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星降る教室で、きみと無敵になる――「大丈夫」と笑っていた私を、きみだけが見抜いてくれた  作者: 明石竜


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第四話 ふたりなら、動かせる

 教室は、しんと静まり返っていた。

 ひまりが「お願い」と言ったのは初めてだった。いつもは笑って引き受ける側だった。頼む側に立ったことが、ほとんどなかった。

 だから誰も、すぐには返事ができなかった。五秒か、十秒か。ひまりには長く感じた。

 口を開いたのは、田辺くんだった。

「そのラフ、見せてもらっていい?」

 しずくが紙を差し出した。田辺くんが受け取って、隣の高橋さんと覗き込んだ。

「これ、黒板全部に描くの?」

田辺くんが聞いた。

「入口から見たときに、奥まで星が続いて見えるように」

 しずくが短く答えた。声が小さかった。でも、ひまりには聞こえた。

「奥まで続いて見えるように描くんだって」

 ひまりが繰り返した。しずくの言葉を、少し大きな声で。

 田辺くんが紙を持ったまま、黒板を見た。

それから紙を見た。

「すごくない、これ」

 高橋さんが言った。

「めちゃくちゃいい。パネルより全然いい」

 教室の空気が、わずかに変わった。


 しずくがラフ案を前に出て説明しようとしたとき、言葉が詰まった。

 全体の構図は分かっている。どこに何を描くかも決まっている。でも、大勢の前でそれを話す言葉が、うまく出てこなかった。

 ひまりはそれに気づいた。

「ここに星の飾りを吊るすと、入口から見たとき奥まで続いて見えるんだって」

 しずくのラフを指さしながら言った。しずくがひまりを一瞬見た。続けていい、という意味で、ひまりは続けた。

「メニュー表は、見やすさを重視して考えてくれてる。値段より先に商品名が目に入るように。黒板アートと合わせて、全体を手描き風で統一するつもり」

 クラスメイトたちが、しずくとひまりを交互に見た。

「机の配置は、入口側を少し空けて、案内の流れを作る。混雑したときに詰まらないように」

 しずくが小さく頷いた。ひまりの言葉が、自分の考えていたことと合っていると確認するように。

 ひまりは続けた。今度はクラスメイトの顔を見ながら。

「木村さん、字が綺麗だったよね。メニュー表の文字、お願いできる?」

 木村さんが少し驚いた顔をした。でも、すぐに「うん、やる」と言った。

「田辺くんは折り紙得意って言ってたから、テーブルの星飾りを担当してほしい。高橋さんは声が通るから、当日の呼び込みを頼めたら助かる」

 一人ずつ名前を呼ぶたびに、返事が返ってきた。断る声がなかった。

 ひまりは気づいていた。みんなが気まずそうにしていた。今まで任せきりにしていたことを、それぞれが分かっていた。名前を呼ばれると、少しほっとした顔になった。何をすればいいか、分かったから。


 準備が動き始めた。

 しずくは黒板の前に立って、下書きを始めた。白いチョークで、薄く線を引いていく。全体の構図を先に取って、それから細部を描き込む順番だった。

 ひまりは作業班を回った。折り紙班の進み具合を確認して、メニュー表の文字を木村さんと一緒に確認して、買い出しリストを佐藤さんに渡した。

 黒板のほうを見ると、しずくの手が動いていた。

 星の輪郭が現れていた。まだ下書きだけど、広がりが出始めていた。教室の奥から手前に向かって、星が流れるように配置されている。入口に立って見たとき、吸い込まれるような構図になるはずだった。

