15章 重なる幸せ ②
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ゴールデンウィーク明けの初出社の日、
シュースケが、あのポーカーフェイスでも隠し切れないほど絶望し、無理をして笑うような顔を見せてから、もう五日が経っていた。
私は今、朝のオフィス街を歩いて、事務所へと出勤しているところだ。
あの日から、私はなんとかシュースケに「何があったの?」と聞き出そうと試みた。
しかし……。
『ごめん、今忙しいから』
『何もない』
見事に、完全に心を閉ざされていた。
昔からいつもそうだ。何か本当に辛いことがあっても、周りに心配をかけまいとして、いつもの無愛想が何倍にも増して無愛想になる。
でも、ヒカリちゃんとの間で決定的な「何か」があったことだけは確実だ。
以前は、仕事の合間にスマホを見て、ヒカリちゃんとLINEをしているのか、フッと幸せそうに笑う姿をオフィスで毎日見かけていた。
だけど、今はスマホを裏返したまま見ようともしないし、あの花束の日以来、二人は一度も会えていないはずだ。
(なんで、なんで? 何が原因なの?)
確かにシュースケは、この二ヶ月間ずっと忙しくて、朝から晩まで仕事に追われ、出張も続いていた。そのせいで一回体調を崩してしまったのも知っている。
だけど、ヒカリちゃんはそんなことで見捨てたり怒ったりするような子じゃない。
じゃあ、なんで???
ヒカリちゃんが、忙しすぎるシュースケに愛想を尽かしたとか??
いやいや、あんな健気な子がそんなことするわけない!
私は事務所に向かいながら、ずっと頭を悩ませていた。
(そういえば、シュースケ、一昨日の夜からずっと出張だって言って、今東京にいないんだよね。……なんか、急遽アメリカの案件に戻るって言ってたような?)
あれ? そういえば、それっていつからいつまでの予定だっけ?
私は、オフィスに着いたら一番にスケジュールを確認しようと決めた。
事務所が入っているビルに入り、エレベーターで高層階へと上がる。
コツ、コツ、コツ。
静かな廊下に、私のパンプスの音だけが鳴り響く。
そして、私は事務所のオフィスのドアを開けた。
「……シーン」
がらんとした、誰もいないオフィス。
時計を見ると、まだ朝の八時過ぎだった。
私が色々と悩みすぎて、早く家を出てきちゃったみたいだ。シュースケは出張でいないし、他の所員もまだ出社していない。初めての「一番乗り」だ。
私は静かなオフィスを歩き、自分のデスクに座った。
さっき確認しようと思っていたシュースケのスケジュールを見るために、PCの電源を入れる。
——すると。
バンッ!!!!!
突然、エントランスにあるお客様用のドアが、勢いよく開く音が響き渡った。
「えっ!? ダレ?! こんな朝早くから!?」
私はビクッと肩を揺らし、慌ててイスから立ち上がって、エントランスの方へと駆け出した。
そして、お客様用の応接スペースに繋がるドアを開けた瞬間。
「…………わお」
私は思わず、目を真ん丸に見開いて硬直した。
「……どっかで、見たことある!! ミナミカワ……ユウコ!?!?」
そう。そこに立っていたのは、ヒールを履いて息をハァハァと荒げ、中腰になって肩を揺らしている美女。
最近日本に来たばかりの私でも知っている、日本の超有名ジョユー(女優)、ミナミカワユウコだったのだ。
彼女はひどく焦っているようで、私と目が合うなり、勢いよくこちらへ駆け寄ってきた。
「木下先生はっ!! 木下先生はいますか!?!?」
凄い剣幕で、声を荒げて聞いてくる。
「えっ? シュースケ……デスか?!」
私はいきなりいとこの名前を言われ、驚いてアメリカでの呼び方で返してしまった。
「シュースケ? ああ、下のお名前? いや、今はそんなことどうでもいいの! 木下先生と連絡が繋がらなくて!! だから、居ても立っても居られなくて直接ここまで来たの!!」
「あー、シュースケ、、木下なら、一昨日からずっと出張で。もしかしたら今、飛行機の中とかにいて連絡が繋がらないのかもデス!」
私は、取り乱しているミナミカワさんを落ち着かせるように、両手を前に出して言った。
「それだったら、困ります!! 早く、早くしないと!! 早く法的にこの出版社へ対応しないと……!! このガセ記事が、世に出てしまいますっ!!!」
そう叫ぶと、ミナミカワさんは、手に握りしめていた「ぐちゃぐちゃになった何かの原稿」みたいな紙を、私に向かってバッと突き出した。
「えっ?! ガセキジ??」
私は戸惑いながらも、そのぐしゃっとなった紙を受け取り、広げて内容を見た。
そして、その紙面を見た瞬間——私は息を呑んで目を見開いた。
「……『結婚秒読み!? 大物女優・南川優子が、イケメンエリート国際弁護士と両親へ結婚の報告!?』……っ!?」
私は、そのスクープ記事の原稿に躍る見出しを、思わず大声で読み上げた。
そこには、白黒の隠し撮り写真で、シュースケの腕をミナミカワさんがしっかりと掴み、親しげに寄り添っている瞬間がデカデカと載っていた。
なんじゃこりゃ!!!
シュースケが、目の前にいるミナミカワさんと結婚!?!?
ていうか、あの女っ気がなくてガードの固いシュースケのことだ。こんな写真、何かでバランスを崩した一瞬の不意を撮られただけに決まってる!!
