3章 仮の関係?? ④
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場面は変わり、駅前から少し離れた公園。
イルミネーションの喧騒から逃れたこの場所は、人も少なく静まり返っていた。
俺は、少し落ち着きを取り戻した光を支えながら、公園のベンチに並んで腰を下ろした。
冬の風が冷たく吹き抜ける。俺は思い出したように立ち上がった。
「ちょっと待ってて」
光をベンチに残し、近くの自動販売機へ向かう。
そして、あの甘い飲み物を買い、ベンチに縮こまって弱々しく座る彼女の元へ戻って、それをそっと差し出した。
「あっ……ココア」
光が小さく口を開く。
「缶のやつがなくて、ペットボトルのやつしかなかったんだけど。寒いだろうから飲んで」
俺も再びベンチに腰をかける。
「……あったかい……」
光は俺が買ったペットボトルのホットココアを両手で包み込み、カイロ代わりにするように頬に寄せた。
その頼りなげな姿を見て、俺は愛おしさと、切なさと、やり場のない怒りが入り混じったような感情に襲われた。
その後、光はぽつりぽつりと話し始めた。
高校卒業後、25歳で啓司と再会し付き合い始めたこと。彼が2軍で苦しんでいた時は必死に支えたこと。
だが、彼が1軍に上がったあたりから扱いが雑になり、たまに呼び出されては都合よく扱われるだけになったこと。
時折、彼から他の女の影を感じていたのに、嫌われるのが怖くて何も言えなかったこと。
そして30歳の時、突然理由も告げられずに一方的に関係を切られたこと。
「それでね……突然、彼から連絡が来て……」
光の声が震え始める。
「クリスマスの今日、会いたいって。……何時間も待ったけど、連絡もなく、青田は現れなかった……」
俺はそれを聞いて、息を呑んだ。
あの純粋で、嘘がつけなくて、真っ直ぐに野球に向き合っていた啓司が、こんな卑劣なことをする男になっていたなんて。驚きと同時に、大切な光にこれほどまで残酷な仕打ちをしたことが、どうしても許せなかった。
「そっか……」
俺は湧き上がる怒りを必死に抑え込み、頭の中で様々な思考を巡らせながら、膝の上で強く拳を握りしめた。
「うん……でもね、あんな扱い受けてたのに……高校の時の青田や、2軍の時に必死にがむしゃらに頑張ってた青田や、あの時一緒に過ごした日々が忘れられなくて……」
光の瞳から、再び涙が溢れ出す。
「だから……あの時連絡が来た時、もしかしたらっていう期待で嬉しくて……。でも……結果は、最初から分かってたよね……」
光は震える声でそう言い終えると、ついに顔を覆って泣きじゃくった。
俺はそっと光の背中に手を回し、「大丈夫だ」と伝えるように、ゆっくりとさすった。
(今、ここで……)
頭に一つの考えがよぎる。
今ここで、俺が19年越しの想いを伝えたらどうなる?
弱っている彼女を抱きしめて、俺が一生守ると言えば、このまま光は俺だけのものになるかもしれない。
でも——。
俺の19年間の片思いが、理性に『慎重になれ』と強くブレーキをかけた。
この口ぶりでは、光の心にはまだ啓司への未練や執着が残っているかもしれない。逆に俺がここで一方的に気持ちを明かせば、幼馴染という関係性すら壊れ、彼女を困惑させるだけかもしれない。
「っ……」
俺は喉まで出かかった言葉を飲み込み、黙って唇を噛み締めた。
光は涙を拭いながら、話を続ける。
「あー……私、青田のこと忘れられるかなぁ……。30の頃に別れを切り出されて、青田のこと忘れようと思ってマッチングアプリとか使って、他の男の人探そうとしたんだけどね……」
光は無理に口角を上げて笑おうとするが、声は泣き声のままだ。
「付き合った瞬間に態度変えられたりとか、職業とか嘘つかれたりとか、実は私が浮気相手だったりして……もっと傷ついちゃって。なんかもう、何もしんどいやってなっちゃって……」
その言葉を聞いて、俺の胸の奥でドス黒い怒りが燃え上がった。
啓司含め、光の優しさや自信のなさに付け込み、彼女にそんな辛い思いをさせた名も知らぬ男たちへの怒りだ。
そして、同時に最悪のシナリオが脳裏をよぎる。
もしかしたら、このままにしておけば、光はまた啓司を忘れるために無理をして別の恋愛を探そうとするのではないか?
そしてまた、マッチングアプリで変な男に捕まり、今度こそ完全に精神的に追い詰められてしまうのではないか?
(……いや、そんなこと、絶対にさせない)
脳裏に鮮明に蘇るのは、中学3年の夏のことだ。
母が倒れ、「父に続いて、今度こそ本当に一人になってしまうかもしれない」という絶望の淵に立たされていた俺の手を、光は両手で強く握りしめてくれた。
『キノには私がついてるから!』と、自分のことのように涙を流し、冷え切った俺の心をその温もりで救い出してくれたのだ。
あの時、彼女が必死に俺を支えてくれたからこそ、今の俺がある。
だったら、今度は俺の番だ。
冷たい嘘に傷つけられ、寒空の下で震える彼女を、今度は俺が全力で支えて、守り抜く。
俺は、そっと光の手を握った。
「えっ?」
驚いて俺の方を見る光。
俺は彼女の揺れる瞳を真っ直ぐに見つめ返し、静かに、けれどはっきりと言った。
「……俺が、忘れさせるよ。……仮の恋人として」
「……え? 仮の?……」
光は目を丸くして戸惑っている。
「だから、光が完全に前を向けるようになるまで、だ。マッチングアプリとか、素性もよく知らない男を頼るんじゃなくて……俺の方が、安心だろ?」
「たしかに、よく知ってるキノだったら安心だけど……! でも、キノは忙しいし、国際弁護士だし、それに……」
俺の突然の発言に頭が整理できていないらしく、光はあわあわと言葉を続ける。
俺はそんな彼女の言葉を遮るように、そっと光の頭に手を回し、俺の肩の方へと優しく引き寄せた。
「俺のことは気にしなくていい。俺を、頼ってほしいんだ」
これで、少しでも光の心にまた昔のような笑顔が戻ってくれるなら。
他の誰にも、二度と彼女を傷つけさせない。俺が防波堤になる。
光は俺の肩に額を預けたまま、あわあわと戸惑いながらも、やがてそっと口を開いた。
「……うん……じゃあ、お願いします……」
その小さな、けれど頼ってくれた言葉を聞いて。
俺は彼女の温もりを感じながら、心の中で強く、強く決心した。
——絶対に、もう二度と、光を悲しませない、と。
冬の夜の公園。
イルミネーションの光も届かない静かなベンチで、俺たち二人の、幼馴染以上、恋人未満の『仮の関係』が静かに幕を開けた。




