2章 本音と建前 ③
母や、光の家族、同級生たち、そして何より光との日々のおかげで、小学、中学と、俺の学生生活は順風満帆だった。
中学生になってからは、互いの年頃もあって、小学生の頃のように四六時中一緒にいるということはなくなった。それでも、学校の放課後や、周りに同級生がいない時には、よく二人で話をした。
光が俺のことを「キノ」と呼ぶようになったのは、その頃からだっただろうか。
当時、俺にも男友達はそれなりにいたが、自分の抱える悩みや、本当に心を許して打ち明けられるのは光だけだった気がする。
そんな穏やかな日々を過ごしていた中。
中学3年の夏休みに入る直前に、あの出来事が起きた。
当時バスケ部に入っていた俺は、部活を終え、夕方頃に家に着いた。
いつもこの時間なら、英会話の先生として働いている母は帰ってきており、家の窓には温かい明かりが点いているはずだった。
でも、この日は真っ暗だった。
微かな嫌な予感を胸に、俺は足早に家に上がる。
「……母さん?」
玄関にいつも母が履いているパンプスは綺麗に並べられている。
薄暗いリビングのスイッチを押して、明かりをつける。
「!!!」
視界に飛び込んできたのは、床にうつ伏せで倒れている母の姿だった。
ここからの記憶は、俺の記憶力をもってしても、所々がひどく欠落している。
無我夢中になって救急車を呼び、母の背中を必死にさすりながら「母さん、母さん」と何度も呼び続けた。
どうか、どこにも行かないでくれと、神様に祈り続けたことだけはうっすらと覚えている。
(俺は、一人になってしまうのか……?)
脳裏に、病院の一室で亡くなった父親のあの時の記憶が鮮明に蘇る。
恐怖で息ができなくなりそうだった。
やがて、サイレンを鳴らしながら救急車が家に到着した。
俺は放心状態のまま、ストレッチャーに乗せられて救急車へと運び込まれていく母を、ただぼう然と見つめていた。
そんな時だ。
「キノ!!!! 大丈夫?!! しっかりして!」
鋭く、けれど必死な光の声で、俺はハッと我に返った。
「光……?」
「たまたま、キノの家通りかかったら救急車きてて!! ミサおばさん、大丈夫なの?!?!」
息を切らして駆けつけてきた光の顔を見た瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れた。
「……帰ったら……倒れてて……」
声が震えて、うまく言葉にならなかった。
光は、パッと俺の冷たくなった手を強く握りしめた。
「……大丈夫! キノには私がついてるから!! ……一人じゃないから!」
その小さな手の温かさと力強さに、俺は視界がぼやけるのを感じた。
あの時、俺の頬を涙が伝っていたような気がする。
そのまま、光は俺と一緒に救急車に乗り込んで、病院までついてきてくれた。
母が緊急治療室で処置を受けている間も、待合室の冷たい長椅子で、光はずっと俺の横に座り、何も言わずに手を握っていてくれた。
俺は、その時確信した。
俺は一人じゃないんだ、と。
その後、連絡を受けた光のお母さんも慌てた様子で病院へ駆けつけてくれた。
懸命の治療の甲斐あって、母は無事に意識を取り戻した。
もしあの時、光がいてくれなかったら。
俺は絶望の淵から這い上がれなかったかもしれない。
この出来事をきっかけに、俺の中で光という存在は、「幼馴染」という枠を完全に越えて、明確に「かけがえのない、愛する人」へと変わっていた。




