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星降る教室で、きみと無敵になる――「大丈夫」と笑っていた私を、きみだけが見抜いてくれた  作者: 明石竜


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最終話 放課後、きみと無敵になる

 文化祭当日の朝、ひまりはいつもより三十分早く学校に着いた。

 教室に入ると、しずくがすでにいた。黒板の前に立って、星のいくつかをチョークで描き直している。昨日より細い線で、丁寧に。

「おはよう」 

 しずくが振り返った。

「おはよう」

 それだけだった。でも、ひまりは嬉しく思った。

 二人で人の流れの最終確認をした。入口を左側、出口を右側に分けて、案内カードを床に貼る。廊下に誘導係を一人立てる。席の配置を少し変えて、人の流れに余裕を作る。

 しずくが黒板の端に、小さな矢印と「→席へ」「←出口」を書き加えた。星の絵の邪魔にならない位置に、迷わない太さで。

 ひまりはそれを見て、今日はうまくいく気がした。根拠のない確信だったけど、根拠がなくても確かだった。


 開場は十時だった。

 最初の三十分は、同じクラスの友人や知り合いが来る時間帯だった。黒板を見て驚く顔、スマホで写真を撮る姿、「すごい」という声。ひまりは受付で来場者を迎え、席に案内した。

 しずくは教室の奥にいた。黒板アートの補修と、メニュー表の微調整を担当している。表に出ない場所で、全体を整えていた。

 ひまりとしずくは、教室の端と端にいた。でも、たまに目が合った。混んできたとき、ひまりがしずくを見ると、しずくはすでにひまりを見ていた。今はまだ大丈夫、という意味でひまりが小さく頷くと、しずくも頷いた。

 言葉がなくても、分かった。

 十一時を過ぎると、他のクラスからも人が来始めた。校内の掲示板に貼られた案内を見て来た生徒、友人に連れられてきた保護者。黒板アートの前で写真を撮る人が増えた。

 列ができた。

 ひまりはシフトを確認して、高橋さんに廊下の呼び込みを頼んだ。佐藤さんに会計の補助を頼んだ。朝に決めた道順どおりに、人が流れている。練習していたわけではないのに、クラスがそれぞれの持ち場で動いていた。

 ひまりは一人で全部抱えていなかった。

 それが、思ったより気持ちよかった。

 

 いちばん混んだのは、十二時半ごろに来た。

 廊下まで人が並んだ。教室の中も席が埋まって、入口付近に人が溜まり始めた。先生が様子を見に来て、「混みすぎたら一時停止も考えて」と伝えた。

 そのときだった。

 廊下の壁際に立てかけていたメイン案内ボードが、傾いた。通り過ぎた人の鞄が当たったのか、少しずつ傾いて、廊下の真ん中に倒れた。

 どこに進めばいいか分からなくなった来場者が、入口の前で立ち止まった。後ろから来た人が詰まった。廊下が止まった。

「先生、一時中断しますか」

 入口の近くにいたクラスメイトの声が聞こえた。

 ひまりは一瞬、昔の自分に戻りかけた。私が何とかしなきゃ、と体が動きかけた。全部引き受けて、一人で走り回ろうとした。

 でも、しずくを見た。

 しずくは教室の奥から、ひまりを見ていた。

 ひまりは大きく息を吸った。

「高橋さん、廊下に出て。倒れたボードの横に立って、こっちに来てって声かけてほしい」

 高橋さんが動いた。大きな声が廊下に響いた。

「木村さん、臨時の案内カード、今すぐ書いてもらえる? 入口と出口だけでいい」

 木村さんがペンを持った。

「佐藤さん、列の整理お願い。三人ずつ通して」

 佐藤さんが入口に向かった。

 しずくはひまりが指示を出し終わる前に、黒板の右端に向かっていた。チョークを手に取って、空いているスペースに線を引き始めた。

 星座の線のように、細くて迷わない線。入口から始まって、注文カウンターを通って、席へ向かって、出口へ抜ける。ばらばらだった人の流れが、その線でひとつの星座になるようだった。矢印ではなく、流れそのものを一本の線で描いた。横に小さな文字で「入口」「注文」「席」「出口」とある。 

 三十秒もかからなかった。

 ひまりはその案内図を見た。一目で分かった。来場者に向き直った。

「すみません、黒板の星の線に沿って進んでください。入口はこちら、注文はカウンターで、席は奥です。出口は右側です」

 声を通した。

 立ち止まっていた人たちが動き始めた。高橋さんの声と、佐藤さんの整理と、木村さんの手書きカードと、しずくの案内図と、ひまりの声が合わさって、詰まっていた流れが少しずつほぐれた。

