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第二十一章 ひまわり

寅次郎は、ひまわりのような犬だった。

陽の光を全身で受け止め、

どんな時もまっすぐに前を向いていた。

その姿は、まるで夏の象徴そのものだった。

毎年の恒例行事、北杜のひまわり畑。

何十万本もの花が同じ方向を向き、

青い空を背に、ゆっくりと風に揺れている。

その中を歩く赤柴の寅次郎。

太陽を反射する毛並みが、

黄金色にきらめいて見えた。

梅雨が明けた朝、

私たちはいつものように車に乗り込んだ。

運転席には妻。

助手席の私は、

後部座席で外を眺める寅次郎を振り返る。

「寅、行こう。ひまわりだよ。」

妻の声に反応して、

寅次郎は少し首をかしげ、鼻を鳴らした。

その仕草に、何の変化もないと思った。

――この時までは。

北杜の丘に着くと、

風の中で無数の花が揺れていた。

黄色と緑と青。

それだけで夏が満ちていた。

妻はリードを手に、

「写真、撮ろうか」と笑った。

寅次郎はゆっくりと歩き出す。

私はその後ろ姿を眺めていた。

だが、妻の表情が一瞬だけ曇ったのを見た。

「どうした?」

と聞くと、

「ううん、なんでもない。」

妻は笑いながら答えた。

その笑顔の奥に、

小さな不安の影が見えた気がした。

ひまわりの丘の真ん中で、

妻は寅次郎の頭を撫でた。

その手つきは、確かめるようでもあり、

何かを心に留めているようでもあった。

風が吹き、

一面のひまわりが波のように揺れる。

その中で、寅次郎の赤い毛が陽を弾いた。

その美しさが、

なぜか少し儚く感じられた。

帰り道。

妻がハンドルを握りながら、

窓の外のひまわり畑を見てつぶやいた。

「来年も、また来ようね。」

私は助手席でうなずいた。

何の疑いもなく。

けれど今思えば、

あのとき妻は、

すでに何かに気づいていたのかもしれない。

バックミラーの中で、

寅次郎は静かに眠っていた。

その寝息が、

夏の風に溶けていった。

そして、

私はその穏やかさの中に、

ほんの少しの不安を感じていたことを――

ずっとあとになって思い出した。


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