6章 罠〜みより目線〜
(本当に……この女、イライラするっ!)
私は、エントランスで通せんぼをするように立ちはだかる女を前に、心の中で盛大に毒づいた。
フリーアナウンサーとして少しは顔も売れてきて、パパ活で手に入れたお金で全身を高級ブランドで固めている私を前にしても、この受付の女は全く態度を変えない。
無駄にスタイルは良くて、むかつくけど美人。でも、ガサツで声が大きく、私が最も嫌いなタイプの「無駄に自信満々な女」だ。
「ちょっと!!! シュースケはアポイントなしでの面会はNGダカラッ!!!!」
片言の日本語で、キャンキャンと吠える女を。
私は周囲の目を意識して、わざとらしく困ったような、可哀想な被害者の顔を作ってみせた。
その時だった。
「あっ! シュースケ! チョウドイイ所ニ!!」
女が入り口の奥に向かってパッと顔を輝かせた。
『シュースケ』。その名前に、私の心臓が大きく跳ねた。
弾かれたように後ろを振り返る。
そこには、私が高校時代からずっと手に入れたかった彼——木下 秀介くんが立っていた。
(……嘘。なんて、いい男なの……!)
私の胸の奥で、ドクン、と熱い血が激しく沸き立つ感覚があった。
隙なく着こなされた、仕立ての良さそうなダークスーツ。
スラリとした長身と長い脚が、そのスーツのシルエットを完璧なものにしている。
前髪をかき上げた黒髪のセンターパートから覗くのは、高校時代から変わらない、芸能人以上に整った美しい顔立ち。
けれど、あの頃のどこか近寄りがたい少年の面影は消え去り、大人の男としての余裕と、息を呑むような圧倒的な色気が全身から溢れ出していた。
(絶対に、絶対に私のものにする……!)
胸が高鳴る。全身の細胞が、彼を求めて疼くのがわかった。
今まで私がパパ活で出会ってきた経営者や、遊びで付き合ってきた男たちなんて全く目じゃない。圧倒的なオーラ。それでいて、日米の資格を持つ国際弁護士という完璧なステータス。
光みたいな冴えない女が、彼のお金で買ったあの高いマフラーを巻いていたことを思い出すだけで、ギリッと奥歯を噛み砕きたくなるほど嫉妬で狂いそうになる。
彼にふさわしいのは、光なんかじゃない。この私だ。
大人になり、さらに完璧になった彼を目の当たりにして、私の中の黒い独占欲と執着が、これまでにないほど激しく燃え上がった。
私は、瞬時に完璧な角度で小首を傾げ、一番可愛く見える笑顔を作った。
「うわーーー!! 秀介くんーー!! 久しぶりー!!! 会いたかったよぉ♡」
自分でも呆れるほど、甘ったるい甲高い声を出して、彼に向かって手を振る。
覗き込むようにこちらを見ていた秀介くんは、ほんの一瞬だけ息を呑んだように見えたけれど、すぐにその整った顔に冷静な表情を貼り付けた。
「……久しぶり。山田さん」
低く、落ち着いた声。
少し冷たいその響きすらも、今の私には心地よかった。
さあ、ここからが私のゲームの始まりだ。
「もう〜! この受付の女の人、全然話が通じなくて! 秀介くんにどうしても頼みたい仕事があるから会わせてって言ってるのに、意地悪して会わせてくれなくてっ!」
私は、わざとらしく頬を膨らませてみせた。
もちろん、彼女に向けてではない。エントランスの奥から、こちらに向かって歩いてくる彼に向けてだ。
「ハァー?? ワタシは会社の決まりを言ったダケだしッ! シュースケクラスの弁護士は、基本飛び込みの顧客はお断りしてるノヨ!!」
なおもキャンキャンと吠える女。
(うるさい。お前みたいな下っ端に用はないのよ)
「サラ。一応、お客様なんだから、ちゃんとかしこまって対応しろ」
秀介くんの冷たく低い声が響いた。
その瞬間、受付の女——サラとかいうらしい——は、露骨に舌打ちをして一歩下がった。
(ふふっ、いい気味)
「失礼しました。最近入った見習いの者で、日本の対応に不慣れなものでして」