 二分もしないうちに、廊下が動き始めた。

 ひまりは、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 一人で走り回っていたら、きっと間に合わなかった。

 しずくが見つけて、ひまりが声にする。そうやって初めて、流れが動いた。


 先生が「大丈夫そうだね」と言って、その場を離れた。

 ひまりは受付に戻りながら、息を吐いた。

 一人でやろうとしなかった。

 しずくを探した。

 しずくはいた。

 それだけで、なんとかなった。

 しずくは黒板の前に戻っていた。臨時に描いた案内図を少し描き直して、星のアートと馴染むように整えている。何事もなかったように、チョークを動かしていた。

 ひまりは「ありがとう」と言おうとして、言わなかった。

 言わなくても伝わっている気がしたし、後で言うほうが、今の気持ちに合っていた。


 閉場は三時だった。

 最後の来場者を送り出して、ひまりは入口に立ったまま教室を見た。

 星空の教室が、そこにあった。天井から吊るした折り紙の星が揺れている。テーブルの上の小物が、午後の光を受けている。黒板の星は、チョークの白と銀が混ざって、本物の夜空みたいに奥行きがあった。

 クラスメイトたちが片付けを始めた。椅子を元の位置に戻して、飾りを外して、机の上を拭く。

 その中でしずくの絵を褒める声があった。

「黒瀬さんの絵、今日一番の話題だったよ」

「写真撮った人めちゃくちゃいた」

「あの案内図も、すごく分かりやすかった」

 しずくは戸惑っていた。何と答えればいいか分からないように、小さく「そう」と言って、視線をずらした。

 ひまりは隣に来た。

「ね、しずくちゃんの絵、最強でしょ」

 しずくがひまりを見た。

 少し間があった。しずくの表情が、ほんのわずか、柔らかくなった。

「相坂さんの巻き込み力も、まあまあ最強だった」

 ひまりは笑った。

 思い切り笑えた。作った笑顔ではなく、こぼれるような笑いだった。

「まあまあって何。ちゃんと最強って言ってよ」

「まあまあ最強」

「変わらないじゃん」

 しずくが、笑った。

 小さな笑いだったけど、確かに笑った。ひまりが見てきたしずくの顔の中で、一番柔らかい顔だった。


 片付けが終わって、クラスメイトたちが帰っていった。

 最後に残ったのは、ひまりとしずくだった。

 二人は並んで、黒板の前に立った。

 消す前に、もう一度見た。

 星空はまだそこにあった。入口から奥に向かって流れる星の群れ。左下の隅に、寄り添う二つの星。しずくが臨時に描いた案内図の線も、星座の一部みたいに馴染んでいた。

 ひまりは言った。

「しずくちゃんがいてくれたから、無敵だった」

 しずくは黒板を見たまま、少し照れたように視線をずらした。

「ひまりがいなかったら、私はたぶん、描かなかった」

 ひまりは黒板を見た。

 この星空は、しずくが描いた。でも、しずくだけでは生まれなかった。ひまりが声をかけなければ、しずくは最後まで教室の隅にいた。しずくがいなければ、ひまりは一人で潰れていた。

 どちらかだけでは、半分だった。

 二人で、はじめて全部だった。

 しずくが黒板消しを手に取った。

「消す?」

「うん」

 ひまりも黒板消しを取った。

 二人で、端から消し始めた。

 星が、少しずつ消えていった。チョークの粉が空気に舞って、夕方の光の中で白く光った。

 左下の二つの星が、最後まで残った。

 しずくがそっと消した。


 放課後の教室に、二人だけが残った。

 黒板は元の緑色に戻っていた。星も、案内図も、二つの星も、もうない。

 ひまりはそれを見て、不思議と寂しくなかった。

 今日のことは消えない。しずくと並んで走ったことも、名前で呼んだことも、二人でなければ越えられなかったトラブルも。黒板の星より、ずっと消えない場所に刻まれた。

 ひまりは言った。

「ありがとう、しずくちゃん」

 さっき言わなかった言葉を、今言った。

 しずくは少し間を置いた。

「こちらこそ」

 ぶっきらぼうだったけど、声が柔らかかった。

 ひまりは笑った。

 友達、という言葉だけでは少し足りない。ライバル、というほど遠くもない。ただ、隣にいると少しだけ強くなれる。ひとりでは無理なことも、ふたりならできる気がする。

 たぶん、そういう相手のことを、バディと呼ぶのだと思う。

 放課後の教室で、二人は並んで笑った。黒板の星は、もう消えた。でも、きみと無敵になった今日のことは、きっと消えない。

(おしまい)


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