Ep.448 時を越えた約束
「…………」
僕はすぐには答えられなかった。一言に纏められるほど単純な思いではなかったからだ。
世界を救う。魔王を止める。その為に僕はここまで来た。それだけなら、何度だって口にしてきた言葉だ。
だけど、アウレアが聞きたいのはそんな事じゃない。
彼女の言う『どうする』という言葉の意味を、僕は分かっている。
「……僕は昔、魔王を倒したいと思ってたよ」
「……っ」
アウレアの肩が僅かに揺れる。
他の皆も何も言わなかった。ただ静かに、僕の言葉へ耳を傾けている。
「故郷を滅ぼされて、父さんも母さんも殺されて……僕は悲しむ暇すらないまま、何も知らないまま、解放の神剣だけを持って村を出た。父さん達から、この剣だけが魔王に対抗出来る希望だって聞かされてたから、魔王を倒す為に神剣のことを調べなきゃならない。それが生かされた僕の使命なんだって……そう思ってた」
あの頃の僕は、それを旅の目的だと思い込んでいた。
解放の神剣とは何なのか。何故僕の家にあったのか。どうして魔王に対抗出来るのか。それを知る為に旅をしているのだと、自分にも言い聞かせていた。
「でも……始めは違ったんだ」
あの頃、胸の奥にはずっと黒いものがあった。
「僕は復讐したかったんだ。父さんと母さんを、村の皆を殺した魔王が憎かった。故郷を奪った魔王を、この神剣で倒して、仇を討ってやりたいって……ずっとそう思っていた」
「…………」
「目的を果たすまで、その気持ちを手放しちゃいけないと思ってた。父さん達の仇を討たなくちゃいけない。それを忘れることは、僕を生かしてくれた皆を裏切ることになるんじゃないかって」
だけど、違った。
憎しみを抱きながらも見たことの無い景色に心が湧くことに葛藤しながらも、心の支えと再会して、また一緒に笑えるようになった。旅をして沢山の人と出会って、守りたいものが増えていった。
その時ようやく気付けたんだ。
「復讐を忘れて笑うことは、父さん達を忘れることじゃなかった。憎悪に苛まれてまで自分の芯となる部分を捨てて魔王を討ったとして、本当にそれで心は晴れるのだろうか。両親は喜んでくれるだろうか……って」
父さんも母さんも、僕に復讐してほしくて命を懸けたんじゃない。
僕を生かしたかったからだ。
生きて、前へ進んでほしかったから、あの時僕の背中を押してくれた。
「僕は以前大切な人にこう言った。憎しみで何かを成しても、きっと誰も救われないと。……だから今は、魔王を憎んではいない」
アウレアがゆっくりと顔を上げた。
「でも、許したわけじゃないよ」
「…………え?」
「魔王がやったことを無かったことには出来ない。父さんも母さんも帰ってこない。故郷の皆だってそうだ。僕だけじゃない。魔王のせいで家族を失った人や、故郷を奪われた人が世界中にいる。その人達に僕が勝手に『もう許そう』なんて言えるはずがない」
勇者と名乗っても僕自身だって人間だ。結局のところ魔王ともう一度向き合った時に何を思うのか分からない。
僕を逃がす為壁となった父さんの背を思い出すかもしれない。母さんの最後を思い出して、また憎しみに駆られるかもしれない。
——それでも。
「許すことと、救うことは違うと思うんだ」
「……救う……」
アウレアが、小さく呟いた。
僕は頷く。
「僕は魔王を止める。どれだけ強くても、どれだけ怖くても絶対に止める。これ以上誰かを傷付けさせないし、世界を壊させたりもしない。その為なら僕は魔王と戦うよ」
そこだけは譲れない。
僕が勇者として立つ以上、魔王の脅威から世界を守る。それは絶対だ。いや、例え勇者でなくても僕はそうするんだ。
「でも……皆と出会って、魔王のことも少しずつ知った」
僕の目の前にいる祖精霊達を見る。
彼らにとって魔王は、初めから魔王だったわけではない。
かつて同じ世界に生まれ、同じようにこの世界を見ていた存在だった。
「皆にとって、魔王は昔の仲間だったんだろ?」
「……元は精霊という意味では、そうだ」
答えたのはエクリプスだった。
「それにアウレア。君はずっと魔王のことを気にしてた。あの試練の時だって……君が本当に苦しそうだったこと、僕は覚えてる」
「…………っ」
アウレアが唇を引き結びながら俯いた。
「僕は魔王が、魔王になるまでに何があったのかを知ってしまった」
理由があれば何をしても許されるなんて思わない。
どれだけ辛い過去があったとしても、奪った命が戻るわけでもなければ、犯した罪が消えるわけでもない。
だけど。
「もし魔王が、どうしようもない苦しみの中で壊れてしまったのなら……僕は、その苦しみまで無視して斬り捨てたくない」
僕は左手を胸元へ置いた。
「僕は魔王を倒す為だけに戦うんじゃない。世界を救う為に戦うんだ」
そこで一度言葉を止め、アウレアを真っ直ぐに見つめる。
「……そして僕の言う『世界』の中には、魔王だっている」