黒板だけを見て描いているのではなかった。天井の飾り、机の並び、入口からの視線まで、全部をひとつの景色に入れているのだと分かった。

 田辺くんが折り紙の星を持って黒板のそばに来た。飾りをどこに吊るすか確認しようとして、しずくに声をかけた。しずくは答えたけど、短すぎて田辺くんが首を傾げた。

 ひまりが近づいた。

「この列の上あたりに吊るすと、星が連なって見えるんだって。高さはこのくらいで」

「あー、なるほど。じゃあ長さ変えながら吊るしたら奥行き出るかな」

「それいいかも」

 ひまりがしずくを見ると、しずくは小さく頷いた。

 こういうやり取りが、何度かあった。しずくが考えていることを、ひまりが言葉にする。ひまりが見えていない全体像を、しずくが補う。

 どちらかだけでは、半分だった。


 昼過ぎ、黒板アートが半分ほど進んだころ、クラスメイトの一人が言った。

 悪意のある声ではなかった。ただの感想として、ぽろっと出た言葉だった。

「黒瀬さんって、こういうの本気でやるタイプなんだ。ちょっと意外」

 しずくの手が止まった。

 ひまりには分かった。しずくの背中が、ほんの少し固まった。

 ひまりはその背中を見た瞬間、中学のときのしずくの話を思い出した。

 ここで笑って流したら、しずくはまた本気をしまってしまうかもしれない。

 それは嫌だった。

 しずくが出してくれた本気を、今度は自分が守る番だと思った。

 以前のひまりなら、笑って流した。場の空気が固まらないように、別の話題に持っていった。誰かが傷ついていても、全体の雰囲気を優先した。

 でも今日は、違う言葉が先に出た。

「本気でやってくれてるから、助かってるんだよ」

 教室が少し静かになった。 

「ここまでのもの、本気じゃないと作れない。私には描けない」

 木村さんが「ほんとにすごい」と続けた。田辺くんも「見やすい構図だよな」と言った。何人かの声が重なった。

 しずくは黙っていた。振り返らなかった。

 でも、しばらくして、もう一度チョークを持った。

 手が動き始めた。さっきより少し、線が力強かった。


 夕方、シフト表の最終調整をしているとき、ひまりは空欄を見つけた。

 当日の昼の時間帯、案内係が一人足りない。ひまりは反射的に自分の名前を書こうとした。

「また同じ」

 しずくの声がした。

 隣を見ると、しずくが黒板から少し離れて、こちらを見ていた。

「相坂さんが全部埋めたら、また同じになる」

「でも、足りないし」

「誰かに頼めばいい」

「断られたら」

「断られてから考えればいい」

 ひまりは苦笑した。しずくの言葉はいつも、余分なものが削ぎ落とされている。怖い気持ちを否定しないけど、だからといって立ち止まる理由にもしない。

 ひまりは林さんのところへ行った。林さんは部活があって遅れるけど、昼の時間帯なら動ける、と以前言っていた。

「昼の案内、お願いできる? 一時間でいいから」

 林さんは少し考えた。

「うん、それなら大丈夫」

 あっさりしていた。

 ひまりは拍子抜けして、それから少し笑えた。怖かったのに、なんでもなかった。頼んだら、引き受けてくれた。

 信じていなかったのはクラスメイトではなかった、とひまりは思った。頼んでも嫌われない自分のことを、信じていなかった。


 文化祭の前日、放課後。

 黒板アートが完成した。

 入口に立つひまりの茶色い髪に、夕方の光が当たっていた。

 黒板の前にいるしずくの黒髪は、星空の絵によく似合っていた。

 同じ制服を着ているのに、二人は全然違う。

 でも、その違いがあるから、ここまで来られた気がした。


 教室に残っていた何人かが、黒板の前に集まった。誰も最初の一言を言わなかった。それは昨日の朝と同じだったけど、意味が違った。

 言葉が出なかったのは、見ていたからだった。

 星が広がっていた。入口から見ると、奥に向かって星の流れがある。大きい星と小さい星が散らばって、黒板の端まで続いている。天井に吊るした折り紙の星が、光を受けてわずかに揺れている。

 ひまりは入口から見た。

 本当に、星の中に立っているような気がした。

 しばらくして、クラスメイトたちが口々に言い始めた。ひまりはその声を聞きながら、黒板の左下に目をやった。

 星の群れの中に、小さな二つの星が並んでいた。

 他より少し丁寧に描かれた、寄り添うような二つの星。

 しずくは何も言わなかった。

 ひまりも、聞かなかった。

 聞かなくても、分かった。


 そのとき、教室のドアが開いた。

 担任の田中先生が顔を出した。黒板を見て、少し目を細めた。それから、表情を引き締めた。

「明日、お客さんが通る道なんだけど、このままだと危ないかもしれない」

 先生が指摘したのは、入口と出口が近すぎる問題だった。混雑したとき、入ってくる人と出ていく人がぶつかる。昼の一番混む時には、廊下まで人が溢れる可能性がある。

「案内の立て方と、誘導の仕方を考えておいたほうがいい」

 言い残して、先生は廊下に戻った。

 教室が静かになった。

 ひまりは反射的に「大丈夫です」と言いかけた。

 いつもの癖だった。誰かが不安そうな顔をすると、自分が先に笑って、引き受けて、なんとかする。そうすれば場は丸く収まる。

 でも、喉元まで出かかった言葉を、ひまりは飲み込んだ。

 ひとりで大丈夫にする必要は、もうない。

 隣を見ると、しずくが黒板と入口を交互に見ていた。もう、何かを考えている顔だった。

 ひまりは小さく息を吐いた。

「明日の朝、みんなで確認しよう」

 そう言うと、しずくが短く頷いた。

 文化祭まで、あと一晩だった。


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