5章親友の心配と私の秘密〜光目線〜
「お待たせ、光ー! 久しぶり!」
都内の少しお高めなイタリアンレストラン。私が先に着いて個室で待っていると、扉が開いて、相変わらずキラキラと輝くみよちゃん——山田みよりが入ってきた。
フリーアナウンサーとして活躍している彼女は、テレビで見るよりもずっと小顔で、茶色いゆるふわの髪がよく似合う。私のような冴えない派遣社員とは、まさに住む世界が違う「華やかな女性」の代表格だ。
みよちゃんは満面の笑みで私に軽く抱きついてきた。
そのフワッとした甘い香水の匂いに包まれながら、私はホッと胸を撫で下ろした。
「うん、久しぶり。元気にしてるよ」
私がそう答えると、みよちゃんは向かいの席に座りながら、ほんの一瞬だけ、ポカンとしたような、不思議そうな顔をした。
「あっ、そう。……良かった」
みよちゃんが今日わざわざ私を食事に誘ってくれたのは、年明けの近況報告のためだ。
あの日、私は青田からの誘いを真に受けて待ち合わせ場所に行き、結局すっぽかされた。けれど、そのことはみよちゃんには一切相談していなかった。自分がまた都合よく弄ばれただけだなんて惨めで恥ずかしくて、誰にも言えなかったのだ。
青田にドタキャンされた直後の私なら、きっとこの個室でみよちゃんに泣きついていただろう。
でも、今の私には……キノがいてくれる。
『俺が、忘れさせるよ。仮の恋人として』
そう言ってくれた彼の温もりが、今も私の中にしっかりと残っているから、青田のことを思い出しても、もう不思議と涙は出なかった。
私たちは美味しいパスタや前菜をつまみながら、たわいもない会話を楽しんだ。
私が派遣先の職場の先輩の話や、最近食べた美味しかったランチの話をすると、みよちゃんはワイングラスを傾けながら、「へー、そうなんだー」と優雅に相槌を打ってくれた。
そんな風に和やかに話していると、不意にみよちゃんの視線が、私のカバンの上に置かれたものに向けられた。
「あれ? 光、そのマフラー……今季のバーバリーの新作じゃん」
みよちゃんが指摘したのは、昨日のお台場デートの別れ際、キノが私にプレゼントしてくれた淡いピンク色のチェックのマフラーだった。
「あ、そうなの? もらったものだから知らなかった」
私はとっさに誤魔化した。
キノからのプレゼントだと正直に言うのはためらわれた。高校時代、みよちゃんはずっとキノのことが好きだったのを私は知っているからだ。それに、もし本当のことを言ったら、美しくて頭の回転が速い彼女に、あれこれと深く探られそうな気がした。
「へー、もらったものなんだー。それ、めっちゃ高いやつなんだよ」
みよちゃんの言葉に、私は思わず目を見開いた。
「えっ! そんな高いものなの!? どっ、どうしよう……。キノにどうお礼したら……あっ」
あまりの値段の高さに動揺して、絶対に隠しておこうと誓っていたはずの彼の名前が、うっかり口から滑り出てしまった。
慌てて両手で口を覆ったけれど、もう遅かった。
「えっ? 秀介くんからもらったの? てか、彼、アメリカにいるんじゃ??」
みよちゃんはワイングラスをテーブルに置き、驚いたように身を乗り出してきた。
そりゃ驚くよね。キノは高校を卒業してすぐにアメリカへ行ってしまってから、私たちとはずっと連絡を取っていなかったのだから。
「いや、あの……なんか、お客さんからもらったみたいで。それで、自分には似合わないからって……」
探られたくない一心で、私は咄嗟に苦しい嘘を重ねてしまった。
「え。それで、秀介くんはアメリカから帰ってきたの?」
みよちゃんの真剣な声のトーンに、私はこれ以上隠し通すのは無理だと観念した。
「あ、うん。11月ぐらいに、仕事の関係で帰ってきてるよ。今は別のところに住んでるけど、帰ってきた当時は前住んでたところにいて」
