51.教官
アニョウは校舎の隣に建っている鉄筋コンクリート製の平屋建ての寮に案内された。こちらは、教師、教官用の寮で全ての部屋が同じ造りになっている。
一部屋1LDKとなっており、一人暮らしには十分な広さだ。
家具は、LDKには、エアコン、冷蔵庫、ダイニングテーブルとそれ用の椅子が二脚。部屋には、エアコンとベッドが一台。以上が備え付けの備品だった。
アニョウはベッドに座り、支給されたスマートフォンを動かす。
ここは圏外で通常の通信はできない。カンパニー専用の光通信ケーブルが引かれ、Wi-Fiに接続して使用する。
数個のアイコンが並んだ寂しい画面だ。だが、ここでは生活に直結する重要なアプリだ。
通話アプリは、外部と言ってもカンパニー内の端末に限定されるが、外との通話が可能となる。
ショッピングアプリは、カンパニーが運営するネットショップで生活必需品や嗜好品を購入することができる。まずは、着替えや生活必需品などを買い揃えなければならない。
銀行アプリは、カンパニーからの報酬が振り込まれ、この口座からネットショップで使用した金額が引き落とされる。
あとは基本的なウェブ検察やカメラなどのアプリが入っている。特別な物は無い。
アニョウは銀行アプリを立ち上げ、初期設定をサクサクと進める。そして、預金残高を確認する。
意外にもちょっとした小金が振り込まれていた。
百万バル。一般庶民の半年分の収入に匹敵する。
「支度金ということか。今後、最低二十万バルが毎月振り込まれるとのことだし、二十万は使ってもいいだろう。それに寮生活する場合、家賃食費は不要だ。食堂に行けば、いつでも食事ができるとの事だ。しばらく、このまま生活し、必要な物を少しずつ揃えていくか。」
アニョウは洗面所へ行き、顔を洗い、ひげを剃る。髪に櫛を通し、身だしなみを整える。
鏡に映る見知らぬ顔にもようやく慣れ、自分の顔だという自覚が生まれていた。
アニョウは、寝室に戻りベッドに腰かける。深呼吸を一つすると、スマートフォンの通話アプリを起動させた。
2コール程で相手が出る。画面には十代後半の美しい少女が映っていた。
「ああ、何と言えば良いんだ。こういう時は…。」
「うふふ。アニョウも照れるんだ。」
「俺が照れる?そんなことはないだろう。」
「頬が赤いよ。」
画面に映る美少女ティハの指摘に思わず、頬に手を当てる。確かにいつもよりほんのりと温かい。
「そうか、これが照れるという感情なのか。」
「アニョウ、私もそっちに行きたい。」
「ボスに掛け合ったが、訓練所でティハがする仕事は無い。本部でして欲しい仕事があるとのことだ。すまない。ティハを守ると誓ったのに…。」
「料理や洗濯する仕事くらいあるよね。駄目かな。」
「すでにそれらの担当者が居る。そいつらの仕事を奪う訳にはいかない。」
「そうだよね。無職になるって辛いことだよね。うん、分かった。私もこっちで頑張るよ。」
「無理はするな。嫌になれば、カンパニーを辞めればいいだけだ。ティハくらい、幾らでも養ってやる。」
「うん、ありがとう。会えない代わりに小まめに連絡して欲しいな。」
「可能であれば連絡しよう。ただ俺は兵士をつくる教官に採用された。状況によっては、何週間もジャングルに籠ることもある。それは理解しておいてくれ。」
「うん、無理は言わない。でも、私にはアニョウしかいないの。戦友も親もおばさんも子供達もみんな死んじゃった。お願い、私を一人にしないで…。」
「勿論だ。絶対に一人にしない。」
その後、一時間ほど他愛のない話を続けた。
アニョウは、校舎に備え付けられている食堂へと向かい、今日の夕食を頬張っていた。
周囲には、アニョウがゴム弾を目一杯に浴びせた子供達も夕食をとっている。その視線には、恨みつらみがこめられていた。
だが、手を出す者は一人もいない。何となくではあるが、勝てないことを悟っているのだった。
アニョウは一人で夕食を続ける。
―ティハを訓練所に呼べないのは、人質にするつもりだろう。待遇は丁寧にし、何かしらの仕事を与えるのも近くで監視をするためだろう。
カンパニーは俺を逃がす気が無いと宣言したわけだ。
もっとも、ティハにはカンパニーを離れても良いと言ったが、現実問題、行き場などない。カンパニーの元で言われるままに働く方が現実的だ。
