第九章 大阪の友
大阪に転勤して間もないころ、街の空気にはまだ馴染めなかった。
仕事では新しい環境に戸惑い、妻もまた慣れぬ土地で心細さを抱えていた。
けれど寅次郎だけは、どんな場所でも変わらず、朝夕の散歩を楽しみにしていた。
その日も、まだ暑さの残る夕暮れ時。
川沿いの公園には、いくつもの柴犬が輪をつくっていた。
その中心に立つ一人の男性がいた。
角刈りに日焼けした肌、太い腕に絡むリードの先には、胡麻色の雌柴――モモちゃん。
「あれ、もしかして……寅ちゃんちゃうか?」
男が声をかけてきた。
妻は驚いて振り返る。
「えっ、どうしてご存じで?」
男は少し照れたように笑った。
「ブログ、ずっと見てたんや。こっち来るって聞いてたで」
その瞬間、妻の目に光るものが浮かんだ。
まだ誰も知り合いのいないこの地で、
すでに寅次郎のことを待っていてくれた人がいた。
「今度、柴友会あるんや。うちは幹事やっとる。よかったら来てな」
男はそう言って、スマートフォンの画面を見せてくれた。
そこには〈第17回 柴友会 in 城北公園〉の手書きポスター。
モモちゃんが笑顔で写っていた。
「モモや。寅ちゃんと仲良うできそうやな」
モモちゃんは落ち着いた目で寅次郎を見つめ、そっと鼻先を寄せた。
その週末、寅次郎は初めて柴友会に参加した。
モモちゃん、コタロウ、アズキ、ハル――
四方から寄ってくる柴たちの匂いを確かめながら、寅次郎は少しずつ輪の中へ入っていった。
「ほな、撮るでー!」
角刈り男子の声が公園に響く。
カメラの前で柴犬たちが整列する。
寅次郎は中央で背筋を伸ばし、まっすぐレンズを見つめていた。
その顔はどこか誇らしげで、
まるで――ようやく自分の居場所を見つけたかのようだった。
以来、週末の公園は、寅次郎にとってかけがえのない時間となった。
モモちゃんの飼い主――角刈り男子は、時折こんな言葉をくれた。
「寅ちゃん、ええ顔してるわ。ええ仲間できたな」
妻は微笑みながら頷いた。
あのとき寅次郎をこの街に連れてきたのは、自分たちではなく、
きっと見えない糸で結ばれた“縁”だったのかもしれない




