2章 本音と建前 ④
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ピロン♪
静寂に包まれた空間で、突如鳴り響いたスマートフォンの通知音に、俺は「ハッ……」と目を覚ました。
顔を上げ、周囲を見渡す。そこは転勤してきたばかりの、誰もいない東京のオフィスだった。
目の前に積まれた書類の山を見て、仕事の途中で寝落ちしていたことに気づく。
PCの画面の端で光る時計の表示は、23時半を回っていた。
(そろそろ帰るか……)
凝り固まった首を回しながら、ふと、さっきまで見ていた夢を思い返していた。
詳しい内容ははっきりとは覚えていない。
ただ、どこか懐かしくて、温かくて……それでいて、少しだけ胸が締め付けられるような、そんな夢を見た気がする。
おそらく、先日16年ぶりに再会した幼馴染の顔が、心の奥底に波紋を広げているのだろう。
オフィスを出て、静まり返った廊下を歩き、エレベーターのボタンを押す。
到着を待つ間、俺は先ほど鳴ったスマホの通知を確認した。
画面に表示された名前に、自然とふっと微笑みがこぼれる。
『お仕事お疲れ様〜! 12月◯日、お母さんも大丈夫だって!! キノに会えるの楽しみってずっと言ってる笑 仕事大変だろうけど無理しないでね! おやすみ』
光からのLINEだった。
再会した日、連絡先を交換してから、こうして少しずつやり取りが続いている。
近いうちに時間を調整して、光の家族に挨拶へ行く約束をしていた。
またこうやって、彼女と連絡を取り合い、会える関係になれるなんて、アメリカにいた頃は思ってもみなかった。失っていた時間がゆっくりと繋がり、それが再び「当たり前」になりつつあることが、ひどく嬉しかった。
だが——。
嬉しい反面、あの日、再会した時に偶然見てしまった光のスマホの画面が脳裏をよぎる。
あの瞬間に見えた「光と啓司のトーク画面」を克明に脳裏に焼き付けてしまっていた。
あの時、俺は光が今でも啓司と付き合っているのだと知った。
16年前、俺が高校を卒業してアメリカへ行く時、俺は『光と啓司が結ばれて、光が一番幸せになるのなら』と願って、自分の気持ちを胸の奥にしまい込んで身を引いた。
俺がアメリカに渡った後、あの二人がどうやって付き合うことになり、どんな時間を過ごしてきたのか、詳しいことは何も知らない。ただ、俺の願い通りになっているのなら、心から祝福してあげるべきだ。
しかし——。
あの時の光の無理をしたような笑顔や、どこか罪悪感を漂わせていた表情を思い出すと、嫌な予感がどうしても拭えなかった。
人の気持ちの機微に聡すぎる俺の直感が、「彼女は本当に大丈夫なんだろうか?」と、ずっと警鐘を鳴らし続けている。
今やプロ野球選手として華やかな世界に身を置く啓司が、不器用で引っ込み思案で、周りの顔色ばかり気にしてしまう光を、本当に大切にできているのだろうか。
「……」
チーン、と静かな音を立ててエレベーターの扉が開いた。
乗り込みながら、俺はスマホの画面をタップし、返信を打つ。
『お疲れ様。日程確認ありがとう。俺も楽しみにしてるって伝えておいて笑 心配ありがとう。おやすみ。』
送信ボタンを押し、暗くなった画面を見つめながら、もう一度心に言い聞かせる。
自分との関係より、何より光が一番幸せになるのなら、その隣にいるのが誰であっても構わない、と。
彼女が心から笑っていられるなら、俺はいつだって陰から見守るだけでいい。
ビルを出て、夜風を切り裂くように走ってくるタクシーを拾い、乗り込む。
まだ残っている仕事の続きをしようとPCを開き、メールボックスを確認した。
その中に、不動産会社からの一通の未読メールがあった。
手配してもらっていた、都内のマンションへの引っ越しの日にちが確定したという知らせだった。
『入居日:12月24日』
その日付を見て、俺の指先がピタリと止まった。
12月24日。
それは、あの日光のスマホの画面に見えた、彼女が啓司と会うと約束していた、クリスマスイブの日だった。
偶然重なったその日付に、静かな諦めと、消し去れない胸の痛みが入り混じる。
複雑に渦巻く感情を抱えたまま、俺は冷たい窓ガラスに額をもたせかけ、流れる夜の街並みをただ静かに見つめていた。




