16章 花束と誰か ③
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都内にある、洗練された雰囲気のフレンチレストラン。
日曜日の夜のピークタイムということもあり、店内は満席状態で賑やかな活気に包まれていた。
その中で、私たち二人は横並びのペアシートに座り、運ばれてきた美しい料理を楽しんでいた。
「でも、本当によかったね! あの記事、結局公開されなくて……!」
私は、彩り豊かなオードブルをフォークでつつきながら、思い出したようにあの事件の話題を振った。
「ああ。俺がニューヨークにいる間、サラと支店長が色々と動いてくれたみたいで……ひとまず、あんな悪意のあるガセ記事が出なくてよかったよ」
キノもホッとしたように眉を下げて、少しだけ疲れたようなすよろめややらのはゃや笑みを浮かべた。
そりゃそうだ。ありもしない事実を、しかもあんな超大物女優さんとのスキャンダルとして世間に流されたら、弁護士としての仕事にも多大な影響が出たよね....
本当に、未然に防げてよかった。
「そうだね、本当に……って、あっ!!」
その時。私はある重大な事実に気づき、持っていたフォークをカチャンと皿に置いて顔を青ざめさせた。
「……光?」
急に険しい顔になった私を見て、キノが不思議そうに首を傾げる。
「ごっ、ごめんなさい!!」
私は、レストランの中で土下座でもしそうな勢いで頭を下げた。
「私っ、そう言えば……勝手にその記事のこと勘違いして、キノにめちゃくちゃ酷いこと言ったのに、ちゃんと謝れてなかった!!」
はわわわっ、と一人でパニックになる。
勝手な被害妄想でキノを信じきれなくて、彼を絶望させるようなひどい嘘をついたのに……今日再会してからというもの、彼氏の顔面偏差値の高さと甘すぎる扱いに舞い上がりすぎて、一番大事な謝罪がすっぽりと抜け落ちてしまっていたのだ。
「最低だ、私……っ。本当にごめん……!」
私がシュンと肩を落として猛反省していると、キノは私の慌てふためく様子を見てフッと吹き出し、オーダーしていたグラスの水を一口飲んでから、どこか切なそうな、けれど優しい顔をした。
「……まあ、あれは流石の俺も、かなり懲りたかな」
「えええええ! ほ、本当にごめんっ……! 謝っても許されないかもしれないけど……っ」
キノの口から出た「懲りた」という言葉に、私はいてもたってもいられなくなる。
すると彼は、泣きそうになっている私をあやすかのように、ポン、と私の頭に温かい手を乗せた。
「落ち着いて。……逆に、あれがなかったら、今、こういう風に二人で笑い合えてもいなかったと思うから……今となっては、感謝してるよ」
キノはそう言って、とびきり甘く目を細めて微笑みかけてくれた。
「キノ……っ」
私は胸の奥がジーンと熱くなった。
(なんて……お優しい言葉……!!! どんだけ懐が深いの!?)
やっぱり私の彼氏様は完璧すぎて、ドキドキが止まらない。
「で、でもっ、南川優子さんも本当によかったよね……! まさか、お相手があの芸人の大里さんだったなんて、全然思わなかったけど!」
私は照れ隠しで少し早口になりながら、テーブルに置いていたスマホを手に取った。
画面に映っているのは、ニュースサイトのトップ記事。そこには、結婚会見で南川優子さんと大里さんが幸せそうに二人並んで、カメラに向かって結婚指輪を見せている写真が掲載されていた。
(※ちなみに、まだ両親の破産手続きは完全には処理できてない状態だったが、次また、誤った報道がされないように急いで結婚報告をしたそう)
「あれは、俺も意外だったな。……俺に頼んできた依頼を『とにかく早く片付けてほしい』と急かしていたのも、こういうことだったのかって腑に落ちたけど」
キノはフッと、憑き物が取れたような自然な表情で笑った。
私はそんな彼を横目で見つめながら、もう一度、スマホの画面に映る幸せそうな芸能人夫婦の写真に視線を落とした。
(私も……いつか、キノと……この二人みたいに……)
ふと、そんな途方もない未来を想像してしまい、ボッと顔から火が出そうになる。
(いやいやいや! 私、ついこないだ付き合ったばっかりなのに、何図々しいこと考えてるの!? 落ち着け!)
私は自分の心に強制的に平常心を取り戻させ、コホンと一つ咳払いをして、真面目モードで会話を続けた。
「でも……なんで、こんな結婚寸前のタイミングで、しかも大物芸能人のスクープを、裏取りもちゃんとしないで記事にしようとしたんだろうね……?」
女側は国民的な大物女優で、男側は弁護士。
もしそれがガセだった場合、すぐに法的な処置をとられて多額の賠償請求をされるのは、法律に疎いバカな私にだって簡単にわかる話だ。
それなのに、なんであの記者は、あんなに自信満々で私に写真を見せてきたのだろう?