今更、殺人機械を作ることに罪悪感など持たない。この目の前の子供を一人前の兵士にするだけだ。
死ににくい兵士として鍛え上げ、戦場へ送る。それが俺に出来ることだ。
それを続ける限り、ティハはカンパニーによって守られる。なにせ、ティハに何かがあれば、俺がカンパニーを攻撃することは理解しているだろう。
逆にカンパニーは、何があってもティハを無傷で守り続けなければならないということだ。
俺を縛るには、ティハの安全が必須とはな。カンパニーも人質として使い難いだろう。失策だな。―
と考えていると夕食のトレイを抱えたネービャがアニョウの目の前に座った。
「よっ、兄弟。明日からの予定は決めたのかい。」
「いや、今晩考えるが、兄弟ってなんだ?」
「同じ教官同士、歳も近い。同じカンパニーの人間じゃないか。義兄弟みたいなものだろう。で、兄弟さ。」
ネービャは、ウインクをし笑顔を浮かべる。
「まあ、呼び方に固執はしない。兄弟でもいい。一つだけ確認をしておきたい。」
アニョウは真面目な表情でネービャの瞳を見つめる。
「何だい、兄弟。」
「お前、ノーマルだよな。」
ネービャはポカンとし、アニョウの言葉を反芻する。ようやく意味を理解すると、
「くははは!ひひひ!そうか、そうか、そうとるか!安心しろ。俺は無類の女好きだ。男なんて追いかけねえよ。」
アニョウは詫びに夕食に付いていた手つかずの缶ビールをネービャへ静かに差し出した。
翌日からアニョウは子供達を徹底的に苛め始めた。
虐めると言っても肉体的限界を見極めるために実行しているにすぎない。憎しみや妬み、僻みなどでは決してない。
各個人の体力の限界を把握していなければ、理想的な兵士に効率よく鍛えることができない。
限界を知ることは重要だ。少年Aは二十キロ行軍ができるが、少年Bは十キロ行軍しかできない。そういった体力や運動能力の違いというものが存在する。
アニョウは、子供達を苛め抜くことにより、体力と運動能力の限界点を把握していった。今後の訓練方法を決めるための準備だ。
それを実施する数日間の子供たちの視線は、殺意に溢れていた。さらに憎まれることは、十分承知している。
だが、憎悪も上手く利用すれば、活力として活かすことができる。憎悪も殺意も必要経費だとアニョウは割り切っていた。
アニョウは、各個人の能力を把握し、同等の運動能力を持つ者でクラスを分けた。
運動能力に優れた者。平凡な者。劣っている者。そして、非凡な者。
その四つにアニョウは子供達を分けた。丁度、四小隊が出来上がった。
各小隊の特長ごとに訓練内容を定めて実行を開始した。それが転機となった。
各小隊に合わせた課題を割り振る。すると今までできなかったことが出来たのだ。それは子供たち自身も驚いた。
絶対に出来ない。無理だ。そんな諦めの中、出された課題を子供たちは苦も無くクリアしていった。
成功に驚く子供達。そして、驚きは歓喜へと変わり、感動へと昇華した。
成功体験。実はもっとも重要な要素である。成功体験があれば、人間は自信を持てる。そして、次も同じことが出来ると信じる。
それが如何に難しいことであろうと一度成功したのであれば、もう一度できて当たり前だと考える。
アニョウは、その成功体験を大げさに感じさせ、成功させるためにもギリギリまで苛め抜いたのだ。
限界まで体力、気力共に追いつめることによる限界点の上昇と成熟化。
そして、ギリギリ成功する難しいレベルの課題を与える。そして、成功体験へと導く。
繊細に計算された指導方法だった。一歩間違えば、怪我人どころか死者が出てもおかしくない。その絶妙なバランスを発揮しての指導だった。
この成功体験が、子供たちのアニョウに対する意識の変化へと繋がった。
アニョウは、ただ苛めていたのではなかった。肉体と精神を傷が残らぬ様に繊細に鍛えてくれていたことにようやく気が付いたのだ。
課題に成功した翌日からのアニョウに対する視線は百八十度変化していた。尊敬と憧憬。敬い憧れる。
理想の兵士像をアニョウの中に勝手に重ねていた。そこまではアニョウは計算していない。
過去に体験した訓練を思い出した範囲内で実施したに過ぎない。
そして、訓練所で半年の月日が流れた。




