第三章 最初の夜
その夜、家の中は妙に静かだった。
私達は夕食を済ませて早めに休んだ。
それぞれが新しい家族の到来に胸を高鳴らせながらも、
どこか落ち着かない気持ちを抱えていた。
居間の隅のクレートの中で、
寅次郎はうずくまっていた。
小さな目が、
時おりカーテンの向こうの闇を見つめる。
まだこの家の匂いも、人の気配も、
すべてが彼にとって未知の世界だった。
夜更け、妻が寝室へ入ってから、
私はしばらくリビングに残っていた。
テレビも消し、明かりを落とすと、
部屋の中に冷蔵庫の音と、
寅次郎の小さな鼻息だけが響いた。
しばらくして、
「キュン」と小さな声がした。
最初は寝言かと思った。
けれど、その声は次第に大きくなり、
やがて「ウォーン……」と長く伸びた。
遠吠えだった。
初めて聞く寅次郎の声。
それは小さくても確かに、
母犬を呼ぶ声、仲間を探す声だった。
私は床に腰を下ろし、
クレートの前で小さな声をかけた。
「寅、大丈夫や。ここが、これからお前の家や。」
返事はなかった。
けれど、
その小さな体がわずかに動き、
やがて鼻先だけをこちらに向けた。
私はそっと指先を差し出すと、
寅次郎の鼻がふれて、
ほんの一瞬、ぬくもりが伝わった。
その夜、私はソファで眠った。
明け方近く、窓の外が白みはじめる頃、
クレートの中の寅次郎は静かになっていた。
その寝息が、
家の中の空気を変えていた。
朝になって妻が起きてきたとき、
私はまだその横でうたた寝していた。
妻はそっと笑い、
「仲良くやっていけそうだね」と言った。
私はうなずいた。
あの小さな鳴き声と鼻先のぬくもりが、
これから始まる日々のすべてを象徴しているように思えた。




