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時を越えた約束 〜精霊剣士の英雄譚〜  作者: 朧月アズ
過去編 第4章『知られざる決戦』
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Ep.454 Side.S 慟哭

 助けなければ。

 今すぐにでも、助けに行かなければ……!


「師匠! 救援を――!」

「分かっているッ! だが転移先が無い! サレナグランツには転移の精霊具は設置していないのが裏目に出た……! 今から急行しようとも……――」


「そんな……!」


 ……間に合わない。

 その言葉を、師匠は口にはしなかった。


 だけど、この場にいる誰もが理解してしまった。


 今からどれだけ急いだとしても、今まさに事が起きようとしているこの状況下で、サレナグランツの人達を救うにはあまりにも遠すぎるんだ……。


「――魔大将……っ! もう一体……リリスと思しき女型の魔族が、守備隊長へ近付いていきます――」


「何をするつもりだ……」

「――……何かを……首元から……。…………っ! 言霊返しです! 守備隊長から言霊返しを取り上げました!――」


「何……?」


 チギリ師匠の眉が跳ね上がり、隣のアスカさんの表情には、心当たりがあるように曇っていた。


「シュミートブルクでリリスと対峙した時、精霊具に興味を示していましたわ……」


 アスカさんの言わんとしている事が、その場の全員に薄らと見え始める。それが見えるにつれ、嫌な予感が肥大化していく感覚に冷や汗が流れる。


「――リリスが言霊返しを眺めています。……何か喋っているようですが、ここからでは……――」


 ——その時。

 師匠の持っていた言霊返しが、淡い光を放った。


「――――ッ!」


 全員の視線が、一斉にそこへ集まる。

 師匠も驚いた様子で手の中の言霊返しを見下ろしていた。


「——これで良いのかしら? ……聞こえますこと? 人間さん方——」


 背筋に冷たいものが走った。

 今の声は、まさか。


「…………」


 師匠は暫く言霊返しを睨みつけていた。

 だけどやがて、覚悟を決めたように魔力を込める。


 淡い光が強くなり――。


「これは人間専用なのだがな。リリス」

「——あらぁ、除け者だなんて悲しいですね。まあそう言わずに、ふふふ……ああ、皆様ごきげんよう——」


「…………ッ」


 言霊返しから聞こえてくる声に、チギリ師匠とアスカさんの表情に冷ややかなものを見た。


 甘ったるく、艶やかで。

 それでいて耳に入るだけで、胸の奥に嫌悪感が湧き上がってくるような声。


「——やはりこれはとても興味深い代物ですね? こうして声を届け合って連携をしていたとは。人間の知恵も、捨てたものではないのですね——」


「長々と会話する程、お前と友誼を結んだ覚えは無いよ」

「——……相変わらずつれないお方。いいでしょう、本題に移りましょうか——」


「——今宵はとても良い夜ですね? 空には美しい黒の柱。……ふふ。私達にとっては、ですけれど——」


「…………」


「——ですが貴方達にとっては、さぞ気分の悪い夜なのでしょうね。忙しなく走り回って……遠くから私達の様子を覗き見までして——」

「――っ!?」


 私は息を呑んだ。遠くから、覗き見……?


「——あら? 気付いていないとでも思っていました?——」

「ティックル剣少尉ッ!」


 チギリ師匠が言霊返しへ怒鳴る。


 だけど、その声に応えるより先にハンナさんの掠れた声が響いた。


「――……リ、リリスが……こちらを……見ています……――」


「ッ!」


 見つかっている……!


 ハンナさん達は遠方から身を潜めているはずなのに……最初から、リリスはその存在に気付いていたというの?


