Ep.457 二振りの剣、二つの光
腐顔鳥との戦いを終えた僕達を乗せ、セイランは再び魔族領へ向けて飛翔する。
先程まで遠くに見えていた黒い大地は、今や眼下に広がる雪原を押し退けるように迫っていた。そこには草木の緑も、雪の白さもない。ただひたすらに黒く、生命というものを拒絶するような大地が広がっている。
「……いよいよだね」
アズマが静かに呟いた。彼の視線は真っ直ぐ前を向いている。僕もそれに倣って顔を上げたところで、ふと違和感を覚えた。
……暗い。
まだ昼間のはずだ。ほんの少し前までは頭上に太陽が輝いていたというのに、いつの間にか周囲が薄暗くなっている。空を見上げると、太陽は確かにそこにあった。だけど、その光は黒い靄のようなものに遮られ、まるで厚い雲越しに眺めているかのように弱々しくなっていた。
「……陽の光が」
「ああ。ここから先は、太陽の光すら届かぬ地だ」
シェーデが険しい表情で答える。
セイランが翼を羽ばたかせる度に、冷たく湿った風が頬を撫でていく。空気が重い。そう例えるのが一番しっくりくる。その空気が体中に纏わりつくような感覚に、突然の倦怠感を覚えた。
「……くっ」
胸の奥が締め付けられるように苦しい。息を吸い込む度に、何か得体の知れないものが身体の中へ入り込んでくるような感覚があった。
「クサビ、大丈夫っ?」
「はい……。まだ、何とか……これが瘴気の……っ」
サリアが心配そうに僕を覗き込む。彼女自身も苦しそうに胸元を押さえていた。デインも眉を寄せ、ウルグラムは不愉快そうに舌打ちしている。
「チッ……。相変わらず胸糞悪ィ空気だぜ」
「……不快極まりないな。相も変わらず」
ウルグラムの呟きにシェーデが頷いた。
「魔王が封印されているにも関わらず、瘴気が薄れる様子はない、か」
アズマのその言葉に僕は唇を引き結んだ。
ここから先はもう、人にとって命に関わる領域だと痛感する。僕達はこれから、そんな領域のさらに奥へと進まなければならないのだ。
やがて、セイランの身体が黒い大地との境界へ差し掛かった。
その瞬間だった。
「――っ!?」
視界が、一気に暗転した。
太陽が消えたのだ。
いや、正確には違う。僕達が、陽の光の届かない領域へ足を踏み入れたのだ。振り返れば、後方にはまだ白い雪原が広がり、その上には青空が見えている。だけど進行方向には、どこまでも続く暗黒の空が広がっていた。
まるで昼と夜を隔てる境界線を越えてしまったかのようだった。
「……これが、魔族領……——っ!」
突然、身を貫くかのような気配に、僕は息を呑んだ。
これは全身に突き刺さる殺気だ。まるで黒く塗り潰されたこの領域に、無数の目に埋め尽くされてるのではないかと錯覚する程に、四方八方から殺気の視線を感じるのだ。
生き物の営みが一切感じられない空間を飛び続ける事に、絶大な不安感が脂汗となって滲み出る……。
「……よし、そろそろだね」
不意にアズマが口を開いた。
彼はセイランの右肩に立ったまま、ゆっくりと解放の神剣を掲げる。すると、その剣先に淡い白い光が灯った。
「――『天照』……!」
穏やかで静かな声と共に、光が弾けた。
「っ……! これは……!」
白色の光が弾けて広がって雪のように光が降り注ぎ、僕達の身体を優しく包み込んでいく。
温かな光だった。肌に触れた瞬間、胸を締め付けていた不快感が薄れ、重苦しかった呼吸が不安感をも消し去り、驚くほど身体が楽になった。