すると。
私のその言葉を聞いた瞬間、キノの口元から先ほどの柔らかな笑みがスッと消えた。
彼は真顔になり、スッとした綺麗な眉間に微かな皺を寄せた。
「……光は、この件で何か怪しいって思ったことはない?」
「怪しいこと……。そういえば……」
彼がニューヨークにいた時、「突然、田辺という記者に取材された」ということは、LINEで簡単に報告していた。
「あの時はショックで頭が回らなくて全然気づけなかったけど……。今思えば、なんであの田辺って記者さんは、私がキノと『幼馴染』だってことや、私の名前、それに私が働いている会社の場所まで知ってたんだろうって思う……」
冷静になって振り返ってみると、ゾッとする。
記者が、一般人である私の個人的な情報を、どうしてあそこまで詳細に把握していたのだろうか。まるで、誰かからピンポイントで私の情報をリークされたみたいに……。
私がその疑問を口にすると、キノは口元に手を当て、遠くを見つめるようにして無言になった。
彼のその鋭い眼差しは、恋人の顔ではなく、冷徹に真実を見極めようとする『弁護士・木下秀介』の顔だった。
(……怖い。誰かが、私とキノを意図的に引き離そうとしてたってこと……?)
私が恐怖で微かに肩を震わせているのを察知したのか。
キノはハッとしたように私を見ると、テーブルの上でギュッと力強く握りしめられていた私の手に、自分の大きな手を重ねた。
「っ……」
「……何か、少しでもおかしい事が起こったら、すぐに俺に言って。……心配だから」
キノは、私の目を真っ直ぐに射抜くように見つめて言った。
「……うん、わかった。……ありがと」
彼の手から伝わってくる確かな熱と、強い意志が込められた目線が、本当に心強くて。私の中に広がっていた黒い不安が、少しずつ溶けていくのを感じた。
大丈夫。今の私には、キノがいる……。
「……まあ、とりあえず。今日はたくさん食べて、楽しもう」
キノは少し重くなってしまった空気を変えるかのように、パッといつもの優しい笑顔に戻り、私の手からそっと手を離して、テーブルに置かれたステーキをナイフで綺麗に切り分け始めた。
「うんっ!! いっぱい食べる!」
私は、彼が切り分けてくれたお肉を口に運びながら、心から安心して美味しいフレンチ料理を堪能した。
***
その後。
美味しいディナーをすっかり平らげた私たちは、「もう少し一緒にいたいから」というキノのありがたすぎる提案(うん、私も全く同じ気持ちです!)により、彼の運転する車で、相模原にある私の実家まで送ってもらうことになった。
すっかり夜も遅くなり、実家の少し手前の静かな路肩に車が停まる。
「じゃあ、家着いたらまた連絡するね」
キノは、マンションのロビーで私に渡してくれたあの大きなピンクの花束を、後部座席から取って私の両手に渡してくれた。
「うん……こんなに綺麗な花束、本当にありがとう。お母さん、絶対びっくりすると思う」
「……また、おばさんにもよろしくって言っておいて」
彼は、花束を抱える私を見て、目を細めて愛おしそうに微笑んだ。
「うん! ……じゃあ、明日から仕事頑張ってね」
今日が終わってしまうのが少し名残惜しいけれど、私は意を決して、車のドアノブに手をかけた。
すると。
「……待って」
「えっ……」
カチャリ、と彼がシートベルトを外す音がしたかと思うと。
キノの身体が、助手席にいる私の方へとぐっと覆い被さるように近づいてきた。
薄暗い車内。街灯の光に照らされたキノの色気のある視線が急接近し、甘く熱を帯びて私を捕らえる。
フワッと、彼の優しい香水と混ざり合った花の香りが鼻をくすぐった。
(これって……っ!!)
(キ、キス……される……!?!?)
私の心臓は、ドカン!! と爆発しそうなほどの音を立てた。
あまりの緊張で息ができなくなり、私はギュッと固く目を閉じ、自分の唇を強く噛み締めた。
(どうしよう、どうしよう!!)
すると……。
チュッ、と。
感じた温かい感触は、私の唇ではなく、その横の……頬だった。
「はぁっ……///」
ホッとしたような、でも、たまらなく甘く溶かされたような。
緊張と恥ずかしさが入り混じった、情けない吐息が私の口から漏れた。
キノはそっと顔を離すと、私の耳元に唇を寄せ、低く掠れた声で囁いた。
「……これで、次、光に会えるまで頑張れるよ」
「っ……!!!」
その破壊力抜群の言葉に、私は全身の血が沸騰したように赤面した。
(もうっ! 心臓に悪すぎる!!!)
私は、ずっと心臓をバクバクと鳴らし、熱を帯びた顔のまま車を降りた。
そして、大きな花束を胸に抱きしめながら、静かな住宅街を走り去っていく彼の車を、姿が見えなくなるまでいつまでも見送っていた。




