ALONE~shimizu~
夜、家に帰ると心配する母さんの声も無視して、びしょ濡れになった服を脱ぎ捨ててすぐ、自分の部屋のベットに飛び込んだ。
不思議なことにベットに入った瞬間に、さっきまでのうるさいほどの思考は消しとんだ。あとに残るものは何もない。今までの頭を悩ませる出来事に、ただ無気力に、無関心を装った。
けれどどうしてか、困ったことに眠気だけは襲ってこない。体はどっと疲れているはずなのに。このまま眠りについて忘れてしまいたかったのに……
眠気が来るまでどうにか気を紛らわそうと辺りを見回す。すると、いつかの読みかけの漫画が部屋に転がっているのを見つけた。
わざわざベットから這い出て、取りに行くのも億劫だったが、寝るまでの暇つぶしとしてはちょうどいいし、重い腰を上げて取りに向かった。
――そういえば、なんで俺はこの漫画を読みかけのままにしていたのだろう?
その漫画を手にとって、そこでふと思った。俺は普段、漫画は買ったら一気に最後まで読むし、読み始めたら止まらないタイプだ。
記憶をたどれば、それはすぐに見つかった。
――あの日だ。俺があの神社の当番になった日。そして神坂に久しぶりに会った日。
「うっ……!!」
そこでまた吐き気。ちょうどあの神社を想像した時、さっきの様な吐き気がまた襲ってきた。あの神社のことを考えていると、ひどく不愉快な気分になってくる。
――自分がやましいことをしてるっていう、自責の念でもあんのかな……?
そんなのあって当然だ。俺は今まで散々いろんな人に迷惑をかけてきた。佐々原にあんな顔させて、村のみんなを困らせて、神様にバチでも当てられたんだ……
結局そのままベッドに横たわり、漫画を広げる。栞もなにもしてないから、どこまで読んだかわかりにくい。時間もあるし結局、最初から読むことにした。
――明日、神社に行ってみよう。ずっとこのままってのも気分悪いし。
時計を見る、時刻は午後の8時過ぎ。時計の針の指す時刻を見て、夕食を食べていないことに気づく。とても食欲もわいてこないような状態で、食事はいらなかったが、今頃家族が俺抜きで夕食をとっているかと思うと、心苦しかった。
――夜って、意外に長いんだな。普段、どうやってすごしてたっけ……?
どれだけ目をつぶって意識を断ち切ろうとしても、眠りにつけることもないし、一分を一秒に感じることもない。結局俺は純粋に、この残酷な時間を耐え抜くしかないのだ。
一人、得体のしれない不安と共に…………
――気が付けば朝だった。
容赦なく部屋を照らす太陽に、朝特有の澄んだ空気の匂い。直感が今がもう朝だと告げている。時計を見て時間を確認すると8時半だった。
今日は土曜日、学校がないにも関わらずこんな時間に起きてしまった自分が憎らしい。昨日はあれだけ疲れていたのだから、もうすこし寝ていてもよかったものを……
二度寝しようと、もう一度身体を横にするが一向に眠気は来ない。
――ダメだ、眠れない……変に意識が覚醒しちゃってる。
昨日のことが思い出される。文字通り、嵐の様な一日だった。昨日の夜よりは大分気が軽くなったが、それでもいろいろと思考は止まらない。
そこで、一度気分を変えようと立ち上がり、身支度を整える。目的は当然、あの神社だ。
適当な衣服を身につけて準備完了。持ち物は特に何もない。あとは家を出るだけとなり、部屋のドアノブに手をかける。
だがそこで、おそらくこの扉の向こうにいるであろう両親ことを思い出し、ぴたりと動きを止めた。
――気まずいな。昨日は相当心配かけただろうし……いや、だからこそだ。ひきこもってても余計心配をかけるし、いっそ出よう。
そしていっきにドアノブを回し、外に出る……が、どうやら今までの悩みは気鬱に終わったようだった。
部屋の外を見回してみても誰もいない。だが、好都合だ。余計なことに気を回さなくていいなら、それに越したことはない。そして、急きょ鍵を手にして俺は家を出た。
俺の家から神社まではものの数分だ。いつものように自転車にまたがりペダルをこぐ。
土曜日と言うこともあり、村にはいつもより活気があった。自転車をこいでいても何人かとすれ違い、会釈を交わしてゆく。
山を登り終え、神社の敷地内に入っていく。神社に一歩づつ近づくにつれ、胃の辺りががキリキリする。
――やっぱりこの神社には何かある。ここの神社で昔、俺に何かあったのだろうか?
何かヒントを得ようとしてて、俺はこの神社のすみからすみまで見渡した。
辺りに生える名前も知らない針葉樹、お互いをにらみあう狛犬、大きくそびえたつ鳥居、どれをとっても特徴深い見た目をしている。
だが、これと言って何か特別思うこともない。ただの立派な景色、それだけのことだった。
――この神社じゃないとしたら何なんだ?
一度神社を見回すのをやめて、拝殿へと歩いていく。俺がただ神様を思い起こすことで罪悪感や背徳感を感じているだけなのかもしれないし、なんてことはない、全くの思い違いだと言うこともあり得なくはない。
もう考えるのは止めよう――そう思った時だった。
――待てよ?俺が今まで感じてきた胃の痛みは、神社に向けられたものじゃないとしたら……
簡単な話だ。神社の中にいる存在、神社が祀っているもの……神様そのものじゃないのか……?
