1-4 契約
とある村の一画、山の斜面に造られた開けた場所に、一人の少年が座り込んでいた。地面に尻をつけ、小さい体を丸くさせて歯を食いしばりながら片目を押さえている。その少年が突然、まるでずっと水中にいて、やっと水から上がったかのように大きく息を吐き出した。
「……ぷはぁ! いやぁ、これは凄い……想像以上だね。あの人の言った通りだよ」
少年は立ち上がり、陽気な鼻歌混じりに歩き出した。その先には一台の車が止まっている。どこにでもありそうな、地味な黒い車だ。
「でも、あれじゃまだ……かな? うまくいくといいんだけど、とりあえず、彼の行く末に期待ってやつだね」
鼻歌を歌いながら助手席へと乗り込む。運転席の男は、横を見ることも瞬きをすることない。文字通りの無表情のまま、何も言わずに車を走らせるのであった。
春樹が気を失ってから、どれほど経ったであろうか。真上にあったはずの太陽は、いつのまにか沈みかけており、あたりは薄暗くなっていた。
「う、うーん……あれ? 俺は、どうして……」
目を覚ました春樹だったが、自分がどうして無事でいるのか、状況が理解できずにいた。それもそのはずである。手や服には血が黒く固まっている。あれは現実に起きたことだ。しかし胸には傷痕ひとつない。不思議である。
「やっと眼を覚ましおったか」
「うわぁ!」
突然頭に響く声に驚く春樹だったが、すぐに現状を理解する。
「も、もしかしてお前が助けてくれたのか?」
「そうじゃ。おぬしがあまりにも頼りないものじゃから、代わりにワシが奴らを消し去ってやったわ」
「そ、そうか……」
「なんじゃおぬし。助けてやったのじゃから、一言くらい礼でも言ったらどうだ? ワシがいなかったら、今頃おぬしの体は穴だらけだったぞ?」
穴だらけ、という言葉を聞いて胸の貫かれたであろう箇所に手をやる。傷がないと確かめたはすだが、どうしても気になる。
「これも、お前が治してくれたのか?」
「ワシの体に穴が空いていては美しくないからの。ついでじゃ」
そう言われて、春樹はこの大妖怪は意外と良い奴なのではないかと思いそうになるが、すぐにその考えを改める。そもそもこの妖怪が自分の体を乗っ取らなければ、自分が襲われることはなかったのだ。そもそも、そんないい奴なら封印なんてされないだろう。
「ああ、ありが…………いや待て。これは俺の体だ。それにお前は出ていくんじゃなかったのか!?」
「じゃから! さっきも言ったであろう! 出て行きたくとも、出れぬのじゃ。それに、ワシの寝床もあのザマじゃ。別に戻りたくもないが、戻るにも戻れぬ」
妖を封印するには、それを封印するための容れ物が必要となる。時には石であったり、人形であったり、神聖な樹木であったり、様々である。どうやらこの妖怪は、社の中にあった何かに封印されていたようである。だがそれを破壊されて、封印されるべき容れ物がなくなってしまったというわけだ。
本来であれば、強い妖を封印した容れ物を破壊することは至難の技である。しかし、ちょうど中身が空の時に攻撃を受けたため、中途半端に封印が解けてしまったということだろう。本来であれば、封印された妖が外に出て容れ物が脆くなる心配などしなくてよいのだから、これは盲点とも言える。
「じゃあお前の封印は完全に解かれたわけじゃないのか?」
「うむ。封印は相変わらずじゃ。もしやすると、今度はこの体に封印されてしまったのかもしれぬな……」
「なんだって!? でもお前は大妖怪なんだろ? 俺の体なんてお前にはどうにでも出来るんじゃないのか?」
「……ええい! さっきからお前お前と、うるさいやつじゃ。出て行けるものならとっくにそうしていると言っておろうが!」
大きな声に耳を抑えるが、頭の中に直接響くために効果はない。
「そうじゃな……そんなに出て行って欲しいのなら、お前の命を一年分ほど寄越すのじゃな。それくらいあれば、ワシも自分の仮初の体を作ることくらい出来るわ。そうしたら、お互いに不都合がなくなるんじゃないかの?」
封印を完全に解かなければ体から完全に出ていくこと出来ない。だが、式神に命を吹き込む要領で命を分け与えれば、それを具現化して行動することが出来るらしい。なお、式神に使うのは少しの体力と精神力に過ぎず、寿命が取られるようなことは普通はない。
「一年か…………」
数秒、目を瞑り、顎に手を当てて考える。
「……まぁ、仕方ないか。このままでいるわけにも行かないしな。ってか、そう言って外に出たらすぐに俺を食うつもりじゃないだろうな?」
「たわけ! おぬし、このワシを馬鹿にしておるのか? これはれっきとした契約じゃ。おぬしの命を貰う代わりに、おぬしとしばらくの間契約してやろうと言っているのじゃ」
「あー、そっか、これも契約になるのか……」
契約。それは妖や精霊たちが人間と交わす、血の約束のことである。一度契約してしまえば、その約定は何をもってしても裏切ることは許されない。それゆえに、契約の際には、互いの利が一致しているかどうか慎重な決断が必要になるのである。
ただ、陰陽師であれば何かしらの精霊と契約していることが多く、妖と契約する者は少ない。なぜなら、妖の大半は人間が扱うには不向きであり、それでも妖と契約しようとする者の大半は、その力を使って邪悪を働こうとする悪人だからだ。
「なるほど……契約か……妖と……」
もちろん春樹は、妖と契約することの不名誉さは知っていた。妖と契約した者に、碌なものはいなかった。だが、今の春樹にとってそれはさほど問題とは思えなかった。これ以上失う名誉などないのだから。
「心は決まったな。さあ言え。おぬしの願いを!」
「俺は……、俺の願いは……!」




