5章 執着 ③
—そして現在。
親友の仮面を被った私は、今夜、彼氏にすっぽかされてボロボロになっているはずの光から、その惨めな顛末をたっぷりと聞かせてもらうために、待ち合わせのレストランへと向かっていた。
私はあるレストランの個室に、るんるんと軽い足取りで入っていった。
事前に予約しておいた、都内の少しお高めのイタリアンレストラン。
「みよちゃん、久しぶり!」
扉を開けると、そこには私の親友……冴えない笑顔を浮かべた光が座っていた。
相変わらず、垢抜けない顔。メイクも服装も、とても34歳とは思えないほど野暮ったくて、いけてない。
「光ー! 久しぶり! 元気にしてたー?」
私は大げさに声を上げ、光に抱きつくようにして近づいた。
そして、親友の顔をした裏側で、意地悪な期待を込めて彼女の顔を覗き込んだ。
(クリスマス、啓くんにドタキャンされて、一人寂しく泣いてたんでしょ? さあ、ボロボロになった惨めな顔を見せてよ)
そう期待していたのだが。
「うん、元気にしてるよ」
光は、私が予想していたのとは全く違う、どこか憑き物が落ちたような、ふんわりとした幸せそうな笑顔で答えたのだ。
(あれ……?)
思ったより、落ち込んでいない?
いや、むしろ肌ツヤもいいし、いつもより表情が明るいような気がする。
「あっ、そう。……良かった」
私は一瞬だけ引きつりそうになった顔を慌てて笑顔でコーティングし、向かいの席に腰を下ろした。
それからの時間は、退屈の極みだった。
光の話すことといえば、しょうもない派遣社員の日常の話ばかり。ここのパスタが美味しいとか、職場の先輩がどうとか……。
啓くんにドタキャンされて、どん底まで傷ついて、またマッチングアプリに逃げて変な男に振り回されている。そんな悲惨なエピソードを聞いて『ザマァみろ』と笑ってやるつもりだったのに、彼女の口から男の影はおろか、辛そうな愚痴すら一切出てこないのだ。
(なんか……おかしい)
私はワイングラスを手に取り、優雅に揺らしながら、光の表情に疑いの目を向けた。
その時だった。私の視線が、ある一点に釘付けになった。
「あれ? 光、そのマフラー……今季のバーバリーの新作じゃん」
光の横にある安っぽいカバンの上に、無造作に置かれている淡いピンク色のチェックのマフラー。
ハイブランドが大好きな私には、一瞬でそれが質の良い本物だとわかった。
「あ、そうなの? もらったものだから知らなかった」
光は少し照れたように頬を掻いて言った。
なんだ、もらい物か。まあ、安月給の光にこんな高いものが買えるわけないものね。
「へー、もらったものなんだー。それ、めっちゃ高いやつなんだよ」
私はマフラーを横目で見ながら、わざと感嘆したような声を出した。
ん? でも、誰がこんな高いものを光にプレゼントするの? 啓くんじゃないことは確かだ。
「えっ! そんな高いものなの!? どっ、どうしよう……。キノにどうお礼したら……あっ」
光は目を丸くして慌てふためき、ボソッと呟いた後、「言っちゃった」というように慌てて口を手で覆った。
(……えっ?)
今、キノって言った?
まさか。
あの、秀介くんから?
「えっ? 秀介くんからもらったの? てか、彼、アメリカにいるんじゃ??」
私の顔から、完璧だったはずの営業スマイルが完全に消え去った。
秀介くんが、日本に?
