスに戻る。
"Hey Shusuke! Still working?"
(秀介! まだ仕事か?)
デスクの片付けをしていると、同じアメリカから来た同僚が英語で気さくに話しかけてきた。
"I'm done for today."
(今日はこれで終わりだよ)
"That's rare! You usually work late."
(おー、珍し! いつも夜遅くまで仕事してるのに!)
ポン、と彼が俺の肩に手を置く。
ワーカホリック気味な俺が定時で上がるのが、よほど珍しかったのだろう。
"You should do my share of the work for once."
(たまには、俺の分の仕事もやってくれよ)
"Oh my god..."
(オーマイガー)
俺がアメリカンジョークで軽口を叩くと、同僚はおどけて両手を挙げてみせた。
そんな彼に軽く手を挙げて応え、俺はオフィスを後にした。
この後は、久々の高校の同級生たちとの顔合わせだ。
一旦新居に帰る時間はないので、そのままオフィスから直接、指定された居酒屋に向かった。
タクシーの車窓から見える東京の街は、すっかりクリスマスのイルミネーションに彩られ、道ゆくカップルたちが幸せそうに身を寄せ合っている。
(光は、今頃……)
無意識に思考が彼女へ向かいそうになるのを、俺は強く頭を振って打ち消した。
この同窓会の誘いは、今の俺にとってちょうどよかった。
12月24日。
もし一人で静かな部屋にいたら、嫌でも光と啓司のことを考えてしまう。二人が今、どんな顔をして向かい合い、どんな言葉を交わしているのか。それを想像するだけで、押し殺したはずの感情が黒く濁って溢れ出しそうになるから。
だから、息をつく暇もないほど予定を詰め込んだのだ。
昔の仲間と酒を飲み、馬鹿騒ぎをしていれば、少しは気が紛れるだろう。
そう自分に言い聞かせながら、俺は指定された赤提灯が下がる居酒屋の戸を開けた。
「いらっしゃいませー!!」
赤提灯の入り口を潜ると、活気のある声と賑やかな喧騒が鼓膜を打った。
店員に予約してある同級生の名前を伝え、店の奥にある個室へと案内してもらう。
ガラッ、と引き戸を開けた。
「おお! 久しぶり! 秀介!」
「高校の時以来だな!!!」
個室の中には、すでに高校時代の同級生である3人の男たちが顔を揃えていた。
竹田、中村、新井。学生時代、啓司と一緒に特によくつるんでいた連中だ。皆それぞれに大人の男へと成長し、当時の面影を残しながらもスーツやジャケット姿が板についている。
「久しぶり。こちらこそ、誘ってくれてありがとう」
俺は軽く手を挙げ、空いている席に腰を下ろした。
「いや〜、お前、昔からだったけどさ……大人になってから増してオーラ凄すぎだろ! 個室開けた瞬間、芸能人が来たのかと思ったわ!」
同級生の一人、竹田が俺の顔をマジマジと見つめながら大げさに肩をすくめた。
「いや、普通だよ」
俺はおしぼりで手を拭きながら、苦笑してメニューを手に取る。
昔から自分の容姿を他人と比べたことはないし、特別だとも思っていない。俺にとっては、見た目よりも人の内面から滲み出る感情の方がよほど雄弁だからだ。
「普通なわけないだろ! お前が普通だったら俺たちどうなるんだよ!! まあ、お前のそういう嫌味のない謙虚なところ、昔から好きだけどな!」
竹田がブーブーと文句を言うと、隣に座っていた中村が笑いながらその背中をポンポンと叩いた。
「まあまあ、竹田! 秀介がイケメンなのは高校の時からの絶対的真理なんだから、気にするな!」
みんなの良心であり宥め役の中村が竹田を慰めていると、ちょうど俺が頼んだウーロン茶が運ばれてきた。
「まあ! とりあえず! 秀介、日本におかえり!!」
ニカッと笑って俺の肩に腕を回したのは、昔からまとめ役だった新井だ。
彼のよく通る声を合図に、グラスがぶつかり合う小気味良い音が響き、乾杯の宴が始まった。
4人で和気藹々とグラスを傾け、高校時代の懐かしい思い出や、お互いの今の仕事の話など、たわいもない会話に花を咲かせる。
バカバカしい笑い声の中に身を置いていると、今日一日ずっと頭の片隅にへばりついていた『光と啓司』のことが、少しだけ遠のいていくのを感じた。
しかし、酒が回って顔を赤くした竹田が、不意にこんなことを言い出した。
「てかさ〜、秀介〜!! 国際弁護士で、大手外資勤めで、港区のタワマン住みで、こんなにイケメンでさ〜。彼女の一人もいないなんて絶対嘘だろ〜〜!!! 俺が秀介だったら絶対にハーレム作ってるね!!」
どんっ、と両手で机を叩いて身を乗り出したかと思えば、今度は机に顔を突っ伏して「俺なんて全くモテなくて失恋続きだー!」と嘆き始めた。
俺は興奮する竹田を宥めながら、静かに口を開く。
「まあまあ、そんな相手がいたら、クリスマスイブに男4人でここにいないよ」
竹田は涙目で俺を見つめ、「いいやつめ〜」と言いながら大げさに抱きついてきた。
