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時を越えた約束 〜精霊剣士の英雄譚〜  作者: 朧月アズ
過去編 第4章『知られざる決戦』
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Ep.455 眼前に臨む漆黒

「皆、見えてきたぞ。……魔族領だ」


 始まりの陽が最も天に近づく頃、風を切るセイランの背で、アズマが呟いた。


 僕達はアズマの目線の先を揃って見つめる。


 見晴らしのいいセイランの背からは、地平線の向こう側から徐々にはっきりと見えてくる、禍々しい黒一色。


 ――それはあたかも世界の端が、黒くえぐり取られたかのようだった。

 世界に生まれたはずの光を全て吸い込んでしまったような、ただの虚無。


 それこそが、魔王によって奪われた大地であり、死の象徴たる魔族領の姿なのだ。


 僕は知らず知らずのうちに腰へ手を伸ばし、封剣・月虹の柄を握り締めていた。

 まだ遠くに見えているだけだというのに、あの場所へ近付いてはいけないと、身体の奥底から警鐘を鳴らしているような、本能が叫んでいるように胸がざわついた。


 その危険そのものが、昨夜皆と談笑しながら食事をしていた時にも内心では抱いていた恐怖が、いよいよ現実のものとなって目の前に現れたのだ。


「……あそこが」

「ああ。存在するもの全てを死に塗り替える、呪われた地だ」


 僕の呟きにアズマが答える。その表情からは笑みが消えていた。

 他の皆も同じだった。サリアやシェーデ、ウルグラムにデインも、遠くに見え始めた黒い大地を険しい表情で見つめている。


 僕以外の皆は、以前にもあの大地へ足を踏み入れたことがあるんだ。魔王を封印した戦いの折に。


 だからこそなのだろう。初めて目にする僕とは違い、皆の顔に驚きはない。ただ、この先に何が待ち受けているのかを知っている者だけが見せる緊張があった。


「主よ、ここからは気を抜くな」


 僕達を背に乗せて飛ぶセイランが低く告げる。普段なら何が起ころうとも悠然としている彼女の声にすら、僅かな硬さが混じっていた。


「ヤツら気づいたな。……はっ。当然か」


 ウルグラムが吐き捨てるように魔族領を睨む。彼の銀と金の魔眼は何を映しているのか。


「魔王が封印されても尚、奴らの数は相当なものだ。……いいや、魔王が封じられたからこそ、魔族領に集まって来ているのだろうな」


 シェーデはいつでも盾を構えられる姿勢のまま、溜息混じりに呟いた。

 

「そうね……。それにさっきから少し息苦しいわ……」


 サリアが胸元へ手を添える。その言葉を聞いてから意識してみると、僕も自分の呼吸がいつの間にか浅くなっていることに気が付いた。


「……本当だ」


 一度、大きく息を吸い込んでみる。だけど肺に入ってくる空気は妙に重く、身体がそれを拒絶しているような不快感があった。


 まだ陽の光が届いている。眼下には雪混じりとはいえ普通の大地が広がっている。それなのに、魔族領との距離が縮まるにつれて、周囲の空気そのものが少しずつ別物へ置き換えられているようだった。


「クサビ、苦しくないかしらっ? 焦って吸おうとしない方がいいからね」

「はい。……サリア達は、前にもこれを?」


「ええ。魔族領に立ち入れば、こんなものではないけれど……ねっ」


 サリアはそう答えると、僕の肩へそっと手を置いた。いつものような慈愛に満ちた笑顔を向けてくれたけれど、その目だけは周囲を警戒し続けている。



 やがて、セイランがさらに魔族領へ近付いていくにつれて、息苦しさとは別の不快感まで覚えるようになった。


「…………」


 僕にも分かる。

 ——見られている、と。


 僕はセイランの背から眼下を見回した。所々に岩肌が露出した雪原が広がっているだけで、魔物らしき姿は見当たらない。それでも背中に突き刺さるような視線は消えなかった。


 一つや二つではない。

 もっと多くの何かが、どこかから僕達を見ている。


「……テメェも気付いたか」


 ウルグラムが剣の柄に手を掛けたまま呟いた。


「はい。魔物の気配が辺りから……」

「まあ、ここは敵の本拠地だしね。居ない方がおかしいさ」


 アズマが前に目を凝らしながら軽口を吐く。


「皆、警戒を厳にな。いつでも武器を抜けるようにしておくんだ」

「はい……!」


 シェーデの言葉に僕達は頷き、注意深く見渡しながら進んだ。



 そして——。


 黒い大地はもう地平線の一部ではなかった。視界の大半を埋め尽くすほどに広がり、近付けば近付くほど、その異様さが鮮明になっていく。


 木のようなものが見える。だけど葉は一枚もなく、黒く捻れた枝だけを空へ伸ばしていた。山肌も、地面も、そこを流れているはずの川さえも黒く濁っている。


 何よりも気味が悪いのは、生き物の気配がしないことだった。命ある存在という方が正しいか。


 魔物がいるのは分かっている。

 殺気も感じている。


 ここにあるのは邪気と死だけだ。



「…………うん。早くお行き……」


 不意に、デインが口を開いた。


 その声に僕は振り返る。デインはセイランの背に座ったまま、じっと空の方を見上げていた。


「デイン?」

「……精霊を、帰した……」


「精霊が……。下位の精霊が着いてきてたの?」


 デインは僕の方を向き、頷く。


 デインが言うには、たくさんの小さな精霊達が、セイランにしがみつくように着いてきていたのだという。

 デインと話した精霊が、他の精霊に話をして、それを聞いた精霊達が手伝いたくて集まり、それは凄く沢山の精霊達の群だったのだと。


 盲目のデインが感じた景色では、まるでセイランが色とりどりの光の粒子を纏って飛行しているかのような光景だったという。


 デインの力になりたくて集まった精霊達が魔族領に立ち入れば影響を受けかねない。だからデインは彼らを帰したのだ。


 デインは掌をぐっと握り、胸に置いた。

 それは宝物をしまい込むように、大事そうに。

 

「……気持ちは、持っていく…………だから、共に」

「ふっ、心強い事この上ないな? デイン」


 シェーデがデインに向けて口角を上げて茶化した。しかしその声は優しげだった。

 きっと僕達全員が、小さな精霊達の勇気を受け取ったのだ。……そう思う。


 僕には見えなかったけれど、今も遠ざかっていく精霊達がこちらを見送っているのかもしれない。そう思うと、胸の奥にあった恐怖がほんの少しだけ和らいだ気がした。



 ——だが、それとは対照的に僕達へ向けられる殺気はますます濃くなっていた。


「――来るぞ主よ。前だ」


 セイランが短く告げると同時に、僕も前方に目を凝らした。魔族領を覆う黒い空、その手前を何かが旋回している。最初は小さな黒点にしか見えなかったものが急速に大きくなり、やがて耳障りな羽音まで風に乗って届き始めたのだった。

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