さらに光はセイランの巨体をも覆い、周囲の瘴気を押し退けるように淡い輝きを放ち始めた。
「……凄い」
僕は自分の手を見下ろした。光の粒が、まるで衣のように身体へ纏わりついている。魔力を感じるけれど、それだけではない。もっと温かく、力強い何かが宿っているようだった。
「ふぅ……。助かったわっ、アズマ」
「まったくだ。これが無ければ、まともに戦うことも叶わんからな」
サリアとシェーデが安堵したように息を吐く。
「もっと早めにやりやがれ。勿体つけやがって」
「ははっ。これはとっておきだからね」
アズマが苦笑する。
——僕はこれを知っている。
見たことがあった。
いつかの夢の中で退魔の精霊と会った時だ。
神剣に眠っていた精霊暦の勇者……つまりアズマの記憶が僕に使い方を見せてくれたんだ。
「かつて魔王討伐に乗り出した僕達は、他の国と力を合わせて魔族領に乗り込んだんだ。その時に使ったのが、この天照さ」
「天照……。この光、かつて僕も……」
思わず呟いた僕に、アズマが振り向いた。
「おや? 知っているのかい?」
「はい。……以前、神剣に残されていたアズマの記憶から、熱剣と同じようにその技を教えてもらったことがあるんです」
「剣に僕の記憶が……。そうか、僕の想いはそれ程に強くなっていたんだね」
アズマが何処か安心したような穏やかな笑みを浮かべていた。
僕は腰に差した解放の神剣へ視線を落とす。白銀の刀身を持つこの剣には、五百年という途方もない年月を経てもなお、かつての持ち主であるアズマの想いが僅かに残されていたのだ。
時の祖精霊との試練で心を壊した僕が、己の闇と対峙した時に放った光の剣技。絶望に呑まれそうになった彼——いや僕を導いてくれた勇者の剣技。僕はそれに——。
「……僕はその技に『希望』という名前を付けました」
「……希望、か。良い名だ。本当に」
アズマはその名を小さく繰り返すと、嬉しそうに目を細めた。
「とってもクサビらしいわねっ」
サリアも笑顔を向けてくれる。
「天照は想いの力だ。護りたいという想いを力に変えて仲間達を瘴気や邪気から護る技なんだ。君の希望も、きっと同じことが出来ると思う」
僕は再び自分の身体を包む白い光を見下ろした。確かに、光の一粒一粒からアズマの魔力が感じられる。それでいて不思議と押し付けがましさはなく、ただ僕達を優しく護ろうとする意志のようなものが伝わってくる。
「……はい。以前一度だけ。でも今ならもっと強く出せる気がします」
「それは頼もしいな。じゃあ、手伝ってくれるかい? 太陽暦からやって来た勇者くん?」
闇の中でも涼やかに流れる風のような爽やかな笑顔を向けるアズマに僕は頷くと、解放の神剣を鞘から引き抜いた。
白銀の刀身に刻まれた金の紋様が、アズマの放つ光を受けて淡く煌めく。僕は左手で柄を握り、剣先を天へ向けた。
思い浮かべるんだ。僕の護りたいものを。
今まで出会ってきた人達の顔が頭の中で駆け巡る。
故郷を出てから出会ってきた人達の顔が思い出される。
皆背中を押してくれた。生きる術を教えてくれた師匠がいた。
アズマ達、祖精霊達も。そしてゼクストさん。
共に苦難を乗り越えて来た頼もしい仲間達。
そして……僕の好きな……大好きな人がいる。
守りたい。……護り抜きたい!
この光を皆へ届けるんだ。人々に希望を与える勇者であれと、決めたのだから!
