2章 幼い日の記憶 〜光の視点〜
# 第2章 幼い日の記憶 〜光の視点〜
あれは、晴れた日の休日だった。
「そういえば、うちにも秀介くんと同じ歳の娘がいるのよ! ひかりー! お客様だからご挨拶してー!」
リビングでお母さんの明るい声が響いた。
誰かお客さんが来ているらしい。私は戸惑いながらパタパタと足音を立てて、リビングに繋がる扉からそっと顔を出した。
「えーー……お客さん??」
そこにいたのは、うちのお母さんと同じくらいの年代のびっくりするぐらい綺麗な女の人と、私と同じくらいの歳の男の子だった。
見慣れない人に驚いて、私は反射的にお母さんの背中に隠れ、そっと顔だけを出して二人を見た。
「もう! 恥ずかしがらないで! ほら、自己紹介!」
お母さんに背中をグイッと押され、私はモジモジしながら小さな声で言った。
「……いちずな、、ひかり、、です……」
その時、男の子と目が合った。
少し困ったように揺れた私の視線を、彼は真っ直ぐに見つめ返してきた。
綺麗な女の人が「うちの息子と仲良くしてくれると嬉しいな〜」と笑って彼の背中を叩くと、彼は一歩前へ出て、とても自然で優しい笑顔を作った。
「初めまして、木下秀介です。よろしくお願いします」
大人びていて、でもどこか寂しげで、それでいてとても綺麗な顔。
「……よろしくね……」
私は少し恥ずかしかったけれど、しっかりと彼の目を見て小さく頷いた。
それが、私と「キノ」の最初の出会いだった。
***
転校生としてやってきたキノは、あっという間に学校中の話題をさらった。
『すごくかっこよくて、勉強もスポーツもできる完璧な転校生が来た』と。特に女の子たちの騒ぎようはすごくて、休み時間になるたびに彼の席の周りには人だかりができていた。大人びていて、どこか影のある彼に、みんな夢中だった。
でも、引っ越しからしばらく経っても、彼はどこか無理をしているように見えた。学校に行って、家に帰るだけ。朝会うと、いつもひどく疲れた顔をしていた。
(ちゃんと眠れてないのかな……)
心配になった私は、ある日の登校中、信号待ちをしている彼を見つけて声をかけた。
「おはよー! しゅうくん!」
「……おはよう」
振り返った彼の声は少し掠れていて、やっぱりひどくだるそうだった。
「なんか最近眠たそうだねー、大丈夫?」
私が顔を覗き込むと、彼は少し眩しそうに目を逸らして「……大丈夫」とだけ答えた。
その時、彼が手に持っている分厚い本に気がついた。
「あれ? もしかして、こんな分厚い本読んでるの?!」
「あ、うん」
「見せてみせてー! げっ! しかも全部英語だし!」
彼のお母さんが英語を話せるのは知っていたけれど、小学生でこんな本を読めるなんて信じられなかった。
「これなんて書いてあるの??」
「……『はてしない物語』」
目を輝かせて強引に本を覗き込む私に釣られてか、周りを歩いていた同級生たちも「なんだなんだ」と集まってきた。
「えー! 秀介くん、英語分かるんだ! すごいね! 僕にも教えて!」
「俺も教えてー!」
みんなが彼を囲み、次々に質問を投げかける。
すると、いつもどこか遠くを見ていたキノが、ふっと柔らかく笑ったのだ。
みんなの質問に答えながら、自然に笑っている彼の顔を見て、私は心の底からホッとしたのを覚えている。
(良かった。しゅうくん、ちゃんと笑えるんだ)
その日から、キノは少しずつ表情が和らぎ、朝会った時の疲れたような顔つきも良くなっていった。(何かいいことでもあったのかな)なんて、当時の私は気楽に考えていた。
彼が実はお父さんのことで夜も眠れないほど苦しんでいて、この出来事をきっかけに眠れるようになったことも、私に特別な感情を抱き始めていたことも、鈍感な私は全く気づいていなかったのだ。
***
中学生になったキノは、ますます美男子に成長し、他校にまでファンクラブができるほど女子たちからモテるようになっていた。
お互い部活や勉強で忙しくなっても、周りに同級生がいない時にはよく二人で話をした。
私が彼のことを「キノ」と呼ぶようになったのもこの頃だ。
ある日、私が廊下で何気なく「しゅうくん」と呼んだのを、彼の熱狂的なファンである同級生の女の子たちに聞かれてしまったのだ。
放課後、人気のない場所に呼び出された私は、彼女たちから冷たい視線を浴びせられた。
『ちょっと、一途名さん。お前ごときが木下くんのこと、親しげに下の名前で呼ぶなよ。身の程をわきまえなよ』
怖かったし、何より、私のせいでキノに変な迷惑をかけたくなかった。
だから私は、彼を下の名前で呼ぶのをやめて、苗字の木下をもじった『キノ』というあだ名で呼ぶことにしたのだ。彼を変に特別扱いしない、ただの幼馴染のアピール。キノ自身は、私が急に呼び方を変えた本当の理由なんて、きっと今でも知らないと思う。
それでもキノはいつも穏やかで、私の話を聞いてくれる、誰よりも心を許せる大切な幼馴染になっていた。
あの日までは。
中学3年の夏休みに入る直前。
たまたまキノの家の前を通りかかった私は、信じられない光景に足を止めた。
赤色灯を回した救急車が止まっていて、ストレッチャーに乗せられたミサおばさんが運び込まれていく。
そして、その傍らで。
まるで世界が終わってしまったかのように、恐怖で顔を蒼白にして立ち尽くすキノの姿があった。
いつも大人びている彼が、信じられないくらい小さく、震えて見えた。
「キノ!!!! 大丈夫?!! しっかりして!」
私は無我夢中で駆け寄り、叫んでいた。
ハッと我に返ったキノは、私を見て「……帰ったら……倒れてて……」と、震える声で呟いた。今にも壊れてしまいそうな彼を見て、私は咄嗟にその冷たくなった手を両手で強く握りしめた。
「……大丈夫! キノには私がついてるから!! ……一人じゃないから!」
キノの目から、ポロリと涙がこぼれ落ちるのが見えた。
私はそのまま彼と一緒に救急車に乗り込み、病院までついて行った。
緊急治療室の前。待合室の冷たい長椅子に座りながら、私は震えが止まらない彼の手を、ただずっと、強く握り続けていた。
(絶対におばさんは助かる。だから、キノを一人にしないで)
そう祈りながら。
幸い、ミサおばさんは一命を取り留め、意識を取り戻した。
あの日、キノの手の冷たさと、震える肩の感触を、私は今でも忘れることができない。
私にとってキノは、放っておけない、絶対に守ってあげたいと思える、かけがえのない大切な幼馴染になったのだ。