その時からだった。
気づいたら最後……まともにその神の宿る建物を見られなかった。
「チッ」
いてもたってもいられず、軽く舌打ちをして回れ右した。本当は少しくらいお参りをしていこうかと考えていたが、どうにもそんな気分になれなかった。
何一つ問題は解決していないが、一つだけわかった。
――この村に住む、この神様はどうにも苦手だ。
神社の外へ向けて、一歩足を出そうとしたとき、目の前に人がいることに気づき、あわてて足をとめた。
突然のことで少し驚いたが、だんだん彼女のその気配の無さにも慣れてきたのか、別段取り乱すことはなかった。
「や、やあ、神坂。元気だった……?」
何を思ってそんなことを口にしたのか、気づけばそんなことを聞いていた。
「こんにちは、清水君。……この顔を見て、元気そうだって思う?」
その顔を正面に捉え、じっと見つめる。わざわざ凝視するまでもない。それほどに神坂の顔は疲れ切って、やつれていた。
普段の落ちつきはらった印象はなく、普段の綺麗に結われた長い髪の毛も心なしかあちらこちらに飛び跳ねているように見える。目にはくま、昨日はほとんど寝ていないのだろうか。
神坂は泣いているような笑みを浮かべたまま俺を見つめている。そんな彼女の表情を見ていたら、ふとあることを思った。
「…………昨日。俺たち3人の他に、もう一人誰かがいるような気配がしてた」
――正直嘘だ。本当はそんなこと気にしている余裕なんてなかった。
「やっぱり、あれは神坂だったんだろう?」
内心でよくこの俺がそんなはったりをかけられたものだと感心しながら、表情を崩さず神坂を見つめ続けた。
「…………。ただ少し、通りがかっただけよ」
神坂は観念したと言った顔をした後、うつむき静かに答えた。
「なあ、教えてくれよ。いったい昔なにがあったんだ?佐々原と神坂しか知らない何かがあるんだろう?」
またとない機会になるだろうと思い、たたみかけるように神坂に質問を投げかける。
それでも神坂は表情を変えず、うつむいたままだ。そんな様子でも、淡々と俺の言葉に対する返事を口にした。
「それは……私からは答えられない。佐々原さんの口から聞いて……ただそれに、意味があるのかは分からないけど……」
「……なんで?」
「なんでも。だって言ってもわからないもの……」
「訳が分からないよ」
神坂の要領を得ない返答に苛立ちを覚える。
佐々原にしろそうだ。昔の話をしようとすると適当にはぐらかして何も話してくれない。言いたくない理由でもあるのだろうが、それすらわからないでは佐々原や神坂の気持ちを考えることすらできない。
――なんだよ、ちくしょう。まるで俺だけ取り残されてるみたいじゃないか……!!
「ごめんなさい、ごめんなさい……本当に、清水君からしてみれば訳が分からないと思う」
神坂は本当に申し訳なさそうに頭を下げる。
「いいよ別に、わかってるなら……佐々原に、聞いてみるよ」
そう口にしたものの、昨日の佐々原の悲痛な顔を思い出すと胸が少しだけ痛んだ。
それでもたぶん、この知りたいと思う欲求には勝てない。
「それじゃあ、ごめんね。朝から迷惑かけて……」
これ以上ここにいても意味はないと思い、俺はこの神社を立ち去ろうとした。この神社の敷地にいるだけで胃がキリキリするし、気分が悪い。用がなくなったのなら早く立ち去るに限る。
だが。
「――待って!!」
立ち去ろうとする俺を、今にも泣きそうな顔をした神坂が引きとめた。
「やっぱり、佐々原さんには聞かないで……きっとそれは佐々原さんをとても傷つけることになるから」
「……じゃあ、どうすればいいの?神坂が今ここで答えてくれるの?」
――ダメだな。俺、今絶対怖い顔をしている。
「ごめんなさい、それも無理なの……」
そして、神坂が顔を上げた。
その顔は今まで見たこともない様な強い顔だった。俺が神坂に対して抱いていたイメージ、儚げでおぼろげな雰囲気は微塵も感じさせなかった。
――たぶん、何かがふっ切れたんだ。
「少しだけ――2、3日だけ待ってくれる?そうしたら、全部教えてあげる……」
神坂はそのまま表情を崩さず、そう告げた。
神坂の真意は分からない。けれど……
今はその言葉を信じようと思った。
「わかった…………信じてるから」
神社の目印として堂々とそびえたつ鳥居の下をくぐる。もう振り返る必要はない。ただ神坂の言う2,3日後のその時を待てばいいだけだ。
門の前に置いていた自転車にまたがり、ペダルをこぎ始める。そこで自転車の前かごになんの荷物も入っていないことに気が付いた。
――そりゃあ、家を出るときに何も持ってきてないんだから当然だ。
けれど、普段自転車をこぐ時は学校の荷物を詰めている。なんとなくそんな記憶が遠く感じられてしまって、空の自転車のかごを見つめて空しい気持ちになる。
活気にあふれる村の中を、一人自転車で縦断する俺は、どうしようもなく孤独だった。




