17章 真実と悪意 ②
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週明けの月曜日。
俺はいつものように、慌ただしい活気に包まれた、勤め先である法律事務所のオフィスにいた。
ニューヨーク出張で数日間不在にしていた分のツケが回ってきており、デスクの上には処理すべき案件のファイルが山のように積まれている。
俺はPCのモニターを睨みつけながら、淡々とキーボードを叩き続けていた。
「木下先生、〇〇社の件ですが、先方から追加の資料が届きましたのでお渡しします」
「……ありがとう」
俺は画面から視線を外さず、隣に立ったアシスタントの女性から茶封筒を受け取った。
「いえいえっ!」
彼女はなぜか、弾むような声でそう返した。
いつもなら、俺の仕事の邪魔にならないように要件だけを伝えてそそくさと立ち去るはずの彼女が、今日はなぜかデスクの横に留まったまま、やけに口角を上げてニコニコと俺の顔を見つめてくる。
「……何か、他にあるか?」
俺は手を止め、怪訝に思って眉間に皺を寄せた。
「なーんにもないですよ? ふふっ。木下先生、今日はすごくお仕事が捗っているみたいで何よりです! では、失礼しますね」
彼女は満面の笑みで、何か意味深な言葉を残して去っていった。
……はぁ? いつも通り淡々と処理しているだけだ。というか、普段の俺はそんなに仕事が捗っていないように見えているのだろうか。
不可解に思いながら、ふと周囲に視線を巡らせる。
弁護士の面々はいつも通り忙殺されているが……遠くのデスクにいるアシスタントの女性陣の何人かと、バッチリ目が合った。
彼女たちは慌てて視線を逸らしたが、その顔は一様にニヤニヤとしており、なんだかひどく『生温かい』視線を向けられていた気がする。
(……なんだ?)
俺はその初めての感覚に戸惑いながらも、「他人の目などどうでもいい」と無理やり思考を切り替え、再び仕事の山へと向き直った。
***
数時間後。
ある程度まとまった急ぎの仕事を終わらせた俺は、一息入れるためにオフィスを出て、廊下の隅にある自動販売機で缶コーヒーを買おうとしていた。
その時だった。
バンッ!
「痛っ……」
不意に背中を勢いよく叩かれ、俺は微かに顔を顰めて振り返った。
「お疲れサマ〜」
そこには、黒髪を揺らし、先ほどのアシスタントの女性陣と全く同じ『ニヤニヤとした笑顔』で俺の顔をまじまじと見上げてくるサラの姿があった。
「……何? 普通に痛いんだけど」
「まあまあ、そんな細かいことは置いといて!!」
サラは俺の抗議など完全に無視して強引に距離を詰めると、俺の肩に手を置き、耳元で悪戯っぽく囁いた。
「良かったネ♡ 光チャンと、無事に付・き・合・え・テ♡」
バッ!
「……っ!!」
俺は即座にサラの顔面を鷲掴みにし、強引に引き剥がして距離を取った。
「……仕事中に何言ってるんだ……! というか、なんでお前が知ってるんだ?」
光に、あの捏造記事の存在を真っ先に教えてくれたのがサラだということは聞いていた。だが、その後俺たちがどうなったかについては、まだ誰にも、もちろんサラにも報告していなかったはずだ。
顔を押さえつけられたサラは、俺の手を強引にどけると、自分の肘で俺の脇腹を小突いてニヤニヤと笑った。
「そんなの、今日のシュースケの顔見たら、バレバレじゃン! まさか、自分じゃ気づいてないと思っタ?」
「……は?」
サラは、揶揄うように目を細めた。
「いーっつも『触るな危険』みたいな怖いオーラ出してるのに、今日のシュースケ、朝からずーっと顔が緩みっぱなしで、鼻歌でも歌い出しそうなくらいゴキゲンなんだよ? アシスタントの子たちも『木下先生、絶対に良いことあったんだ』って噂でもちきりだったヨ!」
「っ……!!」
まさか。俺としたことが、無自覚に……!
だから、あのアシスタントはあんな意味深な笑顔を向けてきたのか。そして、あの生温かい視線はそういうことだったのか。
自分では完璧なポーカーフェイスを保っていたつもりだったのに、内面の感情が完全にダダ漏れになっていたという事実。
その恥ずかしさに耐えきれず、俺は再び、ガン見してくるサラの顔を手で覆い隠した。
「ちょっと! やめてヨ!! メイク崩れる!!」
サラはバッと俺の手を振り払い、両腕を組んでジロリと俺を睨みつけた。
「もう! 私のファインプレーがなかったら、ずっとオサナナジミのまま!光チャンと付き合えたのは、私のおかげでもあるんだから、ちゃんと感謝してよね!!」
怒るサラを見て、俺は顔の熱を一度冷静に抑え込んだ。
……確かに。
彼女があの記事の存在に気づき、すぐさま光の会社まで駆けつけてくれなかったら、俺がニューヨークにいる間も水面下で支店長と共に動いてくれていなかったら。
俺と光は、最悪の形ですれ違ったまま、永遠に交わることはなかったかもしれない.....
俺は自販機に向き直ると、アップルジュースのボタンを押し、電子決済で購入した。
そして、ガコンと出てきたその冷たいペットボトルを拾い上げ、怒っているサラの手にポンと押し付けた。
「……ありがとう。光のことも、あの記事の公開を止めてくれたことも」
俺が誤魔化しなく真っ直ぐにそう告げると、サラは手の中に置かれたアップルジュースを見てパチクリと瞬きをし、やがてふわりと表情を綻ばせた。
「……どういたしまして!! カゾクの幸せが、イチバンだからネ!」
そして、サラはとびきり眩しい笑顔で、俺に向かって得意げに親指を立てた。
(……ありがとう。お前は本当に、頼りになる『家族』だよ)
俺は、従姉妹のその底抜けの明るさに救われる思いで、心の中で静かに感謝の言葉を繰り返した。