僕の願いに呼応するように剣先が眩く輝き出した。
そして神剣へ魔力を流し込む。胸の奥に灯る温かな想いを、剣を通じて解き放つように。
「——希望」
瞬間、白銀の刀身から黄金色の光が溢れ出した。
「……おおっ!」
剣先の光が明滅したかと思えば弾け、無数の粒となって降り注いだ。暗黒の空に小さな星々が生まれたかのように、柔らかな金色の輝きが降り注ぐ。
それらはアズマの天照が生み出した白い光と交わり、互いを拒むことなく溶け合っていった。
「まあ……! 綺麗……っ」
サリアが感嘆の声を漏らす。シェーデも驚いたように目を見開き、ウルグラムでさえ暫し言葉を失っていた。
金色の光はセイランの巨体を包み込み、その翼の先にまで行き渡る。周囲を漂っていた黒い瘴気が、光に触れる度に押し退けられていくのが分かった。
「……むぅ……? 体が軽くなっていく」
セイランが驚いたように呟いた。彼女の言う通り、僕自身も先程まで感じていた身体の重さがすっかり消えていることに気が付いた。アズマの天照だけでも十分に瘴気を退けていたというのに、僕の希望が加わったことで、周囲の空気はさらに澄み渡っているように感じられた。
「……これは驚いたな。天照と互いに干渉することなく、むしろ力を高め合っているのか」
シェーデが感心したように呟く。アズマと共に行使しているからか、瘴気を防ぐだけでなく身体の調子も良くなっているみたいだ。
「ははっ! やるじゃないか、クサビ!」
アズマが嬉しそうに笑う。彼の放つ白い光と、僕の黄金色の光。二つの輝きが混ざり合い、暗黒の空に温かな光の領域を作り出していた。
「君の希望に込められた想いを大切にするんだよ。きっとこの先、君を支えてくれるからね」
「はいっ!」
アズマの言葉に力強く頷くと、僕は解放の神剣を構え直した。光は既に僕の手を離れ、皆を包むように留まっている。これなら戦いながらでも維持できそうだ。
「……それにしても、随分と目立つようになっちまったなァ」
ウルグラムが周囲を見渡しながら鼻を鳴らす。確かに、暗黒の魔族領に浮かぶ僕達は、遠くからでも容易に見つけられるだろう。
「構わないさ。どうせ奴らには、とっくに気付かれているんだからね」
アズマはそう言って前方へ視線を戻した。皆の表情も引き締まり、僕もそれに倣う。
光に照らされた先には、どこまでも続く黒い大地。捻れた木々と、黒く濁った川。そして、その遥か向こうには、瘴気に霞んだ巨大な山々の影が見えていた。
そして都市のような黒い廃墟。あの先に魔王がいるんだ。
そう思った瞬間、胸の奥が僅かに震えた。だけど不思議と、先程までのような息苦しさはなかった。
「……行こう、皆」
アズマの声に、僕達は頷いた。
「承知した。……主よ、振り落とされるでないぞ」
セイランが翼を大きく広げ、力強く羽ばたいた。黄金と白銀の光を纏った龍の巨体が、暗黒の空を切り裂くように加速していく。
その時だった。
「――っ! 避けやがれ! 蒼龍ッ」
「——掴まれッ」
ウルグラムが鋭く叫び、セイランが急制動を掛けた。
その直後、セイランの左翼のすぐ側を棘のようなものが通り過ぎた。
直後、前方の黒い大地が不気味に脈動した。
「……何だ、あれは……!」
僕が目を凝らすと、地上のあちこちに赤黒い光が灯っていくのが見えた。一つ、二つ……いや、数え切れない。まるで大地そのものが無数の眼を開いたかのようだった。
「来るぞ! 全員、防御態勢!」
アズマの号令と同時に、地上から幾筋もの赤黒い閃光が放たれた。
「――ッ!!」
閃光は瘴気を引き裂きながら、一直線に僕達へ迫ってくる。セイランが咄嗟に身を翻すと、最初の一撃が右翼のすぐ脇を通り過ぎ、背後の暗黒へ消えていった。
だが、それだけでは終わらない。
次々と放たれる赤黒い閃光が、四方から僕達を追い詰めるように迫ってきたのだ。
「まったく、熱烈な歓迎だな……!」
ウルグラムが双剣を抜き放ち、シェーデも盾を構え、サリアとデインが即座に魔術の発動を始めた。
僕も解放の神剣を握り直し、眼下に広がる黒い大地を睨みつける。
……そうだ。ここは魔族領。
魔王の封印を守ろうとする魔物達が、僕達を黙って通すはずがない。
「皆、ここからが本番だ!」
アズマの声が響く。
その言葉に応えるように、僕は神剣を構えた。
「はいっ!」
次の瞬間、無数の赤黒い閃光が、光を纏う僕達目掛けて一斉に襲い掛かってきたのだった。




