5章 執着 ②
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あの日、絶望と憎悪を抱えたまま高校を卒業し、秀介くんはアメリカへと旅立ってしまった。
私の心にぽっかりと空いた巨大な穴。
でも、その穴はすぐに、光に対するどす黒い憎悪で埋め尽くされた。
私は大学に入学すると、その穴を埋めるかのように、様々な男性と関係を持ち、彼らを利用し尽くした。
高級レストランでの食事、ハイブランドのバッグ、アクセサリー。私にはそれらを貢がれるだけの価値がある。
パパ活で大量のプレゼントを巻き上げ、パトロンには都内のタワーマンションを借りてもらい、私はこの美貌を最大限に利用してキー局のアナウンサーの座を射止めた。そして、その人脈を使って30歳でフリーアナウンサーにまで上り詰めたのだ。
20代最後の年。
「私もそろそろ、誰かハイスペックな男を捕まえて落ち着かないとな」と思っていたある日のこと。
私はスポーツ番組の取材で、あるプロ野球球団のスター選手のインタビューを担当することになった。
球場のベンチ裏で顔を合わせたその選手こそ、青田啓司——啓くんだった。
啓くんは、秀介くんの高校時代の友達。秀介くんとは全く正反対の、泥臭い野球バカ。
そして、光が高校の3年間、ずっと片思いしていた相手だった。
昔、光からたまに啓くんの話を聞かされていたけれど、「ふーん」と右から左に受け流していたのを思い出す。私のタイプでは全くなかったし、当時は秀介くんのことで頭がいっぱいだったから。
私は台本通りに彼に質問し、営業スマイルを貼り付けてインタビューを進めた。
(スター選手って持て囃されてるみたいだけど……高校生の頃と顔、何も変わってないわね。いかにも『野球少年がそのまま大人になりました』って感じ)
それに、プロ野球選手なんてずっと稼げるわけでもないし、怪我でもしたら一貫の終わり。コスパの悪い職業だなと、心の中で冷ややかに見下しながらインタビューを終えた。
ところが収録後、ベンチの奥で荷物をまとめていると、啓くんの方から話しかけてきたのだ。
「山田っ! 久しぶりだな!」
無邪気で真っ直ぐな笑顔。あー、光はこういうバカっぽくて裏表のない顔が好きだったわね、と思い出す。
その後、どういう風の吹き回しか、私は啓くんに食事に誘われることになった。まあ、高級店を奢ってくれるなら暇つぶしにはなるかと思い、ついて行くことにした。
そして、その食事の席で、私は衝撃的な事実を耳にする。
彼が今、光と付き合っていると言うのだ。
啓くん曰く、2軍で苦しんでいたどん底の時代に再会し、献身的に支えてもらったのがきっかけらしい。
しかし、彼が1軍に上がり、華やかな世界を知るようになると、地味で冴えない光のことがだんだん「恥ずかしい」と思うようになってしまったのだと言う。
「2軍の時は本当に助けられたし、感謝してるんだ。でも……正直、今の華やかな世界に光は合わないっていうか……。情があるからスパッと関係を終わらせられないんだけど、最近はどう接していいかわからなくてさ」
困ったように笑いながらそう語る啓くんを見て、私の中で、眠っていた光への憎悪が再びメラメラと燃え上がった。
(は……? なんであの女が、プロ野球選手の彼女ヅラしてるの?)
関係が上手くいっていないにしろ、私が手に入れられなかった幸せを、どうしてあの地味な女が味わっているの?
