第二十四章 陰と影
陰と影
秋が深まりはじめていた。
朝の空気はひんやりとして、
金木犀の香りが風に混じっていた。
私たちは高度医療センターに行く準備をしていた。
かかりつけの先生に紹介状を頼むと、
「レントゲンのデータもお渡ししますね」と言われた。
小さな透明の封筒に収められたCDROM。
その中に、寅次郎の体の奥が記録されていた。
家に戻ると、
妻は何も言わずにノートパソコンを開いた。
CDROMを差し込み、
ただ静かに画面を見つめていた。
白と灰の世界。
骨盤、肋骨、背骨。
その中に、
ひとつだけ濃い影があった。何これ…。
妻は息を止めたまま、
マウスを動かした。
影の位置を確かめ、
拡大して、
また戻して。
無言のまま、
ブラウザを開いた。
検索欄に文字を打ち込む。
“犬 骨盤 影”
“犬 レントゲン 黒い部分”
キーを叩く音だけが部屋に響いた。
私は背後からその画面を見ていた。
表示された言葉。
目で追うたびに、
体温が下がるのを感じた。
妻は小さくつぶやいた。
なんでもネットでわかっちゃうんだ・・・・。
その声は震えていた。
責めるでも、悔やむでもない。
ただ、静かな諦めの響きを帯びていた。
私は「まさか」としか言えず、
寅次郎の方を見た。
彼はいつもの場所で横になり、
こちらをまっすぐ見つめていた。
その瞳の奥には、
深い光があった。
「寅次郎……お前、全部わかってるのか?」
私は思わず声に出した。
寅次郎は首をわずかに傾け、
何も言わなかった。
けれどその静けさが、
何より雄弁だった。
「なんか言ってくれよ……。」
その言葉は、
寅次郎の小さな吐息にかき消された。
尻尾が一度だけ、
ゆっくりと動いた。
――影は、レントゲンの中に。
――陰は、私たちの心の中に。
どちらも、光がなければ生まれない。
けれど、
光がある限り、逃れることもできない。
高度医療センターで、
その正体を知るしかない。
たとえそれが、
知りたくなかった答えでも。
外では風が冷たくなり、
街路樹の葉が静かに揺れていた。
寅次郎は、
その音に耳を傾けるように、
穏やかな目を閉じた。




