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第十六章 誰もいない街 ― 在宅の春

実家に戻った春、

街はどこか異様に静かだった。


コロナウイルスの感染が拡大し、

政府は緊急事態宣言を発令した。

人々の足音が消え、

街路樹のざわめきだけが響く。

いつもなら人で溢れる駅前も、

まるで映画のワンシーンのように誰もいなかった。


あの頃、

テレビから流れたニュースが今も忘れられない。

志村けんさんが亡くなったという報せだった。


その知らせを聞いたのは、

私が名古屋から戻る直前のことだった。

子どものころから見てきた人が、

あまりに突然にいなくなった。

それは、

時代そのものが静かにひとつ閉じた瞬間のように思えた。

このあと、

自分が寅次郎とともにその人の故郷・東村山を訪れることになるとは、

そのときは知る由もなかった。


本社は、私たちが大阪、名古屋へ転勤しているあいだに

有楽町から上野へ移転していた。

久しぶりに訪れたその街は、

どこか大阪のみなみ界隈の佇まいを思わせた。

華やかさの奥に、

人情と古さが入り混じる独特の温度がある。


だが、その街にも人の姿はほとんどなかった。

感染予防措置のため、

出社は制限され、

新しいメンバーと顔を合わせるまで半年を要した。


慣れない在宅ワークが始まった。

パソコンの前に座っても、

画面の向こうには誰の気配もない。

ただ時間だけが静かに流れていく。


仕事は本社の新しい業務ではなく、

名古屋の残務整理を担当することになった。

戻ってきたのに、

まだ名古屋に心が残っているような、

そんな宙ぶらりんな感覚だった。


けれど、その空白の時間は、

寅次郎と向き合う日々でもあった。


会議のない午後、

私は床に座り込み、

寅次郎と戯れた。

ボールを転がすと、

器用に鼻先で押し返してくる。

「今は僕の番だよ」と言わんばかりに。


外の世界が沈黙しても、

この小さなリビングの中だけは、

いつも通りの温もりがあった。


パソコンの画面を閉じるたび、

私は寅次郎の頭を撫でた。

「今日もがんばったな、寅。」


その感触が、

どんな会議の言葉よりも確かな“日常”だった

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