15章 重なる幸せ ①
東京は五月になった。
ゴールデンウィークの連休が終わり、オフィス街には再び忙しない活気が溢れている。
「オハヨーございまース!!!」
私は元気よくオフィスに出勤し、フロアの周りに向かって大きな声で挨拶をした。
「……おはようございます」
「……」
カタカタカタ……。
ひたすらパソコンに向かい、低いテンションでキーボードを叩く他の所員たちの姿。
(うんうん。やっぱり日本人って、朝からちょっと暗いよねー。もっと元気に明るく挨拶した方が、絶対に楽しいのに!)
私は周りをキョロキョロと見渡しながら、自分のデスクに座った。
私は、サラ。
今年の年始から、六つ年上の従兄弟であるシュースケが働くこの法律事務所の東京支社にやってきた。弁護士資格の取得と、日本語の勉強を兼ねてのアシスタント勤務だ。
シュースケのことは、私がすごく小さい時から知っている。
彼が日本にいた頃は、年に一回ぐらいのペースで、彼のお母さんのミサと一緒にアメリカに帰省してきて、私たちの家に泊まっていたからだ。(ミサの母と父にあたる、おじいちゃんとおばあちゃんと私の親は同居してた為)
ちなみに、ミサの旦那さんである日本人のダンディなおじさんとも会ったことがあるらしいけど、私が本当に小さい時のことだったから、あまり記憶にはない。
その後、ミサが病気になって、治療とシュースケの大学進学のために二人が本格的にアメリカにやってきた。
それからというもの、同じマンションの隣の部屋に住んでいたから、私にとってシュースケは「実のアニキ」みたいで、ミサは「すごく歳の離れた優しいお姉さん」って感じだった。
***
そんな、シュースケとミサがアメリカにやってきてからしばらく経ったある日のこと。
私は、おそらく一人で黙々と勉強をしているであろうシュースケの部屋のドアを、ガチャリと勝手に開けた。
「シュースケ! ミサが呼んでるよー!」
机に向かっていたシュースケは、眉間にシワを寄せて振り返った。
「サラ……ノックぐらいしろよ」
「いいじゃん別にー、家族なんだしー!」
私はケロッとした顔で、シュースケの文句を受け流した。
「……はぁ、まあいいや。行ってくる」
呆れた顔で立ち上がったシュースケは、私の横を通り過ぎ、リビングの方へと出て行った。
そして、私の目の前には、誰もいないシュースケの部屋が広がった。
「んっ?」
私はその部屋で、ふと「あるもの」に目が釘付けになった。
シュースケの、分厚くて難しそうな法律の本が山積みになった机に駆け寄る。
そこには、いつもは飾られていない、少し古い写真立てがぽつんと置かれていたのだ。
「なんだろう? この写真」
私はその写真のフレームにそっと手をかけた。
そこには、日本の学生服を着た男女が並んで写っていた。
まだ幼い顔立ちで、ほんの少しだけはにかむように笑っているシュースケと。その隣で、元気いっぱいに笑っている、丸顔で目がくりっとした女の子。
「〇〇ちゅーがく、にゅーがくしき……?」
私はこの頃覚えたてだった、写真の隅に書かれている漢字を必死に読んだ。
そして、写真に写るシュースケの顔をもう一度見た。
「なんか、シュースケ楽しそう。……ていうか、シュースケにも『女友達』なんていたんだ」
写真に写るシュースケは、アメリカにいる時には見たことがないくらい、自然で柔らかい笑顔をしていた。
こっちではいつも、無愛想なくせに。
(シュースケ、こっちでもそこそこモテるから、女友達1人ぐらい作れよって思ってたけど……日本にはちゃんといたんだな)
私はそんな軽い気持ちで、「日本のシュースケは、ちゃんと青春の学生生活してたんだなー」と感心して、写真を元の場所に戻した。
***
そして、また月日が経ち、シュースケが大学を卒業する頃のこと。
ミサが、病気を完全に治すために、いよいよ最新の大掛かりな手術を受ける日が間近に迫っていた。
私はハイスクールの授業が終わるとすぐに、ミサのいる病院へと駆けつけた。
ガラッ。
「ミサ!!! 調子はどう???」
私は、薬の副作用に苦しんでいるミサが心配で駆け寄り、ベッドで本を読んでいた彼女にギュッと抱きついた。