秀介くんに愛されただけじゃ飽き足らず、プロ野球選手まで手に入れたっていうの? 光には全然似合わない。許せない。
——だったら、私が壊してあげる。
私は、その壊れかけの関係に鋭いメスを入れることにした。
小悪魔的なテクニックを使って啓くんを誘惑し、私に本気で惚れさせるなんて、赤子の手をひねるより簡単だった。
案の定、30歳になる年に、啓くんは私に完全に夢中になり、光をあっさりと捨てた。
光が絶望のどん底に突き落とされたと知った時、私は心の底からスッキリした。
***
そして、34歳になる現在。
私は今でもたまに光と連絡を取り合い、「親友」としてのポジションをキープして彼女の惨めな状況を探っている。
啓くんを忘れるために、マッチングアプリなどで新しい出会いを探しているらしいけれど、案の定、変な男に騙されたりして全く上手くいっていないらしい。
「男の人って、怖いね……」と弱音を吐く彼女のLINEを見るたび、私は『ザマァみろ』と嘲笑っていた。
ピコン!
ドレッサーの上に置いたスマホが鳴った。
『みよっ! いつご飯行ってくれる? 会いたいよ』
啓くんからだ。
光との関係を終わらせるために一度近づいたけれど、正直、顔もタイプじゃないし、メジャーリーグに行くわけでもないプロ野球選手なんて、私からすればコスパが悪い。
うまく利用してポイ捨てするつもりだったのに、啓くんは光と別れてからというもの、私にすっかり執着し、必死にすがりついてくるようになっていた。
たまに高級なバッグやジュエリーをおねだりするために会ってあげているけれど、そろそろ潮時かしらね……。
そう思いながら、ふと、楽屋のテーブルの上に置かれていた旅行代理店のパンフレットに目が止まった。
『魅惑のシンガポール・有名ホテルのナイトプールで過ごす極上のクリスマス』
「……あ、ここ行ってみたーい」
私はパンフレットを指先でなぞりながら、スマホの画面を啓くんから光のトーク履歴へと切り替えた。
惨めで、男運がなくて、いつまでもウジウジしている光。
(よし。最後に、利用するところまで利用してあげようかな)
私は、啓くんのシーズンが終わる頃に、彼と「正式に付き合う」という条件を呑んであげた。
そして数日前、啓くんの家にお泊まりに行った時のことだ。
彼がシャワールームに入り、水音が聞こえ始めたのを確認すると、私はベッドに放り出されていた彼のスマホを手に取った。パスコードなんて、付き合いの浅い私でもわかるような単純なものだ。
LINEを開き、光のアカウントを探し出す。
そして、迷うことなくメッセージを打ち込んだ。
『12月24日、◯◯駅で19時に待ってる。話したいことがある』
送信ボタンをタップ。
すぐに光から『わかった、19時に行くね』と返信が来た。
私は冷笑しながら、そのメッセージを開き、意図的に「既読」をつけた。
きっとあの馬鹿な女は、「クリスマスに感動の復縁!?」なんて淡い期待を抱いて、ウキウキしながら既読マークを見つめているだろう。
でも、その期待は絶対に裏切られる。
既読をつけた後、私は素早く啓くんのスマホを操作し、光のアカウントを『ブロック』して非表示にした。
これで、光から啓くんに連絡がいくことも、啓くんがこの一連のやり取りに気づくことも絶対にない。完璧な計画だ。
証拠隠滅を終え、スマホを元の位置に戻したちょうどその時、シャワールームのドアが開いて啓くんが出てきた。
「お待たせ、みよ」
頭にタオルを乗せた彼に向かって、私はとびっきりの甘い声を出して微笑みかけた。
「ねえ、けいくん。私、今年のクリスマスイブ……シンガポールに行きたいなー♡」
「シンガポール? イブに? もちろんいいよ! みよの願いならなんだって叶えるからさ」
デレデレとだらしなく笑う彼を見て、私は心の中で冷たく舌を出した。
クリスマスイブの夜。
私は常夏のシンガポールで極上の時間を過ごし、光は日本の凍えるような寒空の下で、絶対に来ない男を何時間も待ち続ける。
あの日、秀介くんに口付けされていたお姫様は、一生惨めな思いをして生きていけばいいのよ。




