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第十七章 ■紫陽花と寅次郎 ― 静かなテラスで

季節が巡り、紫陽花が咲くころになった。

多摩川台公園の斜面は、

紫と青の花でいっぱいだった。

人影はまばらで、

風が通り抜けるたびに花々がゆっくりと揺れた。


ソーシャルディスタンスなど関係ない寅次郎は、

いつものように私の足元にぴたりと寄り添い、

鼻をくんくんと動かして花の匂いを確かめていた。


マスク越しに吸う初夏の空気は、

どこか懐かしく、

そして少しだけ自由の匂いがした。


その帰り道、

田園調布倶楽部のテラスに立ち寄った。

午後の光が柔らかく差し込み、

グラスの中の泡がゆっくりと弾けていた。


外の空気の中で食べるハンバーガーと、

よく冷えたビール。

テーブルの下では、

寅次郎が穏やかな目で通りを見つめていた。


静かな午後。

花の香りとビールの苦味と、

寅次郎のぬくもりが一緒にあった。


世界はまだ不安の只中にあったけれど、

その時間だけは、

確かに“日常”が戻ってきているように感じた。


それからこの紫陽花の季節は、

毎年の恒例行事になった。

多摩川台公園を歩き、

田園調布倶楽部のテラスでハンバーガーとビール。

そして、足元にはいつも寅次郎がいた。


気づけば、

それは五年続く小さな儀式になっていた。

花の色も風の匂いも、

年によって少しずつ違うのに、

寅次郎の佇まいだけはいつも同じだった。


紫陽花が咲くたびに、

時の流れの音が少しだけ大きく聞こえる気がする。


いつまでこの季節を一緒に歩けるだろう――

そんなことを思うことがある。


でも、いまはまだ、

陽射しの下で寅次郎の毛並みが光っている。

それだけで十分だった。


六月の風が吹き抜け、

紫陽花の花が静かに揺れた。

その色の奥に、

言葉にならない“永遠”がひっそりと息づいている気がした。 

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