「サラ……。大丈夫よ。来てくれてありがとう」
ミサは聖母のように優しく微笑み、駆け寄った私の頭を撫でてくれた。
そう、私はミサが大好きだ。
私は学校でいつも男の子に混じって喧嘩ばかりしている、全然女の子らしくない子どもだった。そんな男勝りな私を陰でコソコソ悪く言う奴らのせいで悩んでいた時、「サラは、サラのままでいいのよ。そのままが一番素敵よ」と、私に自信を与えてくれた大恩人が、ミサなのだ。
だから、ミサが病気で苦しむ姿を見るのは、本当に自分のことみたいに辛かった。
今回の手術で、絶対にミサの病気が治ってほしいと、心の底から願っていた。
私は、薬のせいで以前より少し痩せてしまったミサの手を、両手で包み込むように握った。
「ミサ! 手術頑張ってね、絶対に治るから!」
私はミサを元気付けるように、わざと大きな声で言った。
「ふふっ、ありがとう……。ドクターも、手術は高い確率で成功するって言ってくれているんだけど……。人間、やっぱりこういう時になると、どうしてもマイナス思考になっちゃうのよね……」
しかし、ミサの口からは珍しく、ネガティブで弱気な言葉がこぼれ落ちた。
「……ミサ……」
私は、わずかに震えているミサの手を、ギュッと力を込めて握り直した。
ミサの綺麗な目が、伏し目がちに視線を落とす。
「はぁ……もし、これで私が助からなかったら……。秀介が結婚して、温かい家庭を持った時の姿も、見られないのね……」
そうか。
ミサは、日本で交通事故で旦那さんを亡くしている。だからこそ、たった一人の息子であるシュースケには、ちゃんと温かい家庭を築いて幸せになってほしいと、人一倍強く願っているんだ。
「でも、シュースケ、全然女っ気ないから、大丈夫かな?」
私は空気を読まずに、思ったことを単刀直入に聞いてしまった。
シュースケは無愛想で、無口なガリ勉だ。アメリカの陽気な基準からするとすごくモテるというわけではないけれど、一定数、あの美男子を眺めておきたいというおかしな女の子たちもいる。
でも、シュースケはずっと自分のペースで法律の勉強をしているだけで、女の子の噂なんて全くなかったからだ。
「ハハッ、確かにそうね……」
ミサは困ったように眉を下げて笑った。
そして、ミサは少しだけ真剣な声色になって、こう続けた。
「……私はね。あの子が一番辛かった時に、ずっと横にいてくれた、日本にいる『幼馴染の女の子』と、幸せになってくれたらいいなって……ずっとそう思っているんだけどね」
ミサは、遠くの宝物を思い出すように、優しく微笑んだ。
「幼馴染??」
「うん。私たちが日本にいた時、近所に住んでいた女の子なの。……秀介はきっと、今でもその女の子のことを、一途に想い続けているわ」
その言葉を聞いて、私は数年前に見た、シュースケの机に飾られていたあの古い写真を思い出した。
(きっと、あの写真に写ってた、元気そうに笑う女の子のことだ!)
「そんなに好きなんだね! シュースケは、日本にいる幼馴染の女の子のことが!」
「そうよ! ……でも、これは秀介には内緒よ?」
ミサは口元に人差し指を当てて、悪戯っぽく笑った。
私もその時、「ミサがそう思っているくらいなんだから、シュースケもその女の子に早く気持ちを伝えて、幸せになっちゃえばいいのに!」と、純粋にそう思っていた。
(ちなみにこの後、ミサの手術は無事に大成功して、病気は見事に完治した)
***
――そして、現在。日本の、東京のオフィス。
私は自分のデスクのPCの電源をつけながら、一番奥の窓際のデスクで、今日も誰よりも早くから仕事をしているであろうシュースケを見た。
いつも通りに眉間にシワを寄せ、大量の資料やPC画面に向かって、黙々と仕事をしている。
……いや。
「……シュースケ、あの日から、すっごく元気ないな……」
周りの所員から見れば、完璧にいつも通りの「クールで有能な木下先生」なのだろう。でも、ずっとそばで見てきた家族の私にはわかる。
あのシュースケは、絶対に無理をしている。
何かひどく悲しいことがあって、それを頭から追い出すために、必死に仕事に没頭して忘れようとしている感じだ。
(ヒカリちゃんのことなんだろうな....)
