第十二章 めぐりあい ― 大阪の空から名古屋へ
めぐりあい ― 大阪の空から名古屋へ
気づけば、大阪での暮らしも三年が経っていた。
最初は誰も知らず、どこにも居場所がなかった街が、
いつの間にか私たちの“ふるさと”のひとつになっていた。
寅次郎を通して出会った人たちがいた。
公園で、オフ会で、散歩道で――
出会いは偶然のようでいて、
どこか必然のようにも思えた。
気がつけば、
毎日のように名前を呼び合う仲間ができていた。
その中には、もう虹の橋を渡ってしまった子もいる。
写真の中で笑っているその姿は、
今も心の中で息づいている。
もっとも、すべてが穏やかだったわけではない。
思い返せば、あの大阪の家には“事件”もあった。
ある日のこと。
仕事が立て込み、帰宅が遅くなった夜、
玄関を開けた瞬間、異変に気づいた。
壁紙がめくれ、木の下地が見えている。
ソファの脚は齧られ、
クッションの中身が雪のように舞っていた。
「……おい、寅。」
呼ぶと、
テーブルの下から顔を出した寅次郎が、
少しだけ耳を下げ、
それでもどこか誇らしげな顔をしていた。
妻が呆れながらも笑った。
「やったね、大工さん。」
怒る気にはなれなかった。
その姿が、むしろ愛おしかった。
この家が本当に寅次郎の“縄張り”になった証拠のように思えた。
引っ越しの日、
家具が運び出されてがらんどうになったリビング。
ふと見ると、壁の一角にあの日の“傷跡”が残っていた。
大家さんに報告すると、
意外にも笑顔でこう言ってくれた。
「ええやないの。
寅ちゃんが元気やった証拠や。
あの子のおかげで、この家が明るかったんやから。」
修理代も請求されなかった。
それどころか、
「ありがとうな」とまで言われた。
その言葉に、
胸の奥がじんと温かくなった。
“寅次郎が残した跡”は、
この家の記憶の一部になったのだ。
そして春。
転勤の辞令が出た。
次の赴任地は、愛知・名古屋。
「なんの運命やろうね。」
妻が笑った。
「実家に少し近づいたね。」
別れは寂しかったが、
心はどこか晴れていた。
大阪で過ごした三年が、
確かな時間として刻まれていたからだ。
車に荷物を積み終えたとき、
寅次郎が一度だけ後ろを振り返った。
春霞の空の下、
風が柔らかく吹いていた。
――出会いも、別れも、
そして“爪跡”も、
すべてが生きた証。
名古屋の風へ向かう車の中で、
私はそう呟いた。
寅次郎の耳が、
小さく動いた。




