第65話「職人の覚悟」
ガンツの工房を、訪ねたのは、翌朝だった。
俺は、正体を、明かさなかった。明かせなかった。ただ、切り出した。
「爺さん。……力を貸してほしい。人を、一人助けたい。そのために、器を打つ。ただの器じゃない。『命の流れを、通す』器だ。……あんたの師匠の師匠から来た技が、要る」
ガンツの鎚を打つ手が、止まった。
長い、沈黙だった。爺さんは、火床の火を見ていた。あの幕間の夜——師匠を、密告で失った男のあの顔で。
「……坊主。お前、それがどういう技か、分かって言うとるのか」
「分かってる。フェルンの系譜。……教会が、火刑にしたあの」
「なら、分かるじゃろう。その技を使う者は、落とし子として狩られる。ワシの師匠は、それで死んだ。……お前にそれを教えたら、ワシは、二人目の弟子を火にくべることに、なるかもしれん」
「なるかもしれない。……それでも、頼む」
俺は、頭を、下げた。
「助けたい人が、いる。俺の力だけじゃ、足りない。あんたの技が要る。……危ない橋だ。断ってくれていい。恨まない。でも——頼む」
*
ガンツは、俺を長いこと見ていた。
それから、立ち上がり、工房の奥の鍵のかかった箱を開けた。中から出てきたのは、古い油紙の包み。開くと——木と、真鍮の小さな部品。人形の関節だった。祠のヴェルクの、あの造りと、同じ匂いのする。
「……師匠の、形見じゃ」
爺さんは、それを、作業台に置いた。
「四十年、隠してきた。誰にも見せんかった。……使う勇気も、捨てる勇気も、なかった。ただ、持っとった。師匠を見殺しにした、罰みたいに」
爺さんの皺だらけの手が、その部品を撫でた。
「坊主。お前の腕は、ワシの師匠より、深い。……初めて工房でお前の『七掛け』の研ぎを見た時から、分かっとった。お前は、いつかこの技を必要とする。ワシは、その日を恐れとった。……じゃが」
爺さんは、顔を上げた。あの密告の夜から、四十年、抱えてきた何かを下ろす顔だった。
「二度も、見殺しにはせん。……そう、決めとったんじゃ。ワシは」
*
「道具はな、坊主」
ガンツは、師匠の形見の関節を、俺の手に載せた。
「作った者のもんじゃ、ない。使う者のもんでも、ない。……『何のために使うか』を決める者のもんじゃ。師匠は、そう言うとった。フェルンのその師匠から、来た言葉じゃと」
俺の手のひらの上で、古い関節が、火床の灯りに、鈍く光った。
「お前は、人を助けるために、この技を使う。……なら、この技はお前のもんじゃ。師匠も、フェルンも、文句は言うまい。ワシが保証する」
そして、爺さんは、鎚を、握り直した。
「教える。……フェルンの命継ぎの技を。心して、覚えい」
*
その夜、俺は、ガンツを地下へ案内した。
技の伝授には、材料がいる。古王国の鋼は、地下工房にしかない。それに——これから、命懸けの仕事を預け合う相手だ。半端な隠し事は、かえって爺さんを危うくする。正体は、明かせない。明かせないが、明かせるところまでは明かす。そう決めた。
角灯の火が地下工房を照らした時、ガンツは、長いこと声を出さなかった。壁一面の見たこともない道具。歌うような構造の作業台。四十年、型の外を夢見ることすら禁じられてきた職人が、型の来た場所に立っていた。
「……ここは」
「昔の工房だ。俺が、直しながら使ってる。……それと、爺さん。もう一人、紹介する」
俺は、肩の人形を、作業台に下ろした。
「ヴェルク。……いいんだな?」
「ふん。お前が、決めたんじゃろう」
人形が、喋った。
ガンツは、腰を抜かさなかった。叫びもしなかった。ただ、目を見開いて——それから、ゆっくりと視線を人形の関節に、落とした。四十年、鍵のかかった箱で守ってきた、師匠の形見と、同じ造りのその継ぎ目に。
「……フェルンの系譜の、大元、というわけかい」
「まあ、そんなところじゃ」
ヴェルクは、それだけ言った。名乗らなかった。爺さんも、それ以上聞かなかった。この村の流儀で。ただ——道具を仕舞う時に、いつも無自覚にそうするように両手を軽く合わせて、人形に、小さく頭を下げた。
ヴェルクが、息を、呑んだのが分かった。
俺には、まだその仕草の意味が分からなかった。ただ、千年、置物のふりをしてきた神様が、初めて言葉に詰まったのだけは、分かった。
「……良い、弟子を持ったの」
ヴェルクの声は、少し掠れていた。誰に向けた言葉かは、分からなかった。フェルンにか、ガンツの師匠にか。……多分、その全員にだ。
*
その日から、地下工房で密やかな伝授が、始まった。
命なきものに、力の流れを通す、継ぎの技。歌うような、あの構造の根源。ガンツが、四十年、隠し続けたものを、俺は、一つずつ手に写していった。ヴェルクが、傍らから、時々、口を出した。「その継ぎは、もう少し深うせい」——千年前の、神匠の記憶が、ガンツの、四十年の技と、俺の手の上で繋がっていった。
材料は、地下工房の古王国の鋼。
形は、鋤。
豊穣の力を、納める、器。
俺は、着手した。エレンの、残された時間を頭の隅で数えながら。