私は、あの小動物みたいで可愛いヒカリちゃんの顔を脳裏に浮かべた。
そして、一週間前ぐらいの「ある記憶」が鮮明に蘇ってきた。
***
夜、私が日課のウォーキングで家の近所を歩いていた時のことだ。
ちょうど、シュースケが住むタワーマンションの近くを通りかかった。
その時、マンションのエントランス前に一台のタクシーが停まり、中からスーツ姿の男の人が出てきた。
その人の手には、ピンク色の花がぎっしりと詰まった、大きな綺麗な花束が抱えられていた。
「シュースケ??」
遠くからでも、そのシルエットで一発でわかった。
(なんで、あんな大きな花束なんて持ってるんだろう?)
たしかシュースケは、その日「大事な予定があるから」と、直帰していたはずだ。
てっきりヒカリちゃんとディナーにでも行って、ヒカリちゃんから何かのお祝いで花束をもらって帰ってきたのかな?
と思ったんだけど……。
私は目を凝らして、シュースケの顔を見た。
そして。
「っ……!!」
目を見開き、背筋がゾクッとした。
(……シュースケ……なんで、あんな泣きそうな、ボロボロの顔してるの……?)
私は電柱の陰で立ちすくんだ。
あんな表情のいとこのアニキ、見たことがない。
いつもの完璧なポーカーフェイスが完全に崩れ去り、魂がどこかへ消えてしまいそうな、今にも崩れ落ちそうなほど切なく、絶望に満ちた顔だった。
(あの花束は、ヒカリちゃんにもらったんじゃない……。多分、渡すはずだったのに、渡せなかったんだ……!)
絶対に。ヒカリちゃんとの間に、何か決定的に悲しいことがあったに違いない。
私は咄嗟に、「シュースケ!」と慰めようとして駆け寄ろうとした。
「あっ……」
しかし、シュースケはあっという間に、暗い顔のままマンションのエントランスの中へと消えて行ってしまった。
私はスマホを取り出し、シュースケに電話をかけようとした。
でも、発信ボタンを押す直前で、親指を止めた。
(ダメだ。シュースケは、切羽詰まっている時ほど一人で考え込みたいタイプだ。今連絡しても、「大丈夫だ」ってあしらわれて、逆に心配をかけまいと心を閉ざしちゃうだけだ……)
私はスマホをギュッと握りしめ、自分の自宅の方向へと走り出した。
でも……でも、絶対に、シュースケを助けてあげなきゃ!!
私、日本に来てから、痛いほどよくわかったんだ。
シュースケとヒカリちゃんが、二人で並んで歩いているところを見た時。
あんなに幸せそうに、愛おしそうに笑うシュースケの顔、アメリカでは一度だって見たことがなかった。
アメリカにいる時は、「早く告白してさっさと恋人になっちゃえばいいのに!」なんて軽く考えていた。でも、違う。
きっとヒカリちゃんは、シュースケにとって、本当にかけがえのない、命に代えても守りたいくらい大切な存在なんだ。だからこそ、自分の思い通りに強引にしようとせず、あんなに慎重に、大切に扱っていたんだ。
でも……でも!
そんな、二人の大切に積み上げてきた世界が、今、完全に壊れてしまいそうな予感がする!!!
(それだけは、絶対にさせてはいけない!!)
(ミサがいない日本では私がなんとかしなきゃ!!!)
私は、夜の東京の街を、自分にできることを探して全力で駆け抜けていった。