「いや、あの……なんか、お客さんからもらったみたいで。それで、自分には似合わないからって……」
光は明らかに動揺しながら、なにかを誤魔化そうとしている。
「え。それで、秀介くんはアメリカから帰ってきたの?」
私が低い声で問い詰めると、光は観念したように小さく息を吐いた。
「あ、うん。11月ぐらいに、仕事の関係で帰ってきてるよ。今は別のところに住んでるけど、帰ってきた当時は前住んでたところにいて」
少し落ち着きを取り戻し、淡々と話す光。
その言葉を聞いて、私の中で、今まで分厚い蓋をして閉じ込めていたあの時の感情が、どす黒く、じわじわと溢れ出してくるのを感じた。
あの、秀介くんが。
まさか……日本に帰ってきているなんて。
私は動悸が激しくなるのを必死に抑え、ハッと我に返って光を見た。
「えっ! 嘘でしょ! 最近会ったの!?」
「あ、うん! これ、お母さんと一緒に撮った写真だよ」
光は自分のスマホを取り出し、画面を私に向けた。
そこには、光と光の母親、そして——大人になり、信じられないほど洗練された秀介くんが写っていた。
黒髪のセンターパート。体にフィットした上質なスーツ。
テレビ局で、イケメンと呼ばれる芸能人たちを腐るほど見ている私ですら、一瞬呼吸を忘れて息を呑んでしまうほどの、圧倒的な美しさだった。
「……わぁ、相変わらず秀介くん、カッコいいね! 何の仕事してるの?」
「あー、確か、国際弁護士? っていうやつやってる! アメリカにある事務所から転勤で来たみたいで!」
私の胸が、ドクン、ドクンと激しく鳴り始めた。
芸能人以上の見た目で、国際弁護士!?
そんなの、完璧じゃない。今のパパや啓くんなんか足元にも及ばない、超トップクラスのハイスペック物件だ。
「そうなんだ! すごいね! また、昔みたいに会いたいなー」
私は『これ以上ない』というほどの極上の笑顔を作り、光に向かって甘えた声でおねだりした。
(これは、神様がくれたチャンスだ。絶対に次は、私が彼を落としてみせる……!!)
すると、光は少し驚いたように目を丸くし、それから少し自信なさそうに、そして申し訳なさそうに口を開いた。
「あ……みよちゃん、昔、キノのこと好きだったもんね……」
「よく覚えてるじゃん。でも、こんなに素敵になってたら、もう素敵な恋人がいたりしてねっ?」
私は光の方を見て、わざと意地悪にニコッと微笑んだ。
幼馴染だからってまた秀介くんと会って、ましてやあんな高いマフラーまでもらって浮かれているみたいだけど、あんたなんかが釣り合うわけないでしょ? という牽制だ。光もきっと、「自分なんかより、美人のみよちゃんの方がお似合いだ」とコンプレックスを刺激されているはずだ。
「あっ……うん……そうだね」
案の定、光は悲しそうに視線を落とした。
落ち込んでいる? なんでだろう?
……待って。
流石に、こんな長い間アメリカに行っていて、ずっと光を想い続けているなんてあり得ないとは思うけれど。でも、わざわざマフラーをプレゼントするなんて。
まさかと思い、私は探りを入れることにした。
「まさか、光と秀介くん、付き合ってたり……???」
すると光は、耳まで真っ赤にして、ありえないとばかりに首をブンブンと激しく横に振った。
「違うよ!! ただの幼馴染のままだよ! 私とキノが付き合ってるとか、身の丈に合ってなくて絶対にありえないから!」
必死に否定する光の態度は、少し怪しいけれど、どうやら嘘はついていないようだった。
私は心の中で安堵の息を吐いた。
「そっか……まあ、光は普通な恋愛の方が幸せになれるよね」
私は優しく微笑みかけながら、心の中で毒を吐いた。
でも……やっぱり引っかかる。
だって、あのマフラー。どう見たって、今の光の雰囲気に一番似合う、絶妙な色と柄なのだ。「お客さんからもらった」なんていう言い訳、絶対に嘘だ。
そして、光との食事を早々に終わらせた私は、あのマフラーをつけた光の姿に強烈な嫌悪感を抱きながら、笑顔で別れた。
レストランを出てすぐにタクシーに乗り込み、私はスマホを取り出した。
ブラウザを開き、光から聞いた情報を頼りに、あるキーワードを検索する。
「……あったー♡」
画面に表示されたのは、外資系の大手法律事務所のホームページ。
その弁護士紹介欄に、秀介くんの顔写真と華麗な経歴が堂々と載っていた。
(木下 秀介……)
写真の中の完璧な彼を見つめながら、私はヒアルロン酸でふっくらとさせた唇を歪めて笑った。
次こそ、絶対に光には渡さない。
あなたは、私のものよ。




