Ep.441 Side.A 暁天の黒十字
「逃げてしまうのですか? つれないですね。もっと遊びましょう?」
「もはや語る舌は無い」
チギリはそう言うと杖の先に魔力を集中させていき――。
「アスカ、翔べ!」
「承知しましてよ!」
チギリの杖から撃ち出された火球がリリスの足元に着弾すると、チギリの声と爆発音が同時に響き渡り、わたくし達は飛翔しました。
「私の方が早いようですね?」
「――っ!」
声は地上から高く飛んだわたくしの頭上から聞こえてきました。チギリの火球が爆ぜた瞬間、爆煙を突き抜ける黒い影が、いつの間にか頭上へ回り込んでいたのです。
その瞬間強烈な危機感が背中を駆け巡り、わたくしは咄嗟に振り向くと、先程までは無かった蝙蝠のような羽根を大きく広げたリリスが至近距離にまで接近し、伸ばした手でわたくしの頭を掴もうとしてきていたのです……!
リリスの指には黒く淀んだ靄のようなものに包まれており、徐々にわたくしの頭に……。
……触れられてもいないのに、頭の中から何かが直接吸い出されているような感覚に陥り、動けなくなっていました。
「――アスカ離れろッ」
チギリの声と同時に雷が閃光となって、わたくしとリリスの間を隔てるように放たれました。わたくしは急いで、手を引き戻したリリスから距離を置きつつ杖を構えました。
……今のは、何――?
リリスはわたくしに何かをしようとした。
もしあのままリリスに頭を鷲掴みにされていたら……一体どうなっていたことでしょう……。
「あらあら。もう少しでしたのに。残念……フフフ」
リリスはわたくしを見据えながら、余裕綽々に笑います。
「アスカ! 霧を頼む!」
「っ! あれですわね! 承知しましてよ!」
わたくしとチギリは目配せして、別々の方向へと飛翔します。そして魔力を形にするべく集中し……。
「……エンシャウデイングミスト!」
わたくしは魔術を構築すると、リリスの周囲に濃霧を発生させます。
「もしかして目眩しのおつもりですか? 姿は見えずとも、貴女方の魔力で、何処にいても手に取るようにわかりますわよ?」
深い霧の中から様子の変わらないリリスの声が耳に届きます。
「ふっ。単なる目眩しと思ってもらっては心外だよ。――グローミングフリーズ!」
「あら? あらあらあら……あ……ら…………」
次の瞬間、濃い霧に包まれた中、チギリの凍結魔術をリリスの周囲一帯に発動し、瞬時に氷漬けになりました。
「よし! 今のうちに離脱するぞ――」
――パリンッ……。
凍り付いたリリスにひびが入ったかと思うと、パキパキパキッと音が鳴り、氷の塊が粉々に砕け散ります。
リリスは氷の破片を纏った状態で宙に浮いたまま、チギリとわたくしのいる方向に顔を向けて、口元に笑みを浮かべます……。
「なるほどなるほど。一方が霧を発生させもう片方が即座に氷の魔術で霧を凍らせる連携……とてもひんやりしていて心地よかったですわ」
……こんなにも早く氷漬けからの状態を脱出されるとは。逃げる暇すらありませんでした。
チギリも、目論見が外れたとばかりに舌打ちを一つ……。
「ではお礼に、私は温めて差し上げましょう」
リリスが両腕を広げます。それはまるで夕焼け空に映える黒の十字架のようでした。
そして小さな光の粒がわたくし達の周囲に現れ、それは魔力の増大と同時に大きく膨らみ始めたのです……!
「ッ! 動けアスカ! それは攻撃だッ」
「はっ……――」
チギリの叫びにわたくしが慌ててその場を離れると――。
――ドーンッ! ドーンッ! ドーンッ!
光の粒が膨張して爆発を起こし、連鎖するように次々と誘爆しながら、わたくし達を追ってくるではありませんか!
――ドドドドド!
「アハハハハッ! これぞ喝采! ——ほらほらァ! そこ危ないですわよ!? もっと上手にお逃げになって! アハハハッ!」
空を覆う数多の爆炎。その中を必死に逃げ惑う羽虫のように、リリスには見えた事でしょう。貴婦人の仮面を放り投げるが如く、高笑いを響かせて愉悦に浸っておりました。
……やがて空の轟音が鳴りを潜めた頃、わたくしとチギリはボロボロの風体で地上に落とされておりました。
ローブの所々が焼き焦げてしまいましたが、それでも命を拾って居られたのは、咄嗟に発動させた防御障壁があればこそでした。
「……すまない、助かった。アスカは無事か……?」
「……ええ。何とか……」
わたくし達は疲労困憊のまま顔を見合わせて頷き合いました。
そこへリリスが悠然とした様子でゆっくりと高度を下げて近づき、わたくし達を見下ろしてきました。
「さあ、次はどう逃げてくださるの? 早く見せてくださいな! ふふふ」
「くっ……」
チギリは立ち上がりながら歯噛みし、わたくしは杖を支えにしてよろけながらも立ち上がりました。
「……アスカ。こうなれば一か八かだ」
チギリがリリスを睨み付けながら、静かにわたくしに言の葉を紡ぎます。
「……ええ。それがどのようなものであろうと、わたくしは貴女の考えに従いますわ」
わたくしの言葉を受けるとチギリは頷き、リリスを見据えると――。
「リリスよ! 貴様は見た事があるか? 二人で一つの未知なる魔術を生み出す、合体魔術を!」
「まあ! 初耳ですわ! それはどのようなものかしら? 是非見せてくださいな!」
わたくしは目を見開き、チギリを見る。
……貴女……! アレを今……ここで……?
でもあれはわたくし達にとっても諸刃の剣! 下手をすればわたくし達とて無事では済まない……。
……いいえ。アレしかない。リリスを行動不能に出来る可能性があるとすれば――。
わたくしは覚悟を固め、リリスを見据えます。
「……すぐにでも見せてやりたいのは山々だが、これには準備に時間が掛かるのさ」
チギリの額から、珍しく汗が一滴流れ落ちるのが見えました。
今臨んでいるのは交渉という名の賭けでした。未知を見せてやる代わりに発動まで邪魔をするな、という都合の良い交渉を……。
「ふぅん……」
リリスは半信半疑と言った様子で優雅かつ妖艶な仕草で首を傾げます。
「ふふふ。いいでしょう。その時間稼ぎ、敢えて乗って差し上げましょう。その代わり……面白いものを見せてくださいまし」
「驚愕すること違いなしさ。……アスカ」
「……ええ! 心得ましたわ!」