シュースケがヒカリちゃん以外とどうにかなるなんて、絶対にあり得るわけない!!!
「なんで!!! なんで、こんな記事持ってるんですか!?!?」
私は頭を大混乱させながら、大ジョユーであるミナミカワさんに詰め寄った。
「私の優秀なマネージャーが、記事が公開される前に、独自のルートでこの記事のゲラ(原稿)の情報を入手してくれたの!!! こんなガセ記事、たまったもんじゃないわ!!」
ミナミカワさんは、なりふり構わず息を切らしながらまくし立てた。
「木下先生とは、私のある依頼の件で、秘密裏に法的なお仕事をしてもらっていただけなの!! それで、両親の家へ仕事で来てもらった時に、こんな作られたような悪意のある角度で写真を撮られただけ!! 木下先生は確かに飛び抜けたイケメンだけど、私は……私のタイプじゃないの!!」
そして、彼女はさらに早口で、声を荒げながらとんでもないことを暴露した。
「私はっ……私は、芸人の『大里さん』と結婚するの!!!」
「…………え?」
(この人、シンプルにシュースケに対して失礼なこと言うな……)と一瞬イラッとした私の思考は、その衝撃の爆弾発言によって完全に吹き飛んだ。
「えっ!?!? オオサト!?!? あの、メガネの、ブサイク芸人の!?」
私は思わず、日本語のボキャブラリーの限界を突破して叫んでしまった。
あの、テレビでよく見る、太っちょでメガネをかけた、イジられキャラの芸人!?
たしかに私でも知っているくらい売れっ子かもしれないけど……美女と野獣すぎない!?
「貴女、失礼ね! ……まぁいいわ! とにかく、私は愛する大里さんとの結婚発表を間近に控えていて、その前に実家のトラブルを処理するために、木下先生に裏で早急に対応してもらっていただけなのに……!! それなのに、こんなガセの熱愛記事が出たら、私のやってきたことが台無しじゃないの!!」
ミナミカワさんは「どうしよう、どうしよう!」と、ジョユーのオーラを完全に消し去って、その場で落ち着きなく立ちすくんだ。
私は、手元にあるそのガセ記事の原稿を、もう一度目を凝らして隅々まで確認した。
すると、紙面の下の方にある、小さなコラムの文章にピタリと目が止まった。
「っ……!!」
「……もしかしてっ!!!」
それを見た瞬間。
私の頭の中で、すべてのバラバラだったパズルが、一つの最悪な絵を完成させた。
私は弾かれたように応接室を飛び出し、自分のデスクへと戻った。
そして、スリープ状態から立ち上がったPCの画面で、シュースケのスケジュールアプリを血眼になって確認する。
「っ……!! 朝十時まで、出張先の札幌から羽田まで移動……! そして十一時に、羽田発のニューヨーク便に搭乗っ!!!!」
(これは、やばい!!!)
シュースケが担当している『超大型M&A案件(企業買収)』が佳境に入っていて、その案件の交渉でそろそろニューヨークに戻らなきゃいけないのは知っていたけど……。
この最悪な状況を抱えたまま、こんなタイミングで日本を離れるなんて!!
私はデスクの上に置いていた自分のカバンとスマホをひったくり、ガセ記事の原稿を強く握りしめて、再びお客様用のエントランスへと戻った。
バンッ!
扉を思い切り開け放つ。
「ちょっと、貴女! 貴女、どこ行くの!?」
ジョユー・ミナミカワさんは、私がいきなり走り出した意味が理解しきれず、完全にパニックになっていた。
私は勢いよく彼女の横を通り過ぎながら、バッと振り返って叫んだ。
「ミナミカワさん!!! 絶対、絶対に! この記事は公開させないようにシュースケと私が止めるかラ!! だから、あとは私に任せてくださイ!!!」
「……えっ!?」
目を白黒させて固まるミナミカワさんを事務所に置き去りにして。
私は、全力疾走でエレベーターホールへと向かった。
エレベーターに飛び乗り、一階のボタンを押し、「閉まる」のボタンを壊れるんじゃないかってくらい連打する。焦りで心臓が口から飛び出そうだ。
一階に着くやいなや、私は勢いよく飛び出し、朝の東京の街へと走り出した。
「ハァッ……ハァッ……!!」
パンプスが壊れるのも気にせず、アスファルトを蹴って全力で駆ける。
走りながら、私の頭の中では、先ほど見た記事の一文が何度も何度もリフレインしていた。
そう、この握り締めてるガセ記事には書かれていた内容は……
『……エリート国際弁護士の素顔を知る、幼馴染のHさんに突撃インタビュー! 彼女は涙ぐみながら、彼の幸せを願って……』
そういうことだったのか!!!
あの時、大きな花束を持ったシュースケが、あんなにも絶望して、今すぐでも消えてしまいそうな切ない顔をしていたのはっ!!
「ヒカリちゃんは、この記事のせいで誤解しちゃったんダ!! それで、シュースケを突き放しちゃったんダ!!!」
勘違いと、誰かの悪意と、コンプレックス。
そんなくだらないもののせいで、あんなにもお互いを思い合っていた二人が引き裂かれるなんて、絶対に間違っている!!
「絶対っ!! 絶対に、二人を離させなイ!!!!!!」
私は、顔に当たる風を切り裂きながら、ヒカリちゃんのいる会社へと向かってただひたすらに駆け抜けていった。