私がそう言うと、みよちゃんの顔つきがパッと明るくなった。
「えっ! 嘘でしょ! 最近会ったの!?」
「あ、うん! これ、お母さんと一緒に撮った写真だよ」
私はスマホを取り出し、先日実家で母とキノと3人で撮った写真を見せた。
「……わぁ、相変わらず秀介くん、カッコいいね! 何の仕事してるの?」
写真の中のキノをじっと見つめるみよちゃんの目は、キラキラと輝いていた。
「あー、確か、国際弁護士? っていうやつやってる! アメリカにある事務所から転勤で来たみたいで!」
「そうなんだ! すごいね! また、昔みたいに会いたいなー」
みよちゃんは極上の笑顔を作って、嬉しそうに言った。
その顔を見た瞬間、私の胸の奥がざわついた。
(みよちゃんとキノ……二人なら、美男美女で絶対にお似合いだろうな)
私なんかより、ずっと彼にふさわしい。
学生の頃の私なら、きっと自分の身の丈をわきまえて、二人の恋を後ろめたく思いながらも応援していただろう。
でも——今は、嫌だ。
どうしてかわからないけれど、キノをみよちゃんに会わせたくない。そんな自分勝手な、小さな反発心のような気持ちが勝ってしまった。
私は、わざと釘を刺すように口を開いた。
「あ……みよちゃん、昔、キノのこと好きだったもんね……」
私が少し牽制するように言うと、みよちゃんは意地悪そうにニコッと笑った。
「よく覚えてるじゃん。でも、こんなに素敵になってたら、もう素敵な恋人がいたりしてねっ?」
その言葉に、私はドキリとした。
(そうだよね。私みたいな冴えない女が、いくら「仮」とはいえ、あんな完璧な彼と恋人ごっこなんて、身の丈に合ってなさすぎる……)
「あっ……うん……そうだね」
ズン、と重くなった気持ちを隠すように、私は曖昧に返事をして視線を落とした。
そんな私の様子を見て、みよちゃんは何かを察したように少し身を乗り出してきた。
「まさか、光と秀介くん、付き合ってたり……???」
「ち、違うよ!!」
私は耳まで真っ赤にしながら、全力で首を横に振った。
「ただの幼馴染のままだよ! 私とキノが付き合ってるとか、身の丈に合ってなくて絶対にありえないから!」
「仮の恋人」だなんて、口が裂けても言えなかった。
こんなに綺麗で完璧なみよちゃんの前でそんなことを言えば、「自意識過剰なんじゃないの?」と笑われてしまいそうで怖かった。
私の必死な否定を聞いて、みよちゃんは少しだけホッとしたような顔を見せた。
「そっか……まあ、光は普通な恋愛の方が幸せになれるよね」
優しく微笑むみよちゃんの言葉が、鋭い棘のように私の胸に突き刺さった。
(やっぱり、そうだよね……。私みたいな『普通』の冴えない女が、あんな完璧なキノと一緒にいたら、ダメだよね……)
「仮の恋人」という優しい関係に少しだけ浮かれていた自分が、急に恥ずかしくなる。
みよちゃんの何気ない一言で、私は一気に自信を失ってしまい、「うん、そうだね」と力なく頷くしかなかった。
その後、食事を終えてみよちゃんと別れた。
帰り道、冬の冷たい風が首元を吹き抜ける。私はカバンからあのピンク色のマフラーを取り出し、そっと首に巻いた。
上質な生地が、冷えた肌を優しく温めてくれる。
(普通な恋愛、か……)
マフラーから微かに香る、キノの車の中と同じ清潔な香り。
それに包まれていると、不思議と安心する自分がいる。
私には絶対に不釣り合いな彼。隣を歩く資格なんてない。それでも、彼が私に向けてくれるあの優しさに、もう少しだけ甘えていたい。
みよちゃんには会わせたくないと思ってしまった自分のワガママな気持ちに気づき、私はマフラーに顔を埋めて、小さくため息をついた。