「——安心なさい。今すぐ取って食べたりなんてしませんよ? 折角の観客ですもの。最後まで見届けて頂かなくては——」


「……貴様ッ!」

「——ふふふ——」


 無慈悲に嘲笑う声が司令部に響き渡り、一部の兵士が固唾を呑んだ。


 私は無意識に刀の柄へ手を伸ばしていた。

 敵はここにはいない。


 どれだけ怒りを覚えても、刃を抜いたところで届きはしない。それすらも分かっていて、あの女は私達を弄んでいるんだ。


「わざわざ守備隊を皆殺しにして、住民を集め、こちらの斥候まで生かした。挙句の果てには言霊返しまで使って話しかけて来る。……何を企んでいる、リリス」


「——企むだなんて、人聞きが悪いですね? 私はただ、余興ついでにお知らせして差し上げようと思っただけです——」

「……何をだ」


「——魔王様の素晴らしい世界で、人間はどうなるのかを。フフフ……フフフフ! ——」

「…………ッ!」


 分かっていた。

 分かっていたはずなのに、その言葉を直接聞かされると胸が締め付けられた。


「——ティックル剣少尉! ハーゲンティは!?——」


 アスカさんがもう一つの言霊返しへ呼び掛ける。


「――黒い楔を持ったまま、守備隊長へ……近付いています……っ! ――」


「……やめて」


 零れるような願いを放ったのはマルシェの声だった。

 振り向けば、彼女は力なく膝をつき、顔を真っ青にして言霊返しを見上げていた。フェッティさんがそんな妹の肩を支えている。


「やめて……。お願いです……」


 震える声。

 だけど、その願いが届くはずもない。


「——さあ、よく御覧になって? 貴方達が守れなかった街の最期を——」

「——リリスッ!!」


 チギリ師匠の怒号が響き渡る。


「――あああ! ハーゲンティが楔を……! 守備隊長に……っ! ――」

「――っ!」


 次の瞬間。


「がぁああああああッ!!」


 言霊返しから、耳を劈くような絶叫が響いた。

 まるでこの世のものとは思えない、絶望を孕んだ絶叫だった。


 私は思わず耳を塞いでいた。決定的な敗北の音に激しい拒絶感を覚えたから。


「――地面が……っ! 街の地面が黒く……! 楔を中心に、何かが広がっています! 速い……! 速すぎるッ!――」

「ティックル! 逃げろッ!!」


「――しょ、瘴気ですッ! 凄まじい量の瘴気が地面から噴き出して……街が……街全体が……ッ! 人が……! 夥しい数の悲鳴がぁ……ああ……。――」


 大勢の人々の悲鳴。

 高濃度の瘴気に触れれば人は、その形を保てず失われていく。そしてやがて魔物と化し、魔王の尖兵の一員となってしまうのだと、散々聞かされて来た。


 それが今、遠くで現実となって起きているのだ……。

 救うべき命を救うことも出来ないまま!


「……や……め…………」


 マルシェが体を震わせながら掠れた声を出した。

 握った拳からは、爪が食い込み血が流れている。


「――空まで……黒く……っ。瘴気が街を覆って……! 人が……そんな! ――」

「ハンナさん! 報告はもういいですから……っ! 逃げるのですっ!」


 必死な様子でアスカさんが叫んだ。それでもハンナさんは実況を止めようとしなかった。


「――人が……人が、変わって……! 身体が膨れ上がって……角が……っ。魔物に……! 街の人達が……魔物に……ッ!!――」


「…………やりやがった……」


 ラシードの怒りを孕んだ声は、静かな怒りの炎を滾らせていく。


 目の前で見ているわけでもない。それなのに頭の中にその光景が浮かんでしまう。


 さっきハンナさんが言っていた。

 子供もいる。老人もいる、と。

 その人達が今、人に仇なす存在に作り変えられている……!


「――もういいッ!! ティックル剣少尉、撤退だッ! 全員生きて帰れ!! ――」


「――…………了解ッ! サンライト、全員撤退します!! ――」


 通信の向こうから風を切る音と、慌ただしく駆け出す足音が聞こえ、通信が切れた。


「——あらあら。もう帰ってしまうのですか? いい眺めですのに——」

「…………!」


「——最後まで御覧になればよろしいのに。素晴らしいでしょう? 人間の街が、こんなにも美しく生まれ変わって。そちらの勇者様はおいでになられないのかしら……——あらあらチビちゃん達がよちよちと可愛らしく——」


