45.友人
アニョウは街の中を彷徨った。無論、わざとである。
真っ直ぐに目的地に着くことは可能だが、尾行者をまくことを優先させた。
尾行者をまく技術など持っていない。では、どうすれば良いか。単純なことだった。ひたすら歩く。
赤信号が先を妨げれば、即座に九十度折れ曲がり、青信号を進む。
一度たりとも足を止めない。車で追尾できない様に細い路地を抜けたり、公園に入ってUターンをする。
四時間ほど休みなく歩き続けただろうか。ここまで歩き続けるには体力だけでは無理だ。日頃から行軍の訓練をしていなければ耐えられないだろう。
特に照り付ける太陽は、スタミナを容赦なく奪う。アニョウはそれを防ぐため、列車に乗る前に買った食料と飲み物を歩きながら摂っていた。
尾行者は買い物をする余裕は無い。アニョウから目を離せば、すぐに細い路地へと入り見失ってしまう。
休みも水や食料も得ることなく、歩き続けなければならない。
この方法ならば、技術は不要。ただ、行軍訓練の成果を発揮すればよい。アニョウにとっては、もっとも得意なことであった。
そして、アニョウが辿り着いたのは市の中心部に近い四階建ての古びた雑居ビルだった。
中に入ると階段と廊下があるだけでエレベーターは無い。四階建て程度では、贅沢な設備なのだろう。
アニョウは、二階へと階段を上る。
幾つか並ぶドアの一つの前に立つ。看板も名札もない。あるのは部屋番号を示す201の文字だ。ドアの横にはカメラ付きのインターホンが設置されている。この古びた雑居ビルには似合わない設備だ。せいぜい呼び鈴が付いていれば良い方だろう。
アニョウは怯むことなく、インターホンのボタンを押す。部屋の中からピンポーンと電子音が聞こえる。
しばらくして、若い男の声がインターホンからした。
「誰だ。」
「アニョウだ。手紙を届けに来た。」
そういうと手紙をカメラの前にちらつかせた。
「入れ。」
扉からカチリと鍵が開く音がする。アニョウはドアノブを回し、部屋へと入った。
そこは個人病院の待合室を思わせる造りだった。
受付があり、そこに向かって長椅子が並ぶ。
受付の横には、扉があり奥へと続いている様だ。
その扉が開き、若い男が出てきた。二十代前半だろうか。目つきはするどく、闘犬を思わせる顔立ちをしていた。
「そこの椅子に座って待っていろ。待ち人が来るには、少し時間がかかる。」
「どの程度、待てばよい?」
「知らん。お前はそこに座る。俺はお前を見張る。理解したか?」
「了解だ。」
アニョウは近くの長椅子に座る。
闘犬野郎は、壁に背を預けアニョウの動向を見張っている。別に銃やナイフで脅す訳ではない。力を誇示することもしない。
ただただ、見つめるだけだ。
―敵ではないが、信用はしていないということか。まあ、初対面だ。いきなり仲良くなる方がおかしいな。―
アニョウも特に話すことは無い。
静かに時が過ぎた。
三十分後、外から三人の男が入ってきた。最初に闘牛のような体の大きい男。次に中肉中背の初老の男。最後は闘鶏の様な細い男だ。
中央の男を見て、アニョウは思わず立ち上がった。
「あんたは…」
「久しぶりだね、アニョウ君。生きているとは聞いていたが、怪我も無く元気そうで何よりだ。腕を振るった甲斐があったよ。」
そこにいたのは、アニョウが知っている人物だった。ティハと同じく命の恩人だ。
「先生、死んだんじゃないのか…。」
「誰かに私が死んだとでも聞いたのかい?」
「いや、確かに一度も聞いていないが、あの状況で兵士でもない先生が生き残る確率は無い。どうやって、ここまで…。」
「単純なことだよ。薬や医療器具の仕入れに王国に来ていて難を逃れただけだよ。その後は、連邦に帰る場所を失ったからカンパニーに身を寄せているよ。」
「そうか。作戦による怪我人を想定して医療器具を買い出しに来ていたのか。」
「そうだよ。で、ティハ君はどこだい?一緒なんだろう?」
「精神的に病んでおり、療養中だ。リトルをつけている。ここには、俺一人で来た。」
