第3話 私はシア
翌朝。
仮拠点の洞穴から顔を出したノクターシア。
両耳をぴこぴこと動かし、簡単に周囲の警戒を済ませると、近くの水場へ移動し、顔と体を洗い流した。
そして準備を整えると、静かに人間たちがいる場所を目指す。
かつてガレスとノルトがいた場所。
名前は確か。
王都ブラーバだったはずだ。
森の中を歩いていくと、やがて整備された道に出る。
昔と同じなら、この道を歩いていけばたどり着くはずだ。
この道を歩くのも百年以上ぶりになるから、遠目に見たあの街がどれほど変わっているか分からない。
ノクターシアは街道ですれ違う人から見えないよう、髪色と瞳の色を隠すため、フードを深く被り直す。
やがて森を抜けると、街道や周辺の土地がかなり整備された街が見えてくる。
「……大きい」
その街は昔から大きかったが、今はさらに規模が増しているように見えた。
それに人の往来がかなり多い。
昔もそれなりにはあったと思うが、今のようにひっきりなしに門から人間が出入りすることはなかったはずだ。
自分が来た時より、かなり変わっている。
だけど。
周りを見渡せば、変わっていないものもあった。
あの街に入っていくのは、人間だけじゃない。
エルフ。
ドワーフ。
獣人。
ハーフリング。
そして竜人。
ぱっと見ただけでも、多種多様な種族が街へ入っていく。
特に竜人は警戒心が強く、滅多に人の街へ来ないと教えてもらった。
その竜人が少なからず訪れているなら、今もまだあの街は多種族を受け入れているはずだ。
ノクターシアはゆっくりと息を整えると、その街へ向かって歩き始めた。
人通りが増え、気配も多くなっていく。
人間の集団は避け、エルフやハーフリングたちに混じって門を潜り抜けた。
「……これが……街」
門を通り抜け、歩きながらきょろきょろと辺りを見渡す。
昔も何度か訪れたことはあったが、当時はこれほど賑わっていなかった。
建物の数も随分と増えている。
昔から王都だけあって多くの家や店が立ち並んでいたが、今ではさらに建物が増え、見覚えのない店や建物が通りの向こうまで続いていた。
百年以上も経てば、街もこれほど変わるものなのだろうか。
それに。
ノクターシアはある光景を見て、少しだけ驚いたように目を見開く。
エルフの女性。
それも複数のエルフの女性が、人間と同じような服を着て無防備に笑っている。
ノルトが言っていた通りだ。
「ほんとに笑ってる……」
ノルトのことを疑っていたわけじゃない。
けれど、これまでは信じきれていなかった。
だから実際にこの目で見て、初めて信じられたような気がした。
その様子をどこか安心した気持ちで見つめていると、どこからともなく香ばしい匂いが漂ってきた。
ノクターシアがそちらへ目を向けると、肉を串に刺して焼いている屋台があった。
フードに隠された金色の瞳を輝かせながら、その匂いに誘われるようにふらふらと近寄る。
お金についてはノルトやルシェラから聞いていて知っているし、ノルトから少しだけもらったこともある。
(やっと……食べられる!)
フードの奥で金色の瞳を輝かせ、お金を取り出そうとした。
しかし。
自身の財布の中身と、その値段を見てビシリと固まる。
この肉を買うのに銅貨8枚。
そして自分の財布の中身を、もう一度だけゆっくりと確認する。
あるのは数枚の銅貨。
ちゃんと数えると銅貨12枚。
買えないこともないが、こんな少量の肉だけでお腹を満たすのは無理だ。
そう思い、ノクターシアは肩を落とし、トボトボとその場を去った。
「……お金」
このままでは、せっかく避けてきた人里に降りてきた意味がない。
そう思い悩んでいた時、思い出した。
ガレスとノルトは冒険者という職に就いて、お金を稼いでいると言っていた。
そしてルシェラも、冒険者として少しだけ活動していたと。
「なら私も……!」
そう思い、ノクターシアはノルトたちから聞いた話を頼りに、冒険者たちがいる場所を探し始めた。
確か、出入りする者の多くが武器を携えていて、ガレスのような装備を身につけた人間が多く入っていく建物。
その情報を頼りにしばらく歩いていくと、それらしい人間の集団が歩いているのを見つけた。
鉄の鎧をガシャガシャと鳴らしながら、他の人間たちと笑いながら歩いている。
明らかに油断しきっていた。
(……あれなら簡単についていけそう)
ノクターシアはゆっくりと息を吐くと、人の波に溶け込むように彼らの後を追った。
やがてその集団は笑いながら、建物の中へ入っていく。
ノクターシアは少し離れた場所から、その建物を見上げた。
冒険者ギルド・王都ブラーバ支部。
「……ここ?」
少し不安そうにしながらも、ノクターシアはゆっくりと扉を開ける。
中へ入った瞬間、いくつもの音が耳へ飛び込んできた。
話し声。
笑い声。
食器がぶつかる音。
椅子を引く音。
依頼について話し合う者や、酒を飲みながら談笑する者。壁際では武器の手入れをしている者もいた。
森とはまるで違う。
あまりにも多くの人間が、同じ空間に存在している。
ノクターシアはその光景を見て、入口付近で一度足を止めた。
大勢の人間がいる。
一瞬、ノクターシアの頭の中に過去が蘇った。
檻の中に入れられた幼い頃の私。
そんな私を見て興奮し、狂ったように数字を叫ぶ人間たち。
私を騙し、檻に入れた人間が見せた狂気を孕んだ目。
目。
目。
目。
いまだに、あの時の恐怖は忘れられない。
