13章 仕組まれた罠 ②
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都内の某タワーマンションの高層階。
パトロンに借りてもらってる、私の趣味である淡いピンク色と白で統一された可愛らしいリビング。
その中央に置かれた大理石のテーブルに向かって、私は一人、ご機嫌な笑みを浮かべていた。
「ふふっ……。いい仕事するじゃない、あの探偵。」
テーブルの上にずらりと並べられた、探偵に撮らせた何枚もの隠し撮り写真。
そこに写っているのは、見惚れるほど洗練された美男美女が、二人並んで高級マンションのエントランスへと入っていく姿。
私は、丁寧に手入れされたジェルネイルの指先で、その中の一枚をスッと引き寄せた。
黒髪のロングヘアをなびかせた美女が、スーツを着こなした超絶イケメンの腕を、両手でしっかりと掴んで映る写真。
もちろん、このイケメンは、大手外資系法律事務所のエリート国際弁護士である秀介くん。
そして、彼にすがる美女は、誰もが知る大物女優の南川優子だ。
まさに、世間の誰もが羨む完璧な二人。
(まあ、実際はガードの固い秀介くんのことだから、体調不良か何かでバランスを崩して、偶然この画角になっただけなんでしょうけど……)
でも、そんな真実なんてどうでもいい。写真というのは、切り取り方次第でいくらでも『真実』に変えられるのだから。
重要なのは、この写真が撮られた場所が、南川優子本人の自宅ではなく『彼女の両親のマンションの前』だということ。
そして、私はその写真を、週刊誌に売りに行く。
「こんなの、結婚を前提にしたイケメン彼氏を、実家の両親に紹介しに行ったシチュエーションにしか見えないじゃない。……これじゃあ、結婚秒読みのカップルみたい〜♡」
私はクスクスと喉の奥で笑い声を漏らしながら、写真の中に写る、少し眉をひそめた秀介くんの美しい顔を、愛おしむように指の腹でゆっくりとなぞった。
「私からは逃げられないわよ……秀介くん。そして光、あんたは絶対に……幸せになんてならない」
二人が裏でどれだけ思い合っていようが関係ない。光と秀介くんが恋人同士になって笑い合う未来なんて、私が絶対に許さない。
***
実は、時は遡ること二週間前。
私は、信じられない衝撃の事実を耳にすることになった。
あの日、私は青田啓司――啓くんに電話をかけた。
目的は、上手いこと彼を操って、光に復縁の告白をさせること。そして、光の心を乱し、彼女を完全に秀介くんから引き離してもらうためだ。
もちろん、その前に啓くんとの関係も清算しておかなければならない。私は端から付き合っているつもりなんてなかったけれど、向こうは私に夢中で、完全に彼氏気取りでいるから面倒くさい。
頭の中で、完璧な台本を組み立てる。
まずは別れたいと伝え、『仕事で忙しい私より、昔から純粋に尽くしてくれた光の方が、貴方にはお似合いだわ』と同情を引く。そして、彼のプライドと闘争心を煽るために、『光にはもう、別の素敵な人がいるかもしれない』というエッセンスを加えれば、焦った彼はすぐに光に復縁を迫るはずだ。
うん、完璧な計画。
私は自信満々で、啓くんのLINEを開き、通話ボタンを押した。
『もしもし……』
コール音が数回鳴っただけで、すぐに啓くんが電話に出た。
(ふふっ、私のことよっぽど好きなのね。だからこんなに早く出るんだわ)
「あっ、啓くん〜? 連絡全然できなくてごめんね〜♡ ちょっと、話したいことがあって……」
私はとびきり甘えた、甲高い声を作って彼に語りかけた。
『は? 今更?』
しかし、電話口から聞こえてきたのは、冷たい声だった。
(……え? なんか、予想と違う)
私は内心の焦りを隠し、作戦通りに悲しそうな声を装って訴えた。
「うん……私、やっぱり、素敵な啓くんには似合わないから、もう関係を終わりにしたいなってぇ……」
すると、啓くんは鼻で笑うように吐き捨てた。
『いや、俺たちの関係なんてもう、とっくに終わってただろ!』
ストレートで強い口調。
(はぁ!? 何、私に口答えしてるのよ!)
