1-3 馴染む体
「……」
春樹の目がゆっくりと開かれ、その目は体の存在を確かめるように、両の手のひらを眺めている。
「う、うご……く?」
春樹の声である。自分の体が乗っ取っられたものとばかり思っていたが、どうやらそういうわけでもなさそうである。何が起こったのか戸惑っていると、今度は声が頭の中から響いてきた。
「な、なぜじゃ!? なぜワシの思い通りにならぬ!?」
「うわぁ!」
突然響く声に驚き尻をつく春樹だったが、それは声が先程とは違い、自分の中から大音量で発せられているからだ。
「は、はやく出て行け! これは俺の体だ! お前なんかにやるものか!」
「ええいうるさい! こんな使い物にならない体、こちらから願い下げじゃ! さっさと出て行ってやるから待っておれ!」
思ったより簡単に諦めてくれることにほっとしたが、待てども待てども一向に変化が起きなかった。
「…………なぜじゃ?」
「いいから、早く出て行ってくれないか!?」
「違うわ! さっきからそのつもりなんじゃが、出られんのじゃ!」
「なっ!?」
「それにおぬし、この体は……!?」
突然の出来事に戸惑う春樹と何かに動揺しているような妖であったが、ちょうどその時、目の前の社に複数の火矢が降り注いだ。
「誰だっ!?」
「なんじゃ!?」
二つの声が春樹が矢の飛んできた方向を振り向いた途端、こちらをめがけて一本の矢が迫っていた。
「あっ……」
「あっ……」
春樹は自分の胸に目をやった。そこには、矢があった。完全に刺さっている。これは、だめだ。ゆっくりと流れ出る血の感触に気持ち悪さを感じながら、春樹は膝をついた。
「ばかものっ! なぜ避けぬのじゃ!?」
「そんな、こと、言ったって……」
だんだんと、春樹の意識は薄れていく。体を支えきれず、横になる。あとはもう、時間の問題だと理解した。
「くっ、このままでは、ワシはおぬしと一緒にお陀仏じゃ。こんなところで死んでたまったものか! じゃがこのままでは……」
頭の中の声が何やら騒がしいが、どうやら体の主が死ぬと中に入り込んだ者自身も消滅してしまうようである。
その瞬間、春樹は恐ろしいことを考えてしまった。考えたくもないことだが、そう考えるとすべて辻褄が合ってしまう。
「……もしかして、俺にしか出来ないことって、まさか……!?」
妖を滅するとは、まさか。
しかし、気付いたとしてもすでに遅い。なんとか顔を上げてみると、今度は複数の矢が春樹目指して降り注ごうとしていた。死が、迫っている。
「ええい、死にたくなかったら、さっさとワシに体を貸さぬか!!」
「もう、どうにでも、なれ……」
頭の中の声がそう告げた途端、春樹は考えることを諦めた。そして同時に、複数の矢が春樹の体へと降り注ぐ。だが、その矢は一本として春樹を貫くことはなかった。春樹の体の周りには、質量を感じさせるほどの妖気が漂っていた。
それはゆっくりと立ち上がると、胸に刺さった矢を握ると、そのまま握り潰した。そして胸に手を突っ込み、刺さった部分を血肉ごと引き抜く。
「……全く、人間の体とはどうしてこうも貧弱なのかのう」
それは何事もなかったように地面に投げ捨て、手を払う。
「それにしても、いきなりこのワシに攻撃してくるとは、どこのうつけじゃ? しかもワシの寝床まで燃やしおって、最近愛着が湧いてきたというのに、許さんぞ!」
春樹の姿をしたそれは、矢の飛んできた方向を向き、獣のように四つん這いになって獲物の位置を探る。同時に、その体からは妖気が溢れ出し、春樹の体の周りを覆う。その姿はまるで巨大な狐のようである。
「1、2、3……7人か。まあよい。その血肉、食いちぎってワシの1000年ぶりの飯にしてくれるっ!」
瞬間、地面を勢いよく蹴ったそれは、一瞬で木の上で弓を構えていた一人の首元に食らいつく。
「むっ!?」
首筋を噛み切った瞬間、その姿が消える。いや、正確には消えたのではなく、体が薄い紙切れのように散ったのだ。
「このような玩具でワシを殺せると思ったのか! 舐めおって!」
怒りを露わにしたそれは、次々と標的へと襲いかかり、あっという間に全てを紙切れにしていた。彼らも抵抗をしなかったわけではないが、圧倒的な力の差に、もはや抵抗は無意味であった。
全てを片付け終えた数秒後、それは体を纏っていた妖気がだんだんと霧散していくことに気付く。
「なんじゃ、もう終わりか。むう、せっかく少しずつ溜めておった妖気じゃったんだがのう。……にしてもこの体、なぜか知らんがよく馴染むわ」
それは手のひら閉じたり開いたりしながら呟く。そして、何度目かに手を開いた瞬間、春樹の体は糸が切れたようにその場に倒れこんでしまった。




