番外編 スパダリとモブヒロイン
十二月上旬。
私は、都内の企業に勤める、しがない派遣社員の女。三十六歳。
細々と安い家賃の1Kアパートに住み、独身を貫いている。
私には恋人なんていらない。ましてや結婚なんてもっとしたくない。休日のたびに男の世話を焼くなんて、コスパもタイパも悪すぎる。
だって、私にはこれだけで十分幸せなのだから!
そう、私の生きがいは『創作BL』!
自分の脳内で、魅力的な男の子と男の子を出会わせ、紆余曲折のすえに極上のハッピーエンドを迎えさせてあげること。それだけで、私の毎日はバラ色に輝くのだ♡
そして現在、そんな私の創作意欲をビンビンに刺激してやまない『最高のターゲット(モデル)』が、同じ職場にいる。
隣のデスクでパソコンを叩いている、二つ下の後輩派遣社員――一途名 光さんだ。
正直に言うと、彼女は冴えない感じの、空気みたいな女の子だ。まさに『モブキャラ』という言葉が世界一似合う。
でも、そんな一途名さんだけど、人一倍優しくて、頼まれたら絶対に断れない性格で、誰かが困っていたら放っておけないという、とんでもなくお人好しなのだ。
誰もやりたがらないシュレッダーのゴミ捨てや、備品の補充を黙々とやっているのはいつも彼女。
新入社員がコピー機の前でオロオロしていると、自分の仕事を止めてすぐに教えてあげる。
さらには、職場のカースト上位に君臨する正社員のキラキラ女子たちが、
「一途名さーん、ごめぇん。今日合コンだから、この入力のお仕事お願いしてもいい〜?」
なんて面倒な仕事を押し付けてきても、
「あっ、はい……大丈夫ですよ」
と、嫌な顔一つせずに引き受けてしまうのだ。……本当は自分の仕事も終わっていなくて、絶対無理しているはずなのに。
そして、お局様やトップ成績の営業マンなどに高圧的な態度で指示を出された時は、「す、すみません……」と、自信なさげに小動物みたいに縮こまってしまう。
(も〜っ! そんな理不尽な扱い、断っちゃえばいいのに!!)
横目で見ながら、私はいつも心の中で地団駄を踏んでいる。と同時に……。
(やーん……ねぇさん、めちゃくちゃ守ってやりたくなるやん……っ!)
と、庇護欲を激しく刺激されているのだ。
彼女の顔は、童顔で目はくりっと大きいけれど、特別可愛いわけではなく、いわゆる「普通」だ。見る人によっては、丸い鼻筋のせいで「中の下」とか言う人もいるかもしれない。
でも、私から見れば、いじめられている子犬みたいで、無性に守りたくなる最高の顔なのだ。
地味で、ビビリで、自分に自信がない。でも、人一倍優しくて自己犠牲しちゃう、人生の綱渡りが下手くそなタイプ。
(めっちゃ最高やん!♡)
彼女は、私の新作BLの『受け(ヒロイン)』のイメージに、これ以上ないほどドンピシャだった。
――ただ、重大な問題が一つある。
それは、相手役……そう、『攻め(ヒーロー)』の存在だ。
一途名さんは、現在恋人がいないらしい。
たまーに給湯室で恋バナを聞くこともあるけれど、出てくる男がどうしようもないクズばかりなのだ!
付き合ったのに、やるだけやってその後一切連絡なしの男。
付き合った瞬間に、デート代をケチり始め、あわよくば財布からお金を抜こうとする男。
さらには、職業を詐称していて、危うく詐欺に遭いかけたなんて話まで飛び出した。
(こんなヤバいダメンズばっかり引き当ててたら、人間不信になるわ! かわいそうに……)
ていうか、そんな底辺の男たちは、私の尊い創作の『相手役オーディション』では書類選考で即お祈りレベルである。絶対に許さない。
あと、一途名さんからたまーに聞く、高校時代の初恋の元カレ。
どっかのスポーツ選手らしいが、彼女が尽くしたにもかかわらず、活躍し始めた途端に扱いが雑になって別れたらしい。
この元カレに関しては、ヒーローというより、当て馬かライバルキャラのポジションだろう。
「はぁ……」
私は、隣のデスクで真面目にタイピングを続ける一途名さんをチラリと見て、深いため息をついた。
(一途名さん……頼むから、私の神作のネタになるような、最高の包容力でアンタを丸ごと包み込んでくれる『いい男』の話を、私に提供してくれ……! もう、クズ男のエピソードはお腹いっぱいだよ!!)
