17章 真実と悪意 ①
相模原の実家に光を送り届けた後。
俺は一人、都心の自宅マンションへと向かうため、夜の首都高を走らせていた。
流れるオレンジ色の眩しい街灯が、一定のリズムで車内を照らし出しては後ろへと過ぎ去っていく。
静かな車内に響くのはエンジンの低い駆動音だけだが、俺の脳内は、つい先ほどまで助手席に座っていた彼女のことでいっぱいだった。
(……可愛かったな....)
十九年越しにやっと想いが通じ合い、「彼女」になった光の顔が次々と頭に浮かぶ。
恋人になってからというもの、彼女の表情は本当にコロコロと忙しなく変わる。
俺が何か言葉をかけるたびに、カチカチに緊張して固まったり、いきなり目を丸くしてびっくりしたり。顔を真っ赤にしたかと思えば、急に泣きそうな顔になったり……。
ハンドルを握りながらフッと声に出して笑ってしまった。
(本当に、飽きない....)
弁護士になってからというもの、俺の生活は文字通り『枯れ果てて』いた。
朝から晩まで無機質な法律の条文と書類の山に向き合い、感情を殺して駆け引きをするだけの、色のない灰色の日常。
でも、光が俺の隣で笑ってくれるだけで、その枯れた生活がまるで魔法をかけられたように華やかに、鮮やかに色づいていくのを感じる。
光とのこの関係は、何に代えても絶対に守り抜く。
彼女のあの温かい笑顔を脅かすような悪いものが向かってくるなら、俺がすべて弾き返してみせる。
そんなことを胸に誓いながらハンドルを切った時。
ふと、ディナーの席で光が口にした『ある言葉』が、静かな脳内に蘇った。
『……今思えば、なんであの田辺って記者さんは、私がキノと「幼馴染」だってことや、私の名前、それに私が働いている会社の場所まで知ってたんだろうって思う……』
「…………」
俺は運転しながら、スッと眉間に深く皺を寄せた。
光の言葉が、俺の中で散らばっていた不自然なピースを、パチパチと音を立てて繋ぎ合わせていく。
そうだ。よく考えれば、異常だ。
南川優子という大物芸能人のスキャンダルを追っているはずの記者が、なぜわざわざ、全く無関係な一般人である光に接触を図った?
しかも、ただの記者が、光のフルネームや会社の正確な所在地、さらには偶然すぎるほどピンポイントで彼女の『定時退社の時間』に待ち伏せをすることなど不可能なはずだ。
誰かが、光の個人的な情報を記者に意図的にリークした?
なんのために? 一般人の彼女を巻き込んで、一体何の得がある?
俺は高速道路の出口を降り、一般道の赤信号で車を停めた。ハンドルを握る手に自分の顎を乗せ、暗い車内で冷たい思考を巡らせる。
……一つだけ、明確な『利益』を得るためのシナリオがある。
(もしかして……。あの記者が光に接触した本当の目的は、『南川優子の記事を書くための裏取り』なんかじゃない)
あの時、記者は光に『俺に相応しいのは南川優子のような女性だ』と冷酷な事実を突きつけられたと、俺がニューヨークにいた時にLINEで教えてくれた。
光の自己肯定感の低さを利用し、心を徹底的に折るための、精密な精神攻撃。
インタビューを見せつけることで、光自身に『俺から身を引くこと』を自発的に選択させるためだ。
つまり、あのガセ記事の一連の騒動は、初めから『光を俺から遠ざけること』だけを目的としたダミーの罠だったとしたら?
俺が光を特別に想っていることを知っていて。
光に対して強い嫉妬と悪意を持ち、さらには、芸能記者とも容易に繋がることができる人間。
脳裏に、一つの顔が浮かび上がった。
事務所の応接室で、俺に対して執拗に絡みついてきたあの視線。
(……山田、みより……)
「……ッ」
青信号に変わった瞬間、俺は少し乱暴に車のアクセルを踏み込んだ。
エンジンの低い唸り声が、夜の街に響き渡る。
あの女が、裏で糸を引いていたのか...?
光と俺を引き裂こうとした……。
そして、自分の思い通りにならなかった今、あの歪んだプライドを持つ女が、このままで終わるはずがない。きっと今回の件以外にも、水面下で何か恐ろしいことを企んでいる気がする。
俺は、花束を抱えて嬉しそうに涙を溜めながら笑っていた、光の無防備な笑顔を思い出した。
(このまま放置しておけば、必ずあの笑顔がまた奪われる)
ドクン、と。背筋を這うような嫌な予感が俺を襲った。
なんとしてでも、今回の事件の証拠を完全に揃え、事実を解明しなければならない。
もし本当に山田みよりが関わっていたとすれば、光の身が危ない。
(……絶対に、手出しはさせない)
光との穏やかな未来のために。彼女の周りに潜む深い闇は、俺がすべて暴く必要がある。
俺は冷たい決意を胸に秘め、アクセルをさらに強く踏み込み、自宅のタワーマンションへと急いだ。