「ハハッ、でも本当に昔から思ってたけど、秀介ってすげー女子から告白されてたのに、一回も彼女作らなかったよな!」
新井がビールをぐいっと飲み干しながら、懐かしそうに言う。
「まあ、あの時は……母さんの看病もあったし、アメリカに行くための勉強に必死だったからな」
脳裏に、今朝駅の改札で見送った光の笑顔を思い浮かべながら、俺はウーロン茶の入ったグラスを見つめた。
この3人には、俺がずっと光に片想いをしていたことは伝えていない。
今思えば、今思えば、周りから見ればガードの固い少し変な奴だったかもしれない。
「あの時、秀介は大変だったもんなー……」
中村がしんみりとした声で相槌を打つ。
「それを言うなら、青田もプロになるくらい野球に必死だったよなー!! まあ、あいつは坊主頭で野球バカだったからモテてなかったけど!」
竹田の口から飛び出した『青田』という名前に、俺の心臓がトクン、と嫌な音を立てた。
啓司。
高校時代の彼の記憶が脳裏に蘇る。泥だらけになって、真っ直ぐに野球に向き合っていた男。県内でも有名な選手だった彼に、光はずっと健気な好意を向けていた。
当時、なぜ啓司は光のその真っ直ぐな想いに気づかないのかと苛立った反面、自分なら絶対にその好意を無駄にしないのにと、どうしようもない嫉妬を抱えていた。
結果的に、俺がアメリカへ渡った後、二人は結ばれた。
そして今日、この時間、二人はクリスマスイブの夜を共に過ごしているはずだ。
楽しい会話で頭の隅に追いやっていたはずの記憶が、濁流のように押し寄せてくる。
光のスマホに見えた既読スルーのトーク画面。少し不安そうに揺れていた彼女の瞳。今朝の、無理に背伸びをしたような服装。そして、最後に無理矢理作ったようなあの笑顔……。
「あっ! そういえば、今日実は青田も誘ってて、来るはずだったんだけどね」
不意に、中村が自分のスマホを操作しながら言った。
「え?」
俺は思わず眉間に皺を寄せ、中村の方へ鋭い視線を向けた。
だって今日は、元から啓司と光が会う約束をしていた日のはずだ。
「でも、3週間前ぐらいに急に行けなくなったって連絡が来てさ! なんか、女関係っぽいんだけど……」
続けて中村が、啓司とのLINEのやり取りを見返しながら言った。
(……3週間前?)
女関係の予定が入ったというなら、それは光とのことではないのか?
だが、それにしては言い回しがおかしい。
「あ!! 俺それ知ってるよー! なんか最近できた、アナウンサーの彼女らしいぜ!!」
竹田が思い出したように身を乗り出して言った。
「……え?」
——最近できた、アナウンサーの彼女?
竹田の言葉が、俺の脳内でガンッ、と冷たい音を立てて響いた。
俺の知っている事実と、明らかに一致していない。俺の記憶の中では、あの日光が「プロになったあたりからずっと付き合ってる」と言った彼女の表情を完璧に記憶している。
嫌な予感が、一気に全身の血の気を引かせていく。
「マジかよー、あの野球バカの青田にアナウンサーの彼女ができるなんてありえん!」と新井が笑う。
「まあ、彼も一応プロ野球のスター選手だしね……」と中村が苦笑する。
みんなの会話が、まるで水の中にいるように遠くくぐもって聞こえた。
「ほらほら! 昨日、青田から『彼女とシンガポール来てる』ってLINEと写真来たし!」
竹田が自分のスマホを操作し、テーブルの中央にその画面を突き出した。
俺はその画面を見た瞬間、息を呑んで目を見開いた。
そこには、『シンガポールなう』というメッセージと共に、有名な高級ホテルのインフィニティプールでくつろぐ啓司の写真が写っていた。そしてその奥には、水着を着て長い髪を束ねた、華奢な女性の後ろ姿がはっきりと写り込んでいる。
俺の脳内で、バラバラだったピースが最悪の形で組み合わさっていく。
啓司はシンガポールにいる。それも、別の女性と。
では、今日のクリスマスイブ、待ち合わせ場所に向かった光は?
あんなに嬉しそうに、不安を押し殺して着飾っていた彼女は——今、どこで誰を待っているというんだ?
自分のスマホを取り出し、画面に表示された時間を確認する。
時刻は、21時過ぎ。
(光は、今……っ!?)
バッ!
気づけば、俺の体は勝手に動いていた。
掘り炬燵から勢いよく立ち上がり、カバンの中から財布を引き抜く。そして、一万円札を5枚ほど掴み出し、テーブルの上に乱暴に叩きつけるように置いた。
「えっ!?!? どうしたの? 秀介?」
突然の俺の異常な行動に、同級生3人が目を丸くして驚いている。
俺は極力表情を崩さないよう、必死にポーカーフェイスを取り繕いながら、低く掠れた声で言った。
「ごめん……ちょっと急用ができた。これ、俺の分だから」
「えっ! いや、こんなにあったらもうこれで4人分払えるじゃん!?」
「おい秀介、なんかあったのか!?」
背後から同級生たちが口々に何かを叫んでいたが、俺はそれに答える余裕すらなく、急いで個室の戸を開け、上着を羽織り、居酒屋を飛び出した。




