4章 幼馴染以上恋人未満 ①
クリスマスのあの夜から数週間が経ち、年が明けた。
お正月休みが終わり、今日は仕事始め。私は派遣先のオフィスで、山積みになった年末年始のメール処理をしながらパソコンに向かっていた。
ピコン!
デスクの引き出しにしまっていた私のスマホが、小さな通知音を鳴らした。
画面に目をやると、『キノ』という名前がポップアップしている。
その文字を見ただけで、不思議と心がポカポカと温かくなるのを感じた。
(ここ数週間、ずっとこんな感じだな……)
クリスマスに『仮の恋人』になってから、彼との距離は劇的に変わった。
年末年始、キノは溜まっていた仕事とアメリカにいる家族の用事で、一時的にニューヨークへと帰国していた。
離れ離れになってしまったけれど、その間、彼とは毎日連絡を取り合った。
年始にはテレビ電話を繋いでくれて、うちの家族と、アメリカにいるミサおばさんとも久々に顔を見て話すことができた。
画面越しのミサおばさんは、年齢を重ねても相変わらず綺麗で、すっかり元気そうだった。うちのお母さんも「ミサちゃん、元気そうで良かったわねぇ」と嬉し泣きしていて、私も心底ホッと胸を撫で下ろした。
そして、毎日連絡を取るようになって、私は一つの大きな事実に気づかされた。
キノは、私が想像していた以上に、とんでもなく忙しい人間だということだ。
朝早くに会社へ行き、家に帰るのは大体0時を回る生活。まとまった休みなどはなく、年末年始でさえ合間を縫って仕事に追われているようだった。
お昼ご飯もまともに食べられない日が多いらしく、私が会社の同僚と食べたパスタランチの写真を送ると、オフィスのデスクにポツンと置かれたエナジードリンクの写真だけが送られてきたこともあった。
ある日の夜、私はベッドの中で、ちょっとした興味本位から彼が勤めているという外資系の大手法律事務所の名前を検索してみた。
ホームページの弁護士紹介ページを開いて、息を呑んだ。
そこには、キノの洗練された写真と共に、コロンビア大学を首席で卒業したという華麗な経歴や、これまでに担当した桁違いのスケールの国際案件がズラリと並んでいたのだ。
(やっぱり、キノはすごいな……)
彼がどれほど過酷な競争社会で、どれほどの責任を背負って戦っているのかが、文字の羅列だけでも痛いほどに伝わってきた。
定時で上がり、実家でまったりと過ごしている派遣社員の私とは、完全に別の世界に住んでいる「雲の上の人」なのだと、改めて思い知らされた。
でも——そんなに目が回るほど忙しい彼なのに。
どんなに遅くなっても、彼は絶対に毎日欠かさずLINEをくれて、帰りのタクシーの中から数分だけ電話をくれる日もあった。
『光、今日もお疲れ。寒かっただろ? 温かくして寝てね』
たった数行のメッセージや、少し疲れたような、でも優しい彼の声。
それにどれだけ救われているか、きっと彼は知らない。
昔、青田と付き合っていた頃のことを思い出す。
「たまには連絡してよ」と求めても、青田はいつも露骨に面倒くさそうな嫌な顔をした。私が我慢するのが当たり前になっていて、それが恋なのだと思い込もうとしていた。
でも、キノは違う。
彼は『仮の恋人』という関係を言い訳にせず、不器用なくらい真っ直ぐに、私を大切に扱ってくれる。
青田より何倍も、何十倍も忙しいはずなのに。
その事実を噛み締めるたび、惨めでボロボロだった私の心は、少しずつ温かいもので満たされていくようだった。
私は引き出しからスマホを取り出し、先ほど届いたキノからのLINEを開いた。
『明日、18時くらいに光の会社まで迎えに行くからよろしく』
たった一文のメッセージを読んで、自然と口元が緩んでしまう。
明日は、キノがアメリカから帰国して初めて会う日だ。
クリスマスの夜に公園で別れて以来の再会。そしてそれは、私とキノの『初めてのデート』を意味していた。
(何着て行こうかな。……変に気合い入れすぎって思われないかな)
そんなことを考えていると、隣の席に座っている先輩社員が、私の顔を覗き込んできた。
「ちょっと〜! 一途名さんー! パソコン見つめたまま、顔すっごい緩んでるよ〜? なんかいいことあった?」
先輩がニヤニヤしながら私をからかう。
「えっ! あ、いや、全然です! なんでもないです!」
「ふーん? お正月休みに、いい出会いでもあったとか?」
「ち、違いますってば! さ、仕事頑張ります!!」
私は慌ててスマホを伏せ、真っ赤になった顔を隠すようにモニターに向き直った。
ボーッとしていた自分を心の中で叱りつけ、キノの甘いLINEを一旦忘れるように、パチパチと勢いよくキーボードを叩き始める。
でも、やっぱりダメだ。
心の中では、嬉しさが小さな泡のようにはじけて止まらない。
(明日……楽しみだな)
彼と不釣り合いな自分への劣等感は、まだ心の奥底にある。
でも、今はただ、彼に会えることがたまらなく嬉しかった。




