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第十三章 名古屋の輪 ― 琥珀とアキナとトシヒコ

名古屋への転勤が決まったとき、

最初に電話をくれたのはアキナだった。


「それなら、私に任せて。

 いい物件、いくつか探しておくから。」


その言葉どおり、

彼女は休みの日にいくつもの物件を下見してくれた。

写真を送りながら、

「ここは日当たりがいいけれど駐車場が少し狭いね」

「ここは静かだけど、スーパーが遠いかな」

そんな調子で、まるで家族のように気にかけてくれた。


最終的に、

私たちは自分たちで見つけた物件に落ち着くことになった。

琥珀の家は少し離れていたけれど、

心の距離はむしろ近くなった気がした。


寅次郎は、引っ越してすぐに新しい家を受け入れた。

いつも通りの場所に布団を敷き、

そこに座ると、あっという間にその場が“自分の世界”になった。

その順応の早さに、私たちは少し驚かされた。


思い返せば、アキナとトシヒコ、そして琥珀との出会いは、

まだ大阪にいた頃のことだった。


2015年初め、名古屋で開かれたペット博。

会場の熱気と人混みの中で、

突然背後から声をかけられた。


「その子、豆柴ちゃん? いい顔してるね!」


振り向くと、

明るい笑顔の女性がいた。

それがアキナだった。

少し年上で、柔らかな雰囲気を持ち、

初対面とは思えないほど自然に話しかけてくれた。


その隣にいたのが、

穏やかな表情の男性――トシヒコ。

そして足元には、

落ち着いた佇まいの赤柴・琥珀がいた。


「うちの子、琥珀。寅くんとは気が合いそうだね。」


寅次郎が近づいても琥珀は動じず、

ただ静かに鼻を寄せて挨拶をした。

その光景に、どこか安心した。


ほんの短い時間だったが、

あの出会いが、後に名古屋で再びつながるとは思ってもみなかった。


名古屋での暮らしが始まった。

大阪を離れたあとの数週間は、

どこか落ち着かない日々が続いたが、

やがてこの街にも独特の穏やかさがあることに気づいた。


そして、その街には――アキナとトシヒコ、琥珀の家族がいた。


引っ越しの荷物が片づいた頃、アキナから電話がかかってきた。


「荷物、片づいた? ごはんでもどう?」


その誘いに迷いはなかった。

久しぶりに会うアキナとトシヒコ、

そして琥珀の姿を思い浮かべるだけで、

心の奥がほっと温かくなった。


寅次郎も一緒にトシヒコの家へ向かった。

玄関を開けると、琥珀がしっぽを振って出迎えてくれた。

その様子を見たアキナが笑った。

「ほら、もう覚えてる。」


寅次郎もすぐに落ち着いて、リビングの真ん中に座り込んだ。

その姿を見て、まるで“ここも自分の家だ”と言っているように思えた。


ビールを開ける音が響き、

笑い声が重なった。


トシヒコは年下だが、

どこか落ち着いていて、いつも聞き役に回る。

アキナは明るくて、細やかな気遣いを忘れない人だ。


犬たちは足元で静かに過ごし、

人間たちはグラスを傾けながら語り合った。

まるで犬と人が一緒に囲む宴のようだった。


帰り際、

アキナが笑顔で言った。

「これからも、無理せずに。

 寅ちゃんと一緒に、また遊びにおいでね。」


寅次郎は玄関で振り返り、

琥珀の方を見た。

しばらく見つめ合ったあと、

そっと鼻をくっつけた。


まるで「また会おう」と言っているようだった。


翌朝、

新しい散歩道を歩き始めた寅次郎は、わずか数分でうんちと放尿を済ませた。

それはまるで、

「この土地も僕の場所になったよ」と言っているようだった。

私たちは顔を見合わせ、

小さく笑った。


「寅は、ほんとにお利口だね。」


その朝の静けさと、

新しい街の空気のやわらかさを、

今でもはっきりと覚えている。


あの朝こそが、

名古屋での本当の“第一歩”だったのだと思う。


――人の縁も、犬の縁も、

  すべては同じ線の上にある。


その線を歩いているのが、

寅次郎なのだと感じた。

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