イライラが込み上げてきたが、ここでキレては元も子もない。私は彼と喧嘩をするために電話したんじゃない。光に復縁を迫らせるという、重要なミッションがあるのだ。
「ごめん、本当に……ずっと悩んでて。だから、許して?」
『はぁ……』
啓くんは、底からの呆れが混ざったようなため息をついた。
「それでぇ、啓くんには、私なんかより……やっぱり、啓くんを一途に想って、無条件の愛を持って尽くしてくれた、純情な光の方がお似合いだと思うのぉ……」
さあ、これで自分の愚かさに気づいて、光の元へ走れ。
私がそう期待して言葉を紡ぐと、電話の向こうの啓くんはピタリと黙り込んだ。
『…………』
「どうしたの? 啓くん?」
(ふっ、光を手放したことを今更後悔して、黙り込んじゃったわね……)
私がそうほくそ笑んだ、次の瞬間だった。
『……うるせぇっ!!!』
予想外の、耳をつんざくような彼の怒号が電話越しに響き渡った。
「は……!?」
思わず素の低い声が出てしまう。
『こっちは、お前に言われるずっと前に、とっくに気づいてるんだよ! あんなに健気に俺を支えてくれた一途名を蔑ろにして、傷つけた、自分の愚かさにな!』
嘘でしょ?
あんなに意地っ張りでプライドが高くて、自分のことしか考えていなかった啓くんが、自ら自分の非に気づいたっていうの? ありえない。
『それで、ちょうどこの前……一途名に直接会って復縁の告白をして、きっぱり振られたところだよっ!』
「はぁっ!?」
私の頭の中で、完璧だったはずの計画がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
もう、すでに光が……あの、復縁したくてしたくてたまらなかったはずの青田啓司を、あっさり振った!?
啓くんは、私の動揺などお構いなしに話を続けた。
『一途名には、すでにもう心に決めた大切な人がいてさ。今はまだ付き合ってないみたいだけど、もうすぐしたら多分、付き合うと思うわ』
ドクン、と。心臓が嫌な音を立てた。
まだ付き合っていないけど、付き合うのは秒読み?
私は冷や汗を流しながら、震える唇を開いた。
「そ、の……大切な人って、誰よ?」
啓くんは少し黙り、やがて観念したような声で答えた。
『……アイツの口から直接名前を聞いたわけじゃないけど。秀介以外、いねぇだろ……』
「――はぁ?」
え? 今、なんて言った。
秀介って……あの、秀介くんのこと!?
私は完全に頭が真っ白になった。
まさか、あのどん底にいたはずの光と、あの秀介くが……もう、付き合う直前だなんて。
テーマパークの写真や、この前事務所で見た秀介くんの焦りようから、二人が緊密な仲であることは知っていた。でも、まさかもうそこまで関係が進んでいるなんて。
ましてや、あの優柔不断で流されてばかりだった光が、初恋の相手であり絶対的な憧れだった青田啓司を、自らの意思できっぱりと振るなんて……!
『だから、俺は、二人のことを応援することにしたんだ。もう、誰かを傷つけるような余計なことはごめんだ。……お前も、二度と俺とは関わらないでくれ』
コイツの、脳内お花畑の偽善者みたいなセリフに、強烈な吐き気がした。
何が「応援する」よ。バカじゃないの。
「あっそ……」
『あっ、そうだ、みよ。お前に一つ、聞きたいことが……』
啓くんが何か不穏なことを問い詰めようとしていたが、私はお構いなしに、赤い通話終了ボタンを強くタップして電話を切った。
スマホを持つ手が、カタカタと震えている。
私のお腹の底から、黒くてドロドロとした『何か』が、全身の血管を駆け巡って溢れ出してくるのを感じた。
(許さない……。絶対に、許さない……!)
早急に。確実に。
あの二人の関係を、修復不可能なレベルでズタズタに切り裂く『何か』が必要だ。
私は暗い室内で一人立ち尽くし、ギリッと奥歯を噛み締めた。
****
――そして、現在。
私は大理石のテーブルの上に並べられた隠し撮り写真を、もう一度舐め回すように見つめた。
次にジェルネイルの指先でなぞったのは、秀介くんにすがりつく大物女優、南川優子の顔だ。
彼女とは、過去に何度かテレビ番組で共演したことがある。ただ、挨拶を交わす程度の薄っぺらい仲だ。
啓くんとのあの屈辱的な電話からというもの、私は焦りに焦っていた。
何か、何かないの。
あの二人の緊密な関係を、跡形もなく打ち壊すような『確実性のあるネタ』は。
例えば、あの二人が一番気にしていること。
光の圧倒的な『自信のなさ』を、ピンポイントでグサリと刺激する何か。
あの完璧な秀介くんの隣に立つなんて、自分のような冴えないモブ女には完全に無理なんだと、光自身に骨の髄まで思い知らせて、絶望の中で諦めさせるような何かが。
そんなふうに血眼になって探していた時に、まさに『天啓』のような偶然が舞い込んだのだ。
テレビ局のメイク室。
たまたま私の隣の席に座っていた大物女優、南川優子が、マネージャーと深刻そうな顔でヒソヒソと話しているのを、私の地獄耳が逃さなかった。
『……実家の倒産の件、絶対にマスコミにバレないように、極秘で優秀な弁護士を探してちょうだい。絶対に、口の堅い人よ』
極秘の案件。優秀な弁護士。
その二つのキーワードを聞いた瞬間、私の頭の中で、すべての点と点が一直線に繋がった。
全身の血が沸き立つような、最高の閃きだった。
私はすぐに局内の人脈をフル活用し、南川優子のマネージャーに接触した。そして「絶対に秘密を守れる、超一流の国際弁護士がいるわ」と、秀介くんのいる法律事務所の支店長を、ごく自然な形でこっそりと紹介したのだ。
もちろん、南川優子はただの仕事として、秀介くんに法的な処理を依頼しただけだろう。秀介くんだって、ただの業務として彼女のマンションに出向いただけだ。
でも、世間の目から見ればどうだろうか。
誰もが知る華やかな大物女優が、美しいエリート弁護士と極秘に何度も会っている。そして、両親の住むマンションへ、親しげに連れ立って入っていく姿。
(……ただ、これだけじゃまだ足りないわね)
私は、テーブルの上の写真を指先でトントンと叩いた。
この写真を、ただ週刊誌に売って記事にするだけでは、甘い。
もし記事が出てから光がそれを知ったとしても、頭の回転が異常に早い秀介くんのことだ。きっとすぐに光の元へ飛んでいき、「あれはただの仕事だ」「世間を騒がせるガセ記事だ」と、理路整然と言い訳をして、光を上手く丸め込んでしまうかもしれない。
あの二人の間にある幼馴染の絆は、私の想像以上に厄介で、強固なのだ。
だから、念には念を入れて。
私は、秀介くんに一切の弁明を許さず、光の心を一瞬で修復不可能なまでに粉砕するための『ある企み』を思いつき、密かに心の中で黒いシナリオを完成させた。
(ふふっ……これで、光のあの卑屈な心は、完全にへし折れるわ)
「ふふっ……あはははっ!」
お気に入りのピンク色の部屋の中で。
私はもう、込み上げてくる笑いを抑えきれずに、狂ったように笑い声を上げた。
さあ、絶望のショーの幕開けよ。
秀介くんは、あんたのものなんかにならない。
光。あんたは一生、身の程知らずな自分の惨めさに、一人で泣いていればいいのよ。