***
そんな私の切実な願いが通じたのか。
クリスマスが過ぎ、お正月も過ぎた、年明けの仕事始めのことだった。
ふと隣のデスクの一途名さんを見ると。
「……ふふっ」
パソコンの陰に隠してスマホの画面を見つめながら、めちゃくちゃ嬉しそうに微笑んでいるではないか!
つい数週間前のクリスマスあたりには、この世の終わりみたいな顔をして出社してきていたのに。
「一途名さん、なんかいいことあったの?」
私は興味本位と、あわよくばネタにならないかという期待を込めて探りを入れてみた。
「わっ! な、なんでもないですよっ!!」
彼女はバッと顔を真っ赤にして慌ててスマホをデスクの引き出しにしまい、キーボードを力強く叩き始めた。
(……これは、あやしい。超絶あやしい!)
(もしかして……いい男、できた?!?!?!)
よっしゃぁぁ! これで新作のネタができるぞ!!
私は心の中で全力のガッツポーズを決めた。
でも……最初は良くても、一途名さんのことだ。また変なダメンズを引いてしまって、最終的に泣きを見るオチになるかもしれない……。
そんな一抹の不安を抱きながら過ごしていた、数日後の仕事帰り。
私は、運命的な最高の『ワンショット』を目撃することになる。
「お、お先に失礼しますっ!」
定時を迎えた瞬間、一途名さんがいつになく慌てた様子で早々に退社していった。
珍しいこともあるものだ。私は「なんかあるんかな〜」と彼女の背中を見送りながら、自分のペースで帰り支度を整えた。
五分後。
会社のビルの1階エントランスへ降りるエスカレーターに乗っていると、ガラス張りの大きな窓から、外のロータリーの景色が見えた。
「んん??」
私は思わず目を細めた。
ビルの外へ向かって小走りで駆けていく女性。あのコートは、間違いなく一途名さんだ。
そして、彼女が向かう先に立っている、一人の男の人。
私は、その男の人を見た瞬間、エスカレーターの上で目をまん丸にして硬直した。
長身で、スーツに、洗練されたチェスターコートが死ぬほど似合っている。スタイル抜群。前髪をセンターパートに分けた、大人の色気とフェロモンがMAXに漏れ出ている、圧倒的な超絶イケメン。
そして、見るからに「絶対になんかすごい仕事で稼いでます」というエリート感が、全身からカンストしている。
(な、なんだ……あの、BL漫画の表紙からそのまま飛び出してきたような人物は……!!)
私の腐女子センサーが、けたたましく警報を鳴らした。
(香ばしい匂いしかしない!! これは、絶対に見逃せない!!!)
私はエスカレーターを足早に降りると、二人にバレないように柱の陰に隠れ、そっと後をつけてみることにした。
私がこっそり見守る二人は、手こそ繋いでいないものの、並んで歩いている。
一途名さんは少し照れくさそうにしているが、その表情は今まで会社で見たことがないほどリラックスしていて、とても親しげだ。
そして、私は例の超絶イケメンの顔を、もう一度盗み見た。
「キャッ……///」
私は、溢れ出そうになる心の雄叫びを、必死に両手で口を覆って抑え込んだ。
な、なんなのあれ?!?!
あのイケメンの、一途名さんに向ける甘っっっっまい表情!!!
「俺がこの世界から命に代えてもこの子を守ります」、っていうか「この子が俺の全世界です」と言わんばかりの、見ているこっちが恥ずかしくなるほどの激甘なオーラ!!
あの圧倒的なハイスペック男が、モブキャラみたいに地味な一途名さんを、まるで壊れ物を扱うみたいに慈しむような目で見つめているのだ。
(そう……!! これ!! 私がずっと求めていたのは、この完璧なスパダリ(ヒロインの相手役)!!!!!)
私は尊さの過剰摂取で心の暴走に追いつけなくなり、完全に放心状態となってその場に立ち尽くした。
「――はっ!!」
我に返った時、二人の姿はすでに人混みの向こうへと消えていた。
(はわわわわ……っ! これは、すぐに家に帰って、プロットを書き殴らなければ!!!)
私は血走った目で、カバンを握りしめながら駅へと猛ダッシュした。
一途名さん!!! 本当にありがとう!!
こんなに素晴らしいネタと、最高の相手役のモデルを提供してくれるなんて!!
やっぱり、一途名さんみたいに誰にでも優しくて頑張り屋さんな子には、あんな風に全てを包み込んでくれる最強の男がふさわしい。
私の長年の腐女子としての勘が告げている。あの人は、絶対に一途名さんのこと、一生大切にして、幸せにしてくれるって!!
だから……次こそは、絶対に幸せになってね、一途名さん!!
私は心の中で可愛い後輩に全力のエールを送りながら、今夜徹夜で書き上げる予定の新作小説のタイトルを、頭の中で嬉々として練り始めていた。




