3 マイカの事情
「ここまで来たら、もう大丈夫だ」
先ほどの屋敷から離れて落ち着けるような川沿いに来てから、アウィンは女の子に優しく声をかけた。ここなら人通りも少ない。門番も追いかけてくるような様子はない。
女の子は緊張が解けたのか、再び地面にぺたんと座り込んでしまった。それから、うずくまり小さく泣き出した。
「まいったな」
頭を掻きながら、アウィンも女の子に目線を合わせるように座り込む。だが、アウィンは女の子を急かして泣き止ませるようなことはしなかった。ただ、彼女が落ち着くまでそこにいる。
女の子が少しだけ落ち着いたように顔を上げたとき、アウィンがまだそこにいることに驚いたようだった。
アウィンは笑顔を作って笑いかける。ただ、子どもに笑顔を向けたことが久しぶりなので、どんな顔をしているのかは自分ではわからない。
「どうして、あんなことをしていたんだい?」
アウィンは優しく聞いた。
「あんなことじゃないよ! お姉ちゃんに会いたかったの!」
だが、女の子は再び泣き出してしまう。
「おお、すまん」
アウィンが謝っても、女の子は泣きじゃくっていて止まらない。
「よしよし、大丈夫だ」
アウィンは優しく背中をさすってやる。女の子が火のついたように泣く様子は、ただ事ではないように思えた。
さっきの門番の態度といい、子どもに対する態度でもなかった。
なにがあったのか気になる。
「俺に話してくれないか?」
「うぇ、ひっく」
「いい、いい。落ち着いたらでいいんだ」
アウィンは泣いている女の子の背中をさする。改めて見ると女の子は質素な服を着ていて、髪もボサボサだ。裕福な家庭の子には見えない。まだ、全ての人が豊かなわけではないのだということにアウィンは心を痛める。
「名前はなんというんだ?」
「……イカ。マイカ」
「そうか、マイカか。いい名だな」
うんうん、と頷きながらアウィンはその名を呼ぶ。
「大丈夫だ、マイカ。今は俺がついているからな」
「う、う……」
名前を呼びながら背中をさすっていると、マイカは少し落ち着いてきたようだった。マイカはじっとアウィンを見上げて、
「おじちゃんは、誰? なんで、私を助けてくれたの?」
小さく問いかけてきた。
「ん? 俺か? なぜと聞かれると困るんだが……。そうだな、困っている人がいると、見捨てては置けない性分でな。俺は、アウィン。ただの旅人だ」
「アウィン、さん?」
「ああ」
マイカに名前を呼ばれて、アウィンは微笑む。
久しぶりだった。魔王になってから、名前を呼ばれることなどなかったと、改めて思った。それは、アウィンに過去を思い出させるような、とても懐かしい響きだった。
だが、今は感傷に浸るようなときではないとわかっていた。
「よかったら、俺に話してくれないか? なにか事情があるんだろう?」
「……」
マイカは一度口をつぐんで、俯く。
「言えないようなことなら、無理には聞かないが」
アウィンが言ったとき、マイカの小さな手がきゅっとアウィンの服の裾を掴んだ。
「ん、どうした?」
「助けて、くれる?」
マイカが、下を向いて不安そうに呟く。アウィンはマイカの肩にそっと手をのせる。マイカが顔を上げた。
「当たり前だ」
アウィンはニッと笑った。
「あのね。お母さんも聞いてくれないの。他の大人の人たちも。だから、アウィンさんもそうだと思って……。ね、本当に聞いてくれる? 笑わない?」
「もちろんだとも」
アウィンはこくりと頷く。するとようやくマイカが話を始めた。
「お姉ちゃんがね、帰ってこないの……」
「ああ、そういえば、さっきも屋敷の前でそんなことを言っていたな」
「そうなの! あのお屋敷にお姉ちゃんが働きに行ったまま帰ってこないの! 私、心配で……。でも、お母さんに言っても、大丈夫だって。他の近所のお姉さんたちも働きに行ってるからって」
「ふむ。夜になったら帰ってきたりはしないのか?」
「えっとね、あのお屋敷に行ったらそこに住んで働くんだって。でね、ご飯も出るから安心なんだって」
「なるほど。安心というのもわかるな。このご時世で、衣食住に困らないのは確かに助かることだ」
「んー」
「すまん、難しい言葉を使ってしまった」
「でもね、私は安心じゃないって思うの」
マイカが顔を曇らせる。
「どうしてだい?」
「だって、あのお屋敷に行ったお姉さんたち、まだ誰も帰ってこないの……。私のお姉ちゃんも……。だから、心配で……」
「そういうことか。確かに、心配になるな。住み込みで働くにしても、誰も帰ってこないというのはな。誰の姿も見ないのか?」
「うん。屋敷の外にも出てこないの。さっきも会わせてくださいって頼んでも、追い返されちゃって」
「さっき俺が通りかかったときのことか」
「そう! あ、さっきはありがとうございました」
マイカがぺこりと頭を下げる。礼儀正しい子のようだ。
「ああ、それはいいんだ。さっきも言ったとおり、放ってはおけない性分だからな。しかし、それは心配だな」
うむ、とアウィンが頷いたとき、急にアウィンの腹が鳴った。そういえば腹が減っていたと、思い出すアウィンであった。