「…………っ!」
アウレアが息を呑んだ。
「魔王がこの世界に生きる一つの命なら、その人だけを最初から救うものの中から外したくない。……殺して終わりになんて、したくない」
「クサビ……」
「神剣の力を取り戻し世界を救う為に、この時代の魔王をもう一度封印する。そして僕が来た時代でもう一度魔王と対峙して、その時は――」
僕は拳を握り締めた。
「魔王も、魔王を縛っている苦しみから救いたい」
白い世界に、僕の声だけが残った。
誰も何も言わない。
アグニも、ジオも、エクリプスも、ゼファイアも、リーヴァも。ただ静かに僕を見つめている。
そしてアウレアは俯いたまま、肩を小さく震わせていた。
「……馬鹿」
「え?」
「アンタ……ほんっと、馬鹿よ……」
消え入りそうな声だった。
アウレアは前髪の奥を手の甲で乱暴に拭うと、顔を背けた。
「魔王よ? アンタの故郷を滅ぼした奴なのよ? お父さんも、お母さんも奪ったのよ……? なのに、なんで……そんな奴まで……」
「……僕だって、最初からそう思えたわけじゃないよ」
僕は少し笑って答えた。
「皆に会ったからだよ」
「…………」
「サヤにもう一度会えて沢山の仲間が出来て、僕の心は保たれた。そしてアズマ達のことを知った。それに皆とも出会えて魔王の過去を知って、また一つ使命が増えた」
僕は魔王に復讐するために勇者になったんじゃない。
「大切なものを守る為に。これ以上誰にも僕と同じ思いをさせない為に。そして救えるものを、出来る限り救う為に――僕はそんな勇者で——いや、人間でありたい」
「……これが、僕の答えだよ。アウレア」
「…………そう」
長い沈黙の後、アウレアはようやく小さく頷いた。
「だったら……ちゃんと救いなさいよ」
「……うん」
「あの子を止めて……それで……」
そこでまた言葉を詰まらせる。
「……もう、一人にしないであげて……っ」
その言葉だけは、震えていた。
「……うん。約束する」
僕が頷くと、アウレアは顔を逸らしたまま一歩下がった。
代わるように、六人の祖精霊達が僕を囲む。
先程までの張り詰めた空気は、もうなかった。
「ふっ……! もう十分であろう」
最初に声を上げたのはアグニだった。
「うんうん! やっぱりクサビだね!」
ジオがようやくいつものような笑顔を浮かべ、ぽいんぽいんと跳ねている。
「ま、最初から心配なんてしてなかったけどね! 確認は確認だからさ」
ゼファイアは肩を竦めながら笑い、リーヴァも穏やかな微笑みを浮かべていた。
「貴方が五年の間に得たものは、剣の技だけではなかったようね。安心したわ」
「主の答え、確かに聞き届けた」
エクリプスの静かな声が続く。
そして最後にアウレアが、小さく鼻を啜りながら呟いた。
「……絶対、や、約束……破るんじゃないわよっ!」
「分かってるよ」
僕は皆を見渡した。
「それじゃあ……認めてもらえたってことでいいのかな?」
「我が主よ」
「うん」
アグニが皆の代表であるかのように口を開いた。
「我ら六祖は、汝の恐怖を知った。汝が背負うものを知った。そして汝が何の為に剣を振るうのか、その心も確かに見届けた」
アグニが胸元へ拳を添える。
それに続くように、ジオ、エクリプス、ゼファイア、リーヴァ、そしてアウレアも、それぞれ僕へ視線を向けた。
「改めて告げよう。故に我らは、汝が天命還るその時まで、力を託すと」
その言葉と同時に、六人の身体からそれぞれの色を宿した光が溢れ始めた。
赤、黄、黒、緑、青、白。
六つの光は白い世界を巡るように広がり、やがて僕の周囲で一つの大きな渦となる。
「……皆」
「さあ行け、我が主よ」
渦の中から祖精霊達の声が矢継ぎ早に響く。
「その手で鋼を打つのだ」
「かっこいいの作ってよね〜! クサビの剣!」
「その想いを忘れるなよ、主」
「完成の暁には是非! ゼファイアソードと名付けようじゃないか!」
「ふふ。ゼクストに教えてもらいながら、頑張りなさい? あとその名前は却下よ」
「し、失敗したら……承知しないんだからねっ!?」
皆の声を聞きながら、僕は強く頷いた。
どこか決まらない所も……まあ僕らしいか。
「——うん!」
その瞬間だった。
何も無かったはずの左手に、突然重みが戻ってきた。
「……っ!」
鎚だ。
現実で振り下ろしていた、ゼクストさんの鎚。
柄を握る感触や腕に掛かる重さ。振り下ろす勢い。止まっていた時間が、再び動き出そうとしている。
六色の光が一層強く輝き、祖精霊達の姿が少しずつその中へ溶けていった。
「ありがとう、皆!」
僕は消えていく皆へ叫ぶ。
そして白かった世界が、光に呑まれていく————。
——音と熱が戻る。そして身体の感覚が戻ってくる。
左腕はまだ、あの一打を振り下ろしていた。
目の前に、赤々と灼けた救世鋼が迫る。
そして――。
――——カァァンッ!!
澄み切った鎚の音が、工房に響き渡ったのだった。




