65.学校
数日後。
アニョウは、学校内に設えられた簡素な校長室にて溜息をついていた。
外からは、教官達の怒鳴り声と少年兵候補の少年少女達の大きな声と時折、銃声が聞こえてきた。
現在、銃を使っているのは教官達だけだ。弾丸もゴム弾を装填し、火薬量も減らした弱装弾を使用している。当たったところで青あざができる程度だ。
安全には配慮している。戦場に送り出す前に壊してしまっては意味がないからだ。
校長室は五メートル四方で窓は一つ。事務机と事務椅子のセットが二セット。来客用に折り畳み椅子が数脚壁際に立てかけられている。
エアコン、冷蔵庫、電子レンジ、電気ケトル、食器棚、本棚。必要最小限度の物しかない。
アニョウが必要と思った物だけが置かれている。
だが、事務椅子に座り事務机を見るとアニョウが望んでいない書類の束が聳えていた。
その束を見る度にアニョウはため息をつく。
もう一つの事務机にも同じ様に書類の束が積まれており、ネービャが座っている。
学校長を引き受けた際に必要な人材として引き抜いた一人だ。
ネービャは、教官としての実力は今一つだが、アニョウのボディガード兼秘書役として勤務してもらっている。
二度の作戦に従事し、アニョウの考え方や動きを知った人間が身近にいることは有難い。
それにカンパニーとの連絡役には、うってつけであった。
ネービャは、作戦からの帰還後、二、三日は暗い表情を浮かべていたが感情の整理がついたのか、普段通りに動いていた。
今も戦死した少年兵達のことを話題に出しても「運が悪かったよな。」と受け流せるようになっていた。
―まあ、表面上だけのことかもしれないが、それが出来ればよい。意外に精神的にタフな様だ。ならば、俺の仕事を手伝ってもらおう。―
と、深く考えずに単純に学校へ引っ張て来た。
もう一人、リトルも格闘術の教官として引っ張て来た。こちらは、確固たる実力による選抜だ。戦争で格闘術の出番は、ほぼ無いが格闘術を習得することにより、自分の身体が自由に動かせるというメリットがある。
パンチ一つでも普段から練習しておかないと狙ったところからずれる。イメージと実際の動きが一致しないことはよくあることだ。
格闘術は指先まで己の意思の通り動かすことを要求する。それも最低でもミリ単位だ。
体が己の意思通りに動くということが戦場でどの様に役に立つかは分からない。だが、デメリットになることはない。
それが死傷確率の低下に繋がるかもしれない。
ゆえにリトルを招聘し、少年兵候補に格闘術を仕込んでもらっている。今も学校のどこかで少年兵候補の体力作りに励んでいることだろう。
などと、現実逃避をしているとネービャが話しかけてきた。
「なあ、校長。あきらめて、仕事したらどうだい。ため息ついても書類は減らないぜ。」
「校長はやめてくれ。以前通り兄貴の方がマシだ。」
「はいよ。兄貴。ため息つかず、サインをしてくれよ。これでも兄貴の負担を減らす様、決裁に回す前に頭のおかしい書類は跳ねてるんっすよ。」
「そうなのか。それでもこれだけの書類に目を通さなければならないのか?」
「責任者の仕事っすからね。まあ、頑張れとしか俺には言いようがないっすね。」
「俺は、学校に来たら子供らを追い回して体力づくりをさせるつもりだったんだ。書類仕事をするつもりなんて、全く無かったぞ。」
「それは無理でさ。体力作りはボスが派遣した教官でできることですし、ガキどもが演習に辿り着くまでは兄貴の出番は無いっすよ。」
「そうなのか。なら、俺がここにいる必要はないだろう。俺は頭脳労働が苦手だ。肉体労働専門なのだが…」
「多分、ボスは子供らがそれなりに育つまでに演習の準備をしておけということで、早く学校に放り込んだんすよ。
野戦服、武装、演習場、それに伴う備品とかいるっしょ。」
「ああ、確かに必要だ。それに訓練施設にも作って欲しい物がある。」
「なら、あきらめてサインお願いしまっす。そうじゃないと奥さんのとこに帰れませんぜ。」
