Ep.452 最後の団欒
——セイランは空を翔ける。
夜通しの大移動は、シュミートブルクがある南東大陸の端から、寒冷地帯の北東大陸を征き、そしてメルトアの街を通過。
そこから大陸の海岸に沿うように進路を取り、内陸の激しい吹雪を避けながら魔族領を目指していた。
そして現在。僕達は大陸の中ほどの海の近くに降り立ち、野営の火を囲んでいた。
皆で龍のままのセイランの背にもたれかかりながら、起こした火の熱と龍の温もりで寒さを凌いだ。
セイランの存在のお陰で魔物は襲ってこようともしなかったし、サリアの結界もあり、見張りの必要すらない。
そんな安全すぎる野営も、ここから先、魔族領へと近付くにつれて難しくなるだろう。
つまりここが、僕達にとっての最後の休憩地点になる。
魔族領は未だ瘴気に支配された真っ黒な大地と化しているという。
あまりにも濃い瘴気の為に陽の光は届かず、空気は人にとって有毒で、なんの対策もなく踏み入れれば、たちまち体が変容して人間ではいられなくなる、それ程の濃度だ。
人間側は当然、そんな大地を穢れたままにはしたくない。しかし魔族領には夥しい数の魔物が蔓延っている為、大地の浄化を進めたくても、奴らを掃討するのも困難な現状なのだ。
魔物にとっても、そこは僅かに残った自分達の領域。率いる者を失い人間の領域を侵して来ることは少なくなったが、自分の領域を奪われる事を許さない。
……僕の生まれた時代でも、人間と魔族領との境界でも戦いは続いていたのだ。500年もの間ずっと……。
そんな現状である魔族領へ斬り込む事が、如何に危険かは容易に想像出来るだろう。
「クサビ? はい、どうぞっ」
「ありがとうサリア。……ん? このシチューは……」
サリアが木の器にシチューをよそい、僕に手渡してくれた。その時懐かしい匂いが漂ってきたのだ。顔を上げると、サリアが意味ありげに微笑んでいた。
「あ、気付いたっ? そうなの。前にクサビが食べさせてくれた、未来のシチューに寄せてみたのよ。どうかなっ?」
僕は手を合わせてから匙を口に運ぶ。
以前、僕の時代から持ってきた固形化した即席シチューに味が似ていた。
「懐かしい味……よく再現出来ましたね、美味しいです!」
「ふふ! やったっ」
サリアが嬉しそうに笑う。
明日魔王と戦う事など夢であるかのような、ありふれた穏やかなやり取りだ。
もう皆の覚悟は決まっている。今更確認するのは野暮というもの。そういう事なんだろう。
「明日は長丁場になるのだからしっかり食べておかないと途中で腹の虫が騒いでしまうぞ? ほら、おかわりもあるぞ?」
そこにシェーデが加わって来てわざとらしく世話を焼く素振りで、僕の器を奪い取ってはシチューをよそっている。それはまるで姉のような態度だ。彼女はたまに、こういう感じで揶揄ってくるのだ。
「わ、分かってますよ! また子供扱いするんだから……」
「ふふ」
彼女は僕の言葉など意に介さず、僕の器にシチューを注ぐのを楽しんでいるように見えた。
「ハッ。食いすぎて吐くんじゃねェぞ」
あのウルグラムが珍しくシェーデの悪ノリに手を貸すなんて。
「そ、そんなヘマしませんって……っ」
僕がそう反論すると、ウルグラムはただ、鼻で笑うだけで視線を外した。
デインはいつものように明後日の方向を向いている。きっと下位の精霊がそこにいて、彼らと話をしているのかもしれないな。
「……いい夜だね」
隣に腰掛けているアズマがふと呟く。
夜空に煌めく星と、海面に反射する満月。
穏やかな風が吹き、海面は静かで、セイランの寝息を除けば波の音すら聞こえるくらいだ。
「クサビ、君が未来から来た人間だと知った時は、本当に驚いたよ。でもね、解放の神剣の事を差し引いても、僕の中には疑いは全くなかった」
アズマが穏やかな表情で星空を眺めながら言葉を紡ぐ。
どうして、と聞き返そうとすると、横からサリアがずいっと顔を出してきた。
「アズマとクサビ、同じ青色の髪に、それから緋色の瞳と、まるで瓜二つだものねっ!」
「ああ。私も最初は、アズマに隠し子でも居たのかと思ったよ――」
「――ア、アズマに限ってそんなわけないでしょっ……! もうっ」
シェーデの軽口にサリアが真っ赤になって反論する。
「ははは……」
僕は苦笑いするばかりだ。
「つまり、僕の節操無しの疑いは晴らされたってわけだね。良かった良かったっ」
火を囲む一行に、わっと賑やかな声が湧く。
そして一呼吸置いたアズマが、また落ち着いた様子で口を開いた。
「……君との出会いで僕の人生は、より替え難いものになったよ。…………この旅も、あと僅かなんだな」
アズマのその言葉は、僕の胸の奥をチクリと刺した。
サリアとシェーデも笑うのを止め、黙って耳を傾けている。
当然分かっていた。皆との別れが刻一刻と迫っていることを。
「…………はい」
そうだ。それはつまり目的を果たせるということだ。それを目指したのだから喜ばしい事なんだ。
…………でも。
「…………寂しい、です」
僕は素直にそう言葉を漏らした。
「「「…………」」」
サリアの手が、優しく僕の左手を包み、強く握ってくれた。
「……ああ、そうだね。ここに居る誰もがそうだ」
「……そうだな。クサビは、私の弟のようでな。亡国の姫となり多くを失った私だが……仮初かもしれないが、穏やかな気持ちを思い出したよ。出来ることならこの先も居たかったものだ。本当に」
シェーデの凛々しげな目元が緩む。
僕にとってもそうだ。
シェーデは、いつも気高く凛とした、姉のような人だと思っていた。僕には姉弟は居ないけど、姉弟の情とはきっとこんな感じなのかなと。
だがこれは胸の内に大事にしまっておく。
そう思っていると、シェーデが表情を引き締めて口を開いた。
「——だが。明日が別れとなる訳ではない。別れを惜しむのは、魔王との戦いの後にしよう。……姉の忠告、受けてくれるだろう?」
少し不敵な表情で、だが優しさの籠った声だった。
「……はい!」
僕は力強く頷いた。
姉の言う事は素直に聞かねば、ね。
「そうね……っ。まずは明日、魔王を封印して、皆で無事に帰ることを考えなくちゃいけないわ!」
「はい。皆で一緒に……!」
僕はサリアに包まれた左手に力を込めながら、右の義手で月虹の柄を握った。
「……おっと。僕がしんみりさせてしまったみたいだね、ははっ。……さあ、そろそろ休もうか。なんせ明日は一気に魔族領に突入するんだから」
アズマがそう言って腰を上げると、僕とサリア、そしてシェーデも続いた。
自分のテントに入って寝床に入る。
……いよいよ明日、魔王と対峙するんだ。
話の通じる相手ではないだろう。そして今までとは比べ物にならない程の戦いがきっと待っている。
でも、僕は進むと決めた。
恐怖を誤魔化しはしない。それでも歩みは止めない。それが僕の、太陽暦の勇者の在り方なのだから。
低い天井に向けて、僕は呟く。
……待っていてくれ。もうすぐ迎えに行くから、と。