「そうかい。連邦の軍事作戦は相当酷いことだったんだね。」
「ああ、虐殺の嵐だった。チー先生。」
アニョウの前に現れた初老の男は、医者のチーだった。
ジャングルで行き倒れたアニョウを治療し、失った顔を作ってくれた医者だ。
アニョウは、ジャングルの集落で政府軍に蹂躙され、死亡したと思い込んでいた。だが、医者のチーは生きていた。
運よく、集落を離れ王国へ買い出しに来ていた。
アニョウの胸が熱くなる。
「生きていた。数少ない知り合いが生きていた。それも命の恩人だ。この運に感謝を。」
「おいおい、知り合いとはつれないな。私は友人のつもりだったんだが。」
「ああ、マフィアの幹部が友人に手紙を渡せというのはこういうことだったのか。ああ、俺達は歳は離れているが友人だ。俺が間違っていた。生きていてくれてうれしいよ。」
アニョウは、両手を大きく広げ、チーを抱きしめる。チーも同じ様にアニョウを抱き返す。
気づけば、アニョウの眼から熱い汗が流れていた。
―そう、これは汗だ。これだけ暑ければ目から汗も掻くさ。―
二人は落ち着くと長椅子に並んで座った。闘犬、闘牛、闘鶏の三人は立ったままだ。どうやら、チーの護衛の様だ。
「先生、これ預かってきました。」
アニョウは手紙を渡す。チーは受け取ると手紙に目を通した。
「ぱっと見は、どこにでもある手紙だが、なるほど、これは依頼だな。了解した。三日後に用意できるだろう。」
「何が用意できるんだ?」
「秘密だ。どこに目と耳があるかわからん。だから言えない。」
「ならば、これ以上は聞かない。困らせたくない。」
「物分かりがいいな。」
「俺が知っても意味がない。単なるメッセンジャーだからな。」
「まあ、それはよいとして、三日間アニョウはどうするつもりだい?」
「どこか、安ホテルを転々とする。」
「予定は無いんだね。外出しないのであれば、ここに居ればいい。入院施設がある。宿泊には困らない。もっとも娯楽は何もないがね。」
「じゃあ、ここは病院なのか?」
「ああ、私がカンパニーから預かっている病院だ。一般人を相手にしていないから、看板は出していないがね。病室から出ないのであれば、ここに泊まればよい。酒と食事くらいは用意させよう。
ただ、診療時間は病室からくれぐれも出てはならない。見てはいけないものがあるのが裏の世界だからね。それでも良いかい?」
「是非。」
こうして、アニョウはチーの病院に籠ることとなった。
三日間、夕食はチーと共にし、皆の最後を語り、鎮魂を祈った。
その他の時間は、アニョウは自主鍛錬にあてた。この旅程で得たとっかかりを確実に己の物とするために、朝から晩まで鍛錬に全てを費やした。
だが、たった三日では理想とするリトルの動きは再現できない。まだまだ、鍛錬が必要だった。
―付け焼刃でできる訳がないと思っていたが、これは難渋しそうだ。―
そして、三日後の夕食。チーは青い薄い冊子を二冊差し出した。
胸ポケットに入る小さめのサイズだ。
現地語と英語の二種類の言語で表紙にパスポートと書かれていた。
「これは…。」
アニョウは表紙をめくる。アニョウの最近の顔写真が貼られ、住所と氏名が記載されている。住所に心当たりはない。写真は防疫検査中にでも撮影されたのだろう。
名前は最近ようやく自身に馴染んだ名前が記載されていた。アニョウ・アヤウンと書かれている。どうやらこれがアニョウの氏名になる様だ。
―苗字はアヤウンなのか。聞き覚えは無い。マフィアが勝手につけた名前だろう。さて、もう一冊は誰のだ?―
アニョウは、もう一冊のパスポートを開く。
憂いのある美少女の写真が貼られ、同じ住所が書かれている。名前は、ティハ・アヤウン。
そう、アニョウが守ると決めたティハのパスポートだった。
「兄妹の設定か。だが、俺達に似ている点は無いぞ。どう言い訳するんだ。」
「前提が違う。夫婦だ。だから似ていなくて問題ない。似ていないから夫婦にした。何か問題でもあるか?」
そこには、いたずらに成功した子供の様な笑顔を浮かべるチーが居た。




