46.介錯
アニョウが目覚めると古びた病室ではなく、綺麗で新しい病室であった。
見覚えがあった。そう、国境を越えてすぐに軟禁された病室だ。
「アニョウ、起きたの。」
やや頬がこけても美しい少女が顔を覗き込む。ティハだった。
「俺はどうしてここに。」
アニョウはチーの病院で眠りについたはずだった。しかし、目が覚めてみれば、軟禁されている病室だ。
「昨日の昼過ぎに運び込まれてきたの。寝ているだけだから大丈夫だといって、このベッドに寝かされて今起きたの。」
何が起きたか事実は分からない。だが、想像はつく。
「就寝中に麻酔ガスでも部屋に流されたのだろう。それを吸って意識を失い、ここに運ばれた。つまり、仕事は完遂したと判断されたのだろう。」
「でも、帰るだけなら普通に帰れるのに。」
「いや、この場所を秘匿したいのだろう。行きも目隠しをされて知らない場所に車から降ろされた。」
「そんな…。大丈夫だった。危険はなかった。」
「ああ、何も問題は無い。ボスから頼まれた仕事はしっかりとこなした。」
ベッドから上半身を起こしたアニョウへティハが優しく抱擁する。
「良かった。アニョウが無事で良かった。アニョウが居なくなったら…。私…。」
涙ぐむティハ。ここまで弱々しい姿は一度も見せたことは無い。
よく話す様になり、感情表現も豊かになってきていたが、弱気なティハを見たことは無かった。
―やはり、まだ完治はしていないか。だが、大分良くなっている。魂の抜け殻だったころに比べれば天と地の開きがあるな。―
アニョウはぐずるティハの頭をやさしく撫で、己の存在を示す。
それを応接セットからビスケットを齧ったまま、見つめている者がいた。
「はいはい、おかげさまでおやつを食べる気がなくなりました。ごちそうさまです。」
リトルはそう言うと咥えていたビスケットを皿に戻した。
「この五日間、何していましたの。」
「俺がここを出てから五日も経過しているのか?」
「あらら。計算でもあいませんか。まあ、カンパニーならよくあることです。気にしない方がよろしいです。」
と言われても計算してしまうのが人間だろう。
―初日にチーの病院まで辿り着き、そこから三泊した。つまり四日経過しただけだ。足りない一日は、眠らされての移動だろうか。恐らくそうだろう。
列車と違って、道が整備されていない王国での都市間の車の移動は時間がかかる。そういうことなのだろう。
この場所を知られたくないということは、俺はまだ信頼されていない。つまり、試験が終わっていないと考えるべきか。
あと、俺とティハが夫婦になったことは、まだ黙っておいたほうがいいな。もしかしたら、あれは夢だったか。俺の願望なのか…。―
自分の服装を確認すると病室着を着用しており、パスポートもナイフも財布も何も無い。
全てをマフィアに没収されたようであった。
翌日、アニョウはボスに一人だけ呼び出された。
ボスの仕事部屋に連れられ部屋の中央に直立不動で立つ。
大きな机を挟み、ボスと対峙する。
その間には二人の屈強な男が立つ。おそらくボディガードなのだろう。
「さて、アニョウ。ご苦労だったな。仕事の完遂を確認した。断片的情報から目的地へ到着し、尾行の存在を考慮した移動。見事だった。
残念ながら、最後まで尾行はまけなかったがな。兵隊上がりにそこまで求めるのは酷だろう。まずは合格だ。」
―やはり、尾行が居たか。しかし、あれだけ歩いても尾行をまけないとはな。チームを組んでいたのだろう。それともどこかにGPSチップを仕込まれていたか。諜報機関の訓練も受けておけば良かったな。いや、どういう意味だ。諜報機関の訓練を受ける?そんなことが可能な立場に居たのか。
くそっ。何か思い出しそうで、思い出せん。もどかしい。―
などと表情には出さずに考えていた。
「さて、次だが…。そうだな。最終試験としよう。お前の身体能力、戦闘能力、精神構造は理解した。あとはカンパニーへの忠誠心が知りたい。」
