第64話「楔の解析」
エレンは、忍びで、来た。
御子の巡遊、という名目だった。護衛は最小限。侍女も連れず、村はずれのあの初めて土を掬った畑に、日暮れ、一人で立っていた。
近くで見る彼女は、前より、痩せていた。頬がこけ、肌がうっすらと、光を透かしていた。楔の蝕みが、進んでいる。俺の眼を、開くまでもなく、分かった。
「……来て、くださって、ありがとう」
彼女は、笑った。あの気取りのない笑みは、変わらない。だが、その笑みを支える体が、もう限界に近かった。
「単刀直入に、言います」と俺。彼女の流儀に、合わせた。「あなたの中の、楔。……抜けるかもしれない」
エレンの、笑みが、止まった。
*
俺は、話せる範囲で、話した。
自分が「何者か」は、言わなかった。まだ、言える段階ではない。ただ、「あなたの魂に、外から打ち込まれた、力の楔が視える」こと。「それが、あなたを蝕んでいる」こと。「抜けば、蝕みは止まる」こと。それだけを。
「……なぜ、あなたに、そんなことが」
「修理屋なので」
偽りではなかった。肝心なところへ、まだ蓋がされていただけだった。
エレンは、長いこと、俺を見て——それから、静かに頷いた。
「信じます。……土が、正直だと、言ったでしょう。あなたの村の作物は、悪意の上には、育たない。あなたが、悪い人でないことは私の神様が——テラ様があの村について沈黙なさったことが、証明しています。神様は、悪しきものには、沈黙なさらない。怒られる。……沈黙は、庇っておられる時のしるしです」
俺ははっとした。テラ神が、この村について、何も言わなかった、あの沈黙。エレンは、それを、「庇護」と読んでいた。正しかった。テラは——切り分けられた姉神は——父の還ってきた村を、知りながら、黙って庇っていたのだ。
*
問題は、抜き方だった。
その夜、祠でヴェルクと、設計を詰めた。
「楔を抜くだけでは、駄目じゃ、と言うたな」とヴェルク。「抜いた力を納める器がいる。空のまま抜けば、力は宙に散る。あるいは、暴れる。……娘の魂ごと、引き裂きかねん」
「器は、俺が打つ。祈りを込めて。……それは、分かった。何を、打てばいい」
「豊穣の力じゃ。……なら、豊穣の器。土を耕すもの。実りを司るもの」
俺の頭に、図面が、浮かんだ。豊穣の力を納める、器。形は——鋤だ。土を返し、種を迎える、あの農の根源の道具。
「鋤を打つ。……材料は、地下工房に、ある。古王国の、鋼が」
「うむ。じゃが、坊主」
ヴェルクの声が、慎重に、なった。
「豊穣の器を打つには、ただの鍛冶では、足りん。……『命なきものに、命の流れを通す』技が、いる。力を納めて、宿らせる継ぎの技。それは、今の世にほとんど、残っておらん」
「ほとんど?」
「一つだけ、細々と生き残っとる。……人形師フェルンの、系譜じゃ。命なき人形を、歩かせるほどの技。……その流れを汲む者が」
俺は、息を、呑んだ。
命なき人形を、歩かせる技。地下工房で削られた碑文を読んだ、あの夜。ヴェルクが懐かしそうに見ていた、あの工房。そして——道具を仕舞う前に、小さく礼をする、あの癖。
村に、いる。その、流れを汲む者が。
ガンツの、爺さん。
「……ヴェルク。あの爺さんに、技を乞わなきゃならないのか」
「そうなるの」
俺は、頭を、抱えた。ガンツは、俺が「何者か」を知らない。師匠を、密告で失ったあの爺さんに。よりによって、御子の力を抜くための器を打つ技を、貸してくれと——どう、切り出せばいい。