「おのれ魔族っ! 叩っ斬ってやるっ!!」


 机を叩く轟音。


 マルシェだった。


「何が美しいだッ!! あの街にどれだけの人が暮らしていたと思っているッ! それをお前達は……お前達はァッ!!」


「マルシェ!」


 フェッティさんが妹の身体を後ろから抱き止める。

 それでもマルシェは暴れるように身を乗り出した。


「殺すッ! お前だけは私が殺すッ!! 今すぐそっち行って全員————うわあああ! 離してえッ! アイツを殺してやるんだッ!」


「——……ふふ——」


 返ってきたのは、マルシェの叫びがまるで心地良いかのよな、満足気な笑い声だけだった。


「マルシェっ! 落ち着くの……! アイツらの思うつぼよっ!」


 マルシェを取り押さえながらそう言うフェッティさんの声も震えていた。怒りでおかしくなりそうなのはマルシェだけではないのだ。


 妹を押さえているその両手が、小刻みに震えていた。

 怒っているんだ。


 マルシェと同じくらい。


 ただ姉だから、妹を止めなければならないから、必死に堪えているだけなんだ。


「——あらあら、負け犬の遠吠えですね——」


 そしてリリスの声から、ふっと笑みが消えた。


「——元よりこの世界は、私達の王のもの。貴方達人間が我が物顔で蔓延っているだけでしょう? ——」


「……世迷い言を」


 チギリ師匠が吐き捨てる。


「——ふふ。そう思うのでしたら、守ってみせればよろしいではありませんか——」

「…………何?」


 嫌な予感がした。


「——次は……あの地……シュタイアに致しましょう——」


「――――ッ!! ふざけるなああああ! 貴様ぁ! 母上や爺、マリエッタに指一本触れてみろっ! 塵も残さず粉々にしてやるっ!」


 マルシェの絶叫が木霊する。

 いいえ、もはやそれは慟哭だった。普段大人しい彼女がこんなにも相手に敵意を剥き出しにして感情を発露させたのは初めてだった。


 リリスの言葉に、流石のフェッティさんも目を見開く。


 シュタイア。

 ファーザニア共和国の首都。そしてマルシェとフェッティさんの故郷……。

 そこが次の標的とはっきりと言われたのだから無理はないだろう。


「——急いだ方がよろしいのではなくて? 次も……間に合わなくなってしまいますよ? ——」

「リリスッ!!」


「——それでは。またお会いしましょう——」


 光が消えた。


「待てッ! リリス!!」


 師匠が何度呼び掛けても、もう返事はない。言霊返しが破壊されてしまったのだろうか。いずれにしてももう二度と届かない。



 司令部を重苦しい沈黙が支配した。

 誰も言葉を発することが出来なかった。


「…………」


 私は自分の手を見る。


 震えていた。

 怖い、悔しい。


 ……そして腹が立つ。

 何も出来なかった自分達が。


 サレナグランツは、私達が剣を抜くことすら出来ないまま消えた。

 そこに暮らしていた人々の痕跡も何もかも、人の尊厳すらも、一瞬で……。


「いやあああああ! ——…………」


「マルシェ……? マルシェ。……マルシェ!」


 髪を振り回しながら絶叫したマルシェがぐったりと地面に崩れ落ちた。フェッティさんが必死に呼びかけていた。


「……すぐにリリィベル・ウィンセス大統領に知らせよ。直ちに住人を避難させろとな」

「帝都が難民で溢れかえるかもしれませんわね……いいえ、そんな悠長な事を言ってられませんわ! すぐに連絡致しますわ!」


 あまりの凄惨な事態と、己の無力さに立ち尽くしていた私達は、師匠の言葉でようやく動き出した。

 私もハッとしてマルシェへ駆け寄った。


「マルシェ……」


 マルシェはフェッティさんにもたれかかるように倒れ、桃色の髪は乱れ、涙を流しながら気を失っていた。


「……マルシェの気持ちは、俺ら全員わかるはずだよな。…………魔物も魔族も、魔王も許せねえ……!」

「まるん……」


 ラシードとウィニがマルシェを見ながら悔しげに俯いた。

 ラシードは家族を亡者平原の戦いで喪い、ウィニも、家族は無事だけど故郷を失った。


 ……私も家族と故郷を魔王に奪われたけれど、だからせめて、マルシェには故郷を失って欲しくないわ……。


 もう誰かが悲しむのはたくさん。こんな世の中を変えなければ……!


 私は運ばれていくマルシェの手を握り、握り過ぎて血を流した彼女に癒しの光を注ぎ込む。

 今の私にはそれしか出来ることがなかった。




 ——その日の夜。

 兵舎の自室で眠れずにいると、不意に扉を叩く音がした。


「……誰?」


「…………私です。サヤさん」

「マルシェ……?」


 扉を開けると、そこには装備を整えたマルシェが立っていた。

 泣き腫らした目。青白い顔には疲労が色濃く浮かんでいる。


「……私、シュタイアへ行きます」

「……え?」


「ファーザニア出身の冒険者達が……何隊か、既に転移の精霊具で向かいました。命令を待っていられないと。……だから、私も——」

「——駄目よ!」


 考えるより先に、私はマルシェの腕を掴んでいた。


「離してくださいっ……!」


「行かせない! 罠かもしれないって分かってるでしょう!?」

「それでもッ! 母上達が……大切な人達がいるんですっ!!」


 悲痛な叫びに胸が締め付けられる。

 それでも、この手だけは離せない。


「命令違反でも構いません……! 何もしないまま、また全部奪われるくらいなら――!」


 規律や秩序を重んじるマルシェが、そこまで思い詰めてしまっていたのだ。……でも故郷が危機となれば当然なのかもしれない……。


「——マルシェ」


 静かな声が廊下から響いた。


「……姉様」


 フェッティさんだった。マルシェと同じく完全武装で。

 彼女は妹の前まで歩み寄ると、その震える両肩へ手を置いた。


「私だって行きたいわ。今すぐにでもね。……でも、駄目」


「どうして……! 姉様だって戦いに行くつもりなのではないですかっ!」


「違う。これはいざとなったら貴女を止める為に着てきたの。……いい? マルシェ。サレナグランツは失った。……でも、人が生きていれば、帰る場所は……きっとまた作れるわっ」


 フェッティさんの声も、震えていた。


「だから今は……シュタイアを守ることだけじゃない。そこにいる皆を、生きて逃がすことに力を注ぎましょう」


「…………姉、さま……」

「故郷を想うなら……一緒に、故郷の人達を守りましょう」


 マルシェは唇を噛み締める。

 やがてその瞳から、また大粒の涙が零れ落ちた。


「…………は……ぃ…………っ」


 フェッティさんがマルシェを抱きしめると、マルシェはフエッティさんの胸の中で嗚咽を漏らす。

 大切な人を守りたいのに行けない気持ちは、マルシェだけに背負わせたりはしない。


 マルシェとフェッティさんが部屋へ戻っていく。


 そんな彼女達の背中を見守りながら、黎明軍の中に生じた小さな綻びを感じていたのだった。

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