「忠誠心か。何をすれば良い。」
ボスはパソコンを操作すると壁に掛かっていた風景画が監視カメラの映像に切り替わった。どうやら絵画ではなく、ディスプレイだった様だ。
そのディスプレイには、十代前半の少女が一人映っている。薄汚れた白いワンピースだけを纏い裸足だった。
少女は痩せこけ、簡易ベッドで薄い胸を激しく上下に動かしている。懸命な呼吸。命を継ぐための必死な呼吸。
少女の眼窩は黒ずみ落ち窪んでいる。
唇は乾き、ひび割れている。顔色は青い。いわゆる死相が浮かんでいた。
「この少女が何か。」
「楽にしてやれ。」
「は?」
アニョウは間抜けな声を出す。
―楽にする?つまり殺すのか。なぜ、少女を?治療すれば良いだけだろう。なぜ投薬していない。彼女が何をしたんだ?―
「あれは、もう働けん。頑張って借金を返すために客を取っていたのだが、病気をうつされてな。医者の見立てでは、一か月持たないそうだ。
全身を貫く激痛と疲労感。高熱と癒されない喉の渇きに苦しめ続けられている。でな、延命治療ではなく、スパッと楽にしてやれ。
ああ、楽にする時は血などの体液は浴びるな。病気がうつる可能性がある。空気感染はしないからその心配はいらん。」
ボスは淡々と事実を告げる。画面に映る少女を人間として見なしていない。商品、いや生きているから家畜程度には思っているのかもしれない。
そこに思いやりの欠片は無い。単純に一か月に掛かる経費を気にしているかの様だ。
普通の人間ならば、怒りや悲しみの感情が浮かぶのだろう。
アニョウは違った。ボスの考えが手に取る様に分かった。
―助からぬ者に医療費はかけられぬ。生きている間、食費もかかる。また、動けない為、看病をする人間の人件費が必要となる。
だが、少女は借金を返済していない。恐らく、半分も返せていないだろう。これ以上金をかけたくない。
そして、安楽死させるのにも薬代がかかる。ならば、俺に殺させればタダで済む。
そんなところか。
善悪で考えれば、悪なのだろう。生を最後の瞬間まで全うさせる、それが人間として正しいのではないか。
だが、死が一か月後に控えており、苦痛に耐えるしかなく、楽しみも無いのであれば、安楽死も正しいのかもしれない。―
アニョウは、天井を思わず見上げる。染み一つない綺麗な天井だ。
―少女は仕事中、何度も天井を見つめていたのだろう。もっとも、ここより粗末で汚い天井だっただろうが。
汚い親父に圧し掛かれ、何を思っていたのだろう。それとも最初から絶望していたのだろうか。―
「アニョウ、楽にしてやれ。カンパニーの命令に服従するところを見せろ。」
ボスの一声でアニョウは覚悟を決める。
「わかった。ゴム手袋と細身のナイフを用意してくれ。」
「いいだろう。しばし、そのまま待て。」
ボスは受話器を持ち上げると指示を出した。
アニョウは少女の傍らに立つ。呼吸は荒く、自分で起きることもできないほど衰弱している。
誰の目にも少女の命の灯が儚く揺らめいている。
痛みと高熱に耐えている為、額には大粒の汗が幾つも浮かぶ。
この状態で一か月放置されるのは、苦痛以外の何物でもない。
―戦場で瀕死の兵士に止めを刺すことは優しさ。それと同じだ。いつまでも苦しみを味わせないのも優しさか…。カンパニーの命令や都合はどうでもいい。
介錯させてもらおう。―
アニョウは少女の頭側に断ち、首に腕を回し、頸動脈を圧迫する。脳への酸素が断たれ、少女の意識が断たれる。
少女の呼吸が穏やかなものに変わる。この瞬間は痛みすら感じないだろう。アニョウは細く尖ったナイフを脇腹から心臓へと突き刺し、捻る。
返り血がゴム手袋へと飛び散る。
ナイフから伝わる鼓動がゆっくりとし、やがて止まる。
アニョウは首筋に指を当てる。当然、脈は止まっている。
少女の人生を終わらせてしまった。迷いも躊躇いも無かった。
ただ、願うのはアニョウの止めで痛みを感じず、死を迎え入れられたことを祈るだけであった。
右目から一粒の熱い汗が流れた。