ノクターシアは早鐘のように鳴る心臓を落ち着けながら、金色の瞳だけでゆっくりと室内を観察する。
こちらを気にしている者はいない。
大丈夫。
誰も私を気にしていない。
そう自分に言い聞かせても、胸の鼓動はなかなか収まらなかった。
外套の端を握りしめ、ゆっくりと息を吐く。
それからようやく、奥にある受付らしき場所へ目を向けた。
何人かがそこで職員と話をしていた。
おそらく、あそこだ。
ノクターシアは人にぶつからないよう進み、空いている受付の前で止まった。
「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか?」
受付の女性が声をかけてくる。
「……えっ……と……冒険者に、なりたい……」
「新規登録ですね。もしかして、こちらに来るのも初めてですか?」
女性はそう言いながら、慣れた様子で一枚の用紙を取り出した。
「うん。そう……だよ」
「やっぱり。では改めまして。冒険者ギルドで受付を担当しています、エレーナです。何かありましたら、私のほかにも受付担当の者がいますので、気軽に聞いてくださいね」
「うん……分かった」
「では、こちらで登録を行います。ギルドでは依頼の仲介や達成実績、信用情報などを管理しています。冒険者として登録しても、ギルドの職員になるわけではありませんので、ご安心ください」
ノクターシアは黙って聞く。
「ではまず、お名前をお願いします」
「名前……」
そこで言葉が止まった。
名前はある。
ノクターシア。
しかし、その名前をまだ人間に名乗りたくなかった。
少し考えたあと、ノクターシアは頷いた。
「……シア」
エレーナがペンを走らせる。
「シアさんですね」
「うん」
その瞬間から。
人間の街にいる自分は、ノクターシアではなくなった。
──シア。
ルシェラが呼んでいた名前。
それを使うのは気が引けたけど。
それでも今は、それでいい。
「年齢は?」
「年齢……」
シアは少し考えた。
本来の年齢を答えたら、エルフに近い種族だとばれる。
エルフがたくさん住んでいるから問題はないけど。
まだ、それすら知られたくなかった。
だけど、人間としては何歳に見えるんだろう。
「……十六?」
「十六歳ですか?」
「……十八?」
「どちらでしょう?」
「……どっちに見える?」
「え?」
エレーナがペンを止めた。
シアも困惑する。
自分の外見が人間の何歳相当なのか、正確には判断できない。
エレーナはしばらくシアを見つめたあと、小さく苦笑した。
「それでは……十八歳としておきましょうか」
「うん」
再びペンが動く。
「得意なことはありますか?」
「得意なこと……」
これは答えられる。
「探すことなら、得意かも」
「探索ですね。他には?」
「隠れる。見つける。追いかける」
「なるほど。斥候向きですね。戦闘経験は?」
シアは少し考えた。
そもそも人間の強さが分からない。
人間とちゃんと戦ったのはガレスだけだし、彼の強さを参考にするなら。
「正面から戦うのは、あまり得意じゃない」
「では、探索や索敵を中心とした依頼が適していそうですね」
「うん」
エレーナは記入を続けていく。
やがて、ふと思い出したように尋ねた。
「ちなみに、どうして冒険者になろうと思ったんですか?」
シアは首を傾げた。
理由は単純だ。
「お金がないと、ご飯がたくさん食べられないから」
「……はい?」
「今はそれだけ」
エレーナが目を瞬かせる。
シアは真剣な表情のままだった。
冗談のつもりはない。
「……なるほど」
エレーナはわずかに笑みを浮かべた。
「とても明確な理由ですね」
「?」
何が可笑しいのか分からない。
しかし否定的な反応ではないため、シアは気にしないことにした。
やがて登録手続きが完了する。
「これで登録完了です。さっそく依頼を確認されますか?」
「見る」
いくつかの依頼が提示された。
荷運び。
店の手伝い。
採取。
護衛。
そして、その中に一つ、シアの目を引くものがあった。
街の北側にある森林の調査。
森の入口から中層部までを調べ、地形の状態や異常、人の痕跡などを確認する。
深部へ入る必要はない。
期限は三日。
重大な異常を発見した場合は、その時点で帰還し報告する。
報酬は銀貨2枚。
シアは依頼書をじっと読む。
森。
探索。
痕跡の確認。
日常的に行っていることと、大きくは変わらない。
何より銀貨2枚。
「これにする」
「森林調査ですね」
「うん」
「危険を感じた場合は、無理に調査を続行しないでください。特に重大な異常を発見した場合、確認のために深入りする必要はありません。帰還して報告することも依頼の一部です」
「分かった」
エレーナから必要な説明を受け、シアは依頼書を受け取った。
そしてギルドの出口へ向かう。
扉を開けると、街の空気がフードをわずかに揺らした。
冒険者になった。
実感はまだ薄い。
避けてきた人間社会。
それでも。
これで働けば、お金が得られる。
お金があれば──
そう考えていると、お腹からクゥ〜……と寂しそうな音が鳴った。
「……頑張ろう」
小さく呟く。
シアは北へ向かって歩き出した。
これが彼女にとって、初めての依頼だった。
多種族主義:人だけではなくあらゆる種族で手を取り合い、生きていこうという信条をもつ。
至上主義:自分の種族こそがこの世界で最も価値が高いを信条をもつ。
お金
銅貨、銀貨、金貨、白金貨の4種類
基本百枚ごとに上がる。
例:100銅貨=1銀貨など