「それを言われると…。わかった。サインをしていく。」
「ちゃんと内容見て下さいよ。不要な物にはサインしなくていいっすから。」
「わかった。ちなみに跳ねた書類の中で一番バカバカしい申請は何だったんだ?」
「滑り台とブランコが欲しいっすね。」
アニョウはポカンとする。
―兵学校に滑り台にブランコ?確かに不要だ。
…いや、待て。よく考えろ。ここの生徒の一番下は八歳だったか。遊びたい盛りの歳か…。―
アニョウはまじめな顔になり、ネービャへ命令する。
「学校の外れに遊具を揃えてやれ。ジャングルジム、雲梯もだ。他にも遊具を用意してもかまわん。子供が元気いっぱい遊べる公園を作ってやれ。」
「え、兵学校には不要っすよ。」
「奴らは子供だ。休日くらい遊ばせてやれ。ストレス発散と体づくりができる。」
「あ、そうでしたね。俺が盆暗でした。奴らガキなんすよね…。いいんすかね。大人の都合に巻き込んで…。」
「巻き込むことで俺達は千人のストリートチルドレンを食わせ、教育を受けさせている。適性が無い奴は、兵士にしない。どうしたいか奴らに選ばせる。」
「了解。兄貴の方針が分かったっす。教官達にも共有しておくっす。」
「頼む。助かる。」
そういうとアニョウは、書類に目を通し、サインを始めた。
半年後、学校に所属する少年兵候補は八百人を下回っていた。
不慮の事故、病気で死亡した者が数人。訓練中に事故死した者が数十人。
勉学に未来を感じ、カンパニーの援助で普通科学校に異動した者が百人。この者達は学校卒業後、授業料を返済しない場合、カンパニーの適正ある部署に配属されることになった。場合によっては、大学まで進学することも許されている。医者、薬剤師、弁護士等は、カンパニーも欲しい。その職業になれる可能性がある者がいたのだ。その職業につけなくとも学があるインテリは幹部候補生としての使い道はある。
そして、脱走が数十人。アニョウは少年兵候補達を監視も監禁もしなかった。
逆に逃げ道を用意していた。やる気がない者、嫌気がさした者が居ると全体の士気が下がる。
そんな者の面倒を見る気はない。さっさとここから消え去れば良いと考えていた。
兵学校から逃げたところで、行き着く先はスラムしかない。ストリートチルドレンに戻るだけだ。
本人達がそれを選んだ。アニョウが止める義理は無い。
恐らく、ここでの良い暮らしを味わった者がストリートで生きていけるわけがない。
今までの縄張りは他の者に取られており、追い出されるか殺される。追い出された者は、生活する術がなく程なく死亡するだろう。カンパニーを、マフィアを裏切るということはそういうことだ。
何も助けるために逃げ道を用意したのではなかった。
そして、その情報は何故か少年兵候補達に伝わる。逃げ出した者の悲惨な末路を聞いてからの脱走者は居ない。
逆に訓練や勉強に力が入った。
アニョウもいつの間にか軍人よりマフィアの様な考え方をする様に変わっていた。
人は変わる。
それは誰にでも言えることだ。
スパイですら、環境が人を変えてしまう。
過酷な訓練を受け、現地語を学び、現地の風習と習慣を体に叩き込み、元の自分を消し去る。
消し去り別人となった今でも過去の自分を時折思い出す。
―私はこのままで良いのだろうか。全てを騙して生きていくこともできる。しかし、嘘はつらい。本当のことを話して自由になりたい。
でも、嘘を許してくれるだろうか。今の気持ちは真実だ。これは間違いない。それだけは堂々と言える。
でも本当のことを明かしてどうなる?何も良くなることってない。そう、今まで通り嘘で固めたままでいい。
真実を教える必要なんてない。
でも、でも…。つらい…。何が正解?どうしたらいい?分からない。分からない。分からない。分からない。―
スパイも苦しんでいた。自分がどうすべきなのか。どうあるべきなのか。
一人で静かに答えを出さなければならない。