そう言って、秀介くんが私のために頭を下げてくれる。
こうやって、社会の常識知ってるところも素敵。
「ううん、全然大丈夫だよ? 秀介くんにも会えたし♡」
私は完璧に計算された角度で小首を傾げ、一番可愛く、そして少しだけ色っぽく見える上目遣いで彼を見つめた。
「それで……頼みたい仕事というのは?」
彼が事務的な声で尋ねる。
「うーん、ここではちょっと。秀介くんと二人きりで話したいなぁ……」
私はサラをチラリと横目で見て、牽制するように微笑んだ。
「……分かりました。サラ、彼女をConference Room(依頼人室)に通してあげて」
秀介くんの指示に、サラは露骨に嫌そうな顔をした。
私は内心で嘲笑いながら、彼女の案内で依頼人室へと向かった。
すれ違いざま、私は秀介くんに向けて、とびきり蠱惑的な笑みを残すのを忘れなかった。
***
革張りのソファに座り、私は依頼人室をぐるりと見回した。
(さすが、大手法律事務所……。秀介くん、本当にすごい弁護士になったんだね)
しばらくして、ドアが開いた。
「秀介くんー! 卒業式ぶり! また会えてすっごく嬉しい!」
私はパッと顔を輝かせ、弾むような声を出した。
「それはどうも」
秀介くんは無表情のまま、私の向かいの席に腰を下ろした。
(相変わらず、ガードが固いなぁ……でも、そこがいいのよね)
「光にね、秀介くんがアメリカから帰ってきて、超優秀な弁護士やってるって聞いたから来ちゃった♡」
わざと、光の名前を出してみる。
私の言葉に、彼は表情を崩さない。
「それで、ご依頼の仕事というのは何でしょう?」
彼が黒いバインダーを開いた。
「あのねー。私の、顧問弁護士になってくれませんか?!」
私は満面の笑みで、彼にそう言い放った。
顧問弁護士。そう、これが私の作戦だ。
彼の隣にいる光を引きずり下ろすには、まずは彼との確固たる接点を作らなければならない。弁護士とクライアントという関係になれば、嫌でも私と定期的に会う口実ができる。
「……分かりました。ですが、顧問弁護士のご依頼でしたら、一度弊社の他の空いている弁護士を確認して……」
彼が机の上の内線電話に手を伸ばそうとした瞬間。
私は、ガシッ! と彼の腕を両手で掴んだ。
「待って!! 私、他の人じゃ嫌! 秀介くんがいいの!!」
私の顔を彼に近づけ、甘い香水の匂いを漂わせる。
「……そのようなご依頼に関しては、一度事務所内で確認する決まりになっておりまして」
彼は私の手をスッと引き剥がした。
(冷たい……でも、絶対に逃がさない)
「えー! いいじゃん! 私たち、同級生なんだし……ね?」
私がさらに食い下がろうとした、その時。
コンコン。
ドアがノックされ、彼が席を外した。
(……来た)
私はソファに深く寄りかかり、ほくそ笑んだ。
実は今日ここに来る前、私はこの事務所のパートナー弁護士——秀介くんの上司にあたる人物と、すでにコンタクトを取っていた。
パパ活人脈を駆使して手に入れたその上司の連絡先に、「もし木下秀介弁護士が私の専属になってくれるなら、芸能界の有力な顧客を多数紹介する」と、魅力的なエサをぶら下げておいたのだ。
出世欲の強そうなあの上司なら、絶対にこの美味しい話に飛びつく。そして、部下である秀介くんに「是が非でも契約を取れ」と命令するはずだ。
数分後。
ドアが開き、戻ってきた秀介くんは、心なしかさっきよりも少しだけ疲れたような、苦々しい顔をしていた。
(ふふっ、作戦通り)
「……お待たせしました。この依頼、私が担当いたします」
「わーい! やったぁ♡ さすが秀介くん!」
私は両手を上げて、心底嬉しそうに喜んでみせた。
(これで、秀介くんは私のもの。光、あんたなんかに絶対に渡さないから)
完璧に計算された私の罠に、彼はもう、足を踏み入れているのだ。




