2 マイカ
「ねえ、お姉ちゃんはいつ帰ってくるのかな?」
まだ幼い女の子が、狭くて薄暗い家の中で内職をしている母親に向かって問いかけた。
「いつって、まだ住み込みで働きに出たばかりでしょう? すぐには帰ってこられないんだよ」
母親は手を止めずに答える。
「あの子だって大変なんだから、マイカもいい子にしていてちょうだい」
「うん。わかってる……」
マイカと呼ばれた女の子は、小さくこくりと頷いた。その顔にはさみしさが滲んでいた。母親はマイカを見てそっと頭を撫でた。
「大丈夫。休みになったらきっと帰ってくるよ。ごめんね、うちが貧乏なばっかりに」
マイカはもう一度こくりと頷いてから言った。
「でもね、あのお屋敷に行った人たち、みんな帰ってこないって言ってるよ。お姉ちゃん、大丈夫かなあ」
「きっと忙しいんだよ」
「そうかな……」
不安そうにマイカは呟く。
「きっと、そうに決まってるよ」
マイカの母親も、自分を納得させるように呟いた。
だが、マイカは納得できない様子で立ち上がった。そして、外へと駆け出していく。
「これ、どこへ行くの?」
「やっぱり心配だから、お屋敷に行ってみる!」
「すぐ帰ってくるんだよ」
「うん!」
母親に向かって答えると、マイカは家の外に飛び出していった。
◇ ◇ ◇
「ふう、やっと着いたな」
アウィンは汗を拭った。自分の足で移動をしたことなど久しぶりだったので、少しの疲労感があった。だが、それもまた心地のよい疲労だ。
旅に出ると言ったとおり、ようやく首都から移動して少し離れた街に辿り着いたところだ。乗合馬車などもあったが、今はゆっくりと平和になったこの世界の景色を楽しみたかった。地に足を付けて歩くというのが、アウィンには心地よい。
アウィンは周りを見渡した。
そこそこ大きな街だが、首都とは違ってあまり魔族は歩いていない。街ゆく人はほぼ人間だ。
「そりゃそうか」
アウィンは呟く。
まだ魔族と人間が友好条約を結び、戦争を止めてから間もない。互いに警戒心を解き、友好的に暮らしていくためには時が掛かるだろう。
アウィンとて、人間界を旅するためにわざわざ人間の姿を選んでいる。が、アウィンにとっては元魔王であることを隠すためでもある。
アウィンは街の中に足を踏み入れた。人間の街を歩くのは心躍る。魔界のことは、部下たちから耳に入っていたし、見慣れた土地でもある。元魔王としては、今の人間界が平和になっているかどうかも気になるところだ。もし戦禍の跡など見てしまったら、罪悪感も襲ってきそうではある。だが、それも元魔王としては目を背けられぬものだ。
が、とりあえずは観光気分で、アウィンは街の中を歩き始めた。
首都よりは賑わいに欠けるが、それなりに人は歩いている。旅人もそれほどまでに珍しいものではないらしい。魔族もたまに見掛けるが、アウィンのことを元魔王だと気付く者はいないようだ。
街の平和な様子に、アウィンは安堵する。これこそが、アウィンが求めていたものだからだ。ぶらぶらと歩いていると、腹が減ってきた。何かが食べられる店がないか探すことにする。
そうしているうちに行く先が騒がしいことに気付いた。アウィンはそちらへ目を向ける。
「帰った帰った! ここはお前のような子どもが来るところではない!」
「お姉ちゃんがここにいるはずんなんです! 会わせてください!」
「うるさい! 用のないものは帰れ!」
「一目だけでいいから!」
立派な屋敷の門の前で、小さな女の子と門番が押し問答をしている。
女の子は、いてもたってもいられない様子で門番の横をすり抜けて屋敷の中に走って入ろうとした。そこを、
「やめろ! 子どもでも許さんぞ!」
門番が女の子の肩を掴んで、力任せに押し戻した。
「ひゃっ!」
女の子が地面に倒れる。その様子を見ていたアウィンはたまらず駆け寄った。
「大丈夫か!?」
転んで土に汚れた女の子を助け起こす。それから、キッと門番を睨みつけた。
「子ども相手に酷いではないか」
低い声で言うと門番は一瞬ひるんだ様子を見せたが、アウィンを睨み返した。
「なんだお前は? その子どもが勝手に屋敷に入ろうとしたのが悪いんだろうが」
「だって、お姉ちゃんが……」
「ぐだぐだうるさい! とにかく、とっととここから去れ!」
門番は手に持った槍を構える。
「うう……」
女の子は今にも泣きそうになって、地面に座り込んでしまう。
門番の殺気を見ると、このままここにいるのが得策とはアウィンには思えなかった。
「行こう」
「でも、お姉ちゃんが……」
「今は一旦引いた方がよさそうだ」
アウィンは少女の手を取る。
「そうだ。おとなしくしていればいいんだよ」
吐き捨てるように門番が言う。
「行こう」
アウィンは、まだ後ろ髪を引かれている様子の女の子の手を引いた。女の子はその場を離れたくなさそうにうずくまっていた。が、
「さっさと行け!」
門番に凄まれるとびくりと肩をふるわせて、観念したように立ち上